第33話 奴隷を乗せた馬車の後を追って

 空に溶けてしまいそうな柔らかく広がる淡い青色の長い髪は、土埃に塗れて薄汚れている。


 朗らかで優しい彼女の性格をよく表すかの様な丸い桃色の瞳は、何処を見ているのか、或いは何処をも見ることができないのか、虚に闇を孕んでいる。


 大義と信仰。凡そ同年代の女子の殆どが持ち合わせないそれらを有してなお、無垢な幼さを残していた筈の顔立ちは、かつての周囲を癒すかの様な明るさを浮かべることはなく、ひたすらに無を刻んでいる。


 背丈に見合わぬ程に発達した胸や臀部は、その豊かさで以て幼子らを抱きとめ、慈しむであろう。襤褸を纏っている故にそれは強調され、そして彼女が既にかつての立場ではない事をこれ以上ないほどに示している。


 女神マーテル教における、神聖さの象徴である聖女。


 そして、かつての邪竜討伐の旅路にて、その心の有り様と光魔法で一行を支えた、紛う事なき英雄の一人。


 ヘレナという乙女が、馬車に揺られて、ウィーゼアルムの道を過ぎ去ろうとしていた。




 ——オリヴァの反応を訝しんだシルヴィアは、すぐさまその視線の指し示す所を確かめて、そして戦慄した。


 ヘレナがここにいる筈はない。彼女は北方に聳えるマーテル教の総本山にて、迷い子を導く立場として今日も今日とて、教義を説き、人々に限りない慈しみを振りまいている筈なのだから。


 しかしかけがえのない友として、オリヴァとシルヴィアは彼女の容姿を見間違える事はなく、故に認識した後の動きは早い。



「俺が追う。シルヴィアはまずツィツィを宿に連れて行ってくれ」


「かしこまりました。あの奴隷商の紋は確かに。すぐに後を追います」


「ああ。ツィツィ、すぐに戻るからいい子にしててくれ。ククルカ、どうかツィツィを頼む」



 保護者二人の異様な気配を感じ取ってツィツィは、そして友である青年の言葉を受けてククルカは、ただ静かに頷いて、シルヴィアに引かれて歩き出す。


 それを少しの間だけ見送ったオリヴァは、馬車の姿を見失わないうちにとすぐさま駆け出した。








 ——オリヴァが辿り着いたツェーザル商会は、三階建ての豪奢な建物を有していた。奴隷商と聞けばどこか暗い印象を抱きがちではあるが、内部はどこまでも明るく照らされ、至る所に花や美術品が飾られており、“我らの行いに一片の咎はなし”と謳っているかの様だ。


 飛び込む様に訪ねたオリヴァが案内された部屋も、客人を迎え入れる為に上質な机や長椅子ソファが用意されおり、それだけでこの建物の持ち主の財力の多寡を窺い知ることが出来る。


 その実、オリヴァは詳しくはないものの、ツェーザル商会は奴隷のみならず幅広い商いを手掛けており、ウィーゼアルムにおいては有数の規模を誇っているのだ。


 そうして案内された最上階の一室、その椅子の上でオリヴァは膝に肘を立てて落ち着かない様子を浮かべたまま、向こうの出方を伺っていた。


 彼の要件はもちろん、ヘレナの無事を確かめる事、そして、彼女の身柄を引き受ける事。


 ここまで来たのは、馬車を止める事が叶わなかったからだ。一度あの馬車に身を預けたものは、ツェーザル商会の“商材”として認識される事となり、それを許可なく連れ出す事は窃盗として扱われる。


 可能な限り穏便な方法を取るべきだと考えたオリヴァは、一先ず馬車の行先に追従し、平和的解決を促す事に決めた。


 そして今、彼の脳内に浮かぶのは二つの疑問。


 何故、ヘレナはあの馬車に乗っていたのか。


 何故、奴隷商は


 その二つの謎が彼の頭の中を満たしているが故、やはりオリヴァは落ち着かない様子でその時を待っていた。


 そうして短くはない時間を青年が過ごしていた時、扉が音を立てて開き、向こうから仕立ての良い服を着た見るからに裕福そうな男が現れた。


 40代と思しき鈍い金の髪を後ろへ撫でつけた男は、一見微笑んでいるが、その薄く開かれた瞳の向こうではオリヴァをひたすらに“値踏み”している様だ。


 訪ね、そして請う立場なのだからと、オリヴァが立ち上がって迎えようとした所を、“どうぞかけていてください”と制し、男も机を挟んで向こうの椅子へと腰掛けた。



「急な訪問に応えてくださり感謝する。俺はかつて東方のアルケイディア王国にて発せられた“勇者作戦”において勇者アルマの護衛の任に預かり、かの王より賜りし二つ名“不滅”を有する者、オリヴァと申す」


