第20話 森の王(前編)



「——シルヴィア、ククルカ!!」



 突如として現れ、まるでそのものに命があるかの様に畝り迫る“鞭”状のそれらを斬り払い、咄嗟にオリヴァは声を張り上げる。


 突然の敵襲。しかし“魔物”が人間の都合など気にかける事はない。人類が彼らについて断言できるのは、悪意に等しい敵意を持ち、両者が相容れないという事くらいだろう。


 その事を理解していた三者は、警戒していたこともあり各々が苦も無く不意の一撃は退けた。


 オリヴァが切り落としたそれらを紫色の瞳に収めて、シルヴィアがその正体を即座に看破する。



「これは……主様、“トーレント”です」



 地面の上で断たれてなおのたうつそれは、ごつごつとして土に塗れた“木の根”だった。


 “トーレント”。一見すると“樹木そのもの”である魔物であり、地面へ張り巡らせた無数の根を地中から露出させ振るい、餌となる他の生命を食らう魔物。


 この場所は、この森の王を気取る魔物の縄張りであり、其処へやってきた二人と一頭を捕食せんとその根を差し向けて来ていた。


 続け様に第二波が迫り、オリヴァは手にする魔剣で、シルヴィアは何処からか取り出したナイフで迎撃する。


 木の根は魔物の一部ではある。しかしそれは数え切れない程の量と“再生能力”を有しており、この魔物を相手取るには本体を直接叩く必要があった。


 シルヴィアの言葉を受けて、既に臨戦態勢をとっていたオリヴァはすぐさま背嚢バックパックを背から下ろし、適当な場所に放る。



「俺が斬る! 二人は自衛を!!」



 第三波を再び蹴散らした後、即座に木々の向こうから漂う気配へとオリヴァは駆け出す。


 トーレントは時折、あの“ミノタウロス”と同様に怪物と呼ばれる程の力を有する個体もおり、その特性も相まって持久戦は悪手に他ならない。


 その事を承知していたオリヴァは森の中を、迫る魔物の触腕を斬り払いながら突き進み、そして妖しい気配を放つ“樹木”を見つけた。


 先程感じ取った気配を醸し出すそれを、オリヴァ駆けてきた勢いで斬り付ける。


 “殺った”と彼が思うよりも先に、抵抗もなく両断されたその気配を見てオリヴァの中にある戦士としての直感が告げた。



(これは……陽動ブラフ……!)



 トーレントの恐ろしさはその無数にある根を用いた波状攻撃だけではない。


 樹木に似た、というよりも殆どは視覚だけではなく、ククルカの嗅覚による追跡すら振り切る。