「おお! 応対した者より聞き及んでいましたが、貴方がかの不滅殿ですか! 、お会いできて光栄ですぞ!」



 言葉の上では明るく、そして表情にもやはり笑みは浮かべているが、その本質はどこまでもオリヴァの事を確かめようとするものを薄く漂わせている。


 気配を察する能力を有していなければ気付けないそれであるが、オリヴァはそれを充分察した上で、“厄介な話になるかもしれないな”と胸の内で呟いた。



「私は、モントメア王より賜りし爵位は男爵にて、このツェーザル商会の代表を務めさせていただいております、ツェーザル・キルステンと申します。何卒お見知り置きを、不滅殿」



 いかにも丁寧な口振りではあるが、“己は立場ある人間である”とオリヴァに対し釘を刺している事に他ならない。


 あくまで事を荒立てるつもりはないが、しかし牽制されたという事は相手はそのつもりを有しているのだと、オリヴァも理解する。



「宜しく頼む、ツェーザル殿。まさか代表たる貴方が直々に対応下さるとは、その厚意に感謝を」


「部下が不滅殿との来訪を伝えたとあらば、こちらとしては丁重なおもてなしをせねばなりますまい。しかし、時間も時間ですし、早速ご用件をお聞かせくださいますかな?」



 商会を訪れた客に対し、その主人が時間を理由に促すなどは如何にもな無礼であり、それだけでツェーザルのオリヴァに対する現状の評価が窺える。


 しかし事実オリヴァは事を急いている為、敢えて受け入れ、話を進める。



「ここにくるまでにツェーザル商会の馬車を目にして、その中に含まれていた女性について、話したい事がある」


「流石はお目が高い! して、その“奴隷”の見た目などを伺っても?」


「空色の髪に桃色の瞳。年齢は今年で確か17になる女性だ」



 端的でわかりやすい特徴をオリヴァが伝えると、ツェーザルは目を細めて口許を手で隠した。その仕草は、オリヴァの示す女性にすぐさま行き着いたであろう事を示している。


 ヘレナは性根の優しさもさる事ながら、器量も人並み外れ優れている。


 “商材”としてみたならば格別の存在を、その商いの主人が目をつけていない筈もない。



、彼女はヘレナという名であり、かの女神マーテル教において聖女とされる人なんだ」



 もしかしたら、なんて事はあり得ない事を、オリヴァも理解はしている。


 しかしツェーザルは、オリヴァの言葉を耳にした後、大袈裟な振る舞いでそれに応える。



「まさか奴隷の中に聖女様がいらっしゃると?!それはなんとも、驚きですなぁ!」


「……ああ。故に、俺がかつての仲間である由縁を以て引き取らせてもらいたい。如何か」


「それはできぬ相談ですな、不滅殿。あの馬車に乗った時点で、彼らは我々の大切な財産なのです。それをおいそれと現れた人間に渡していては、商いが成り立ちません」



 ツェーザルはきっぱりと、そして煽る様にオリヴァの言葉を否定してみせる。



「聖女であるというのに、あくまで貴殿らは彼女を奴隷であると主張すると?」


「ええ。あの馬車に乗せるという事はそういう事です。我々は彼らを保護し、善良な雇い主へと手数料と引き換えに引き渡すという商いを行なっているのですから」


「聖女を奴隷として扱うなど、前代未聞だ。それは、マーテル教やその教徒が黙っていないんじゃないか?」


「左様でしょうなぁ。、ですが」


「……なに?」


「難しい話ではございませんよ、不滅殿」



 何をいうつもりなのかと訝しむオリヴァを前にして、ツェーザルはゆっくりと用意された紅茶に口をつけた後、再び笑みを浮かべて答える。



「他でもない本人が申しているのです。……自身は聖女ヘレナなどではない、と」



 聖女である筈のヘレナ自身が、聖女ではないと否定している。


 その話にオリヴァは、やはり厄介な話になりそうだと一層眉間の皺を深める事になった。

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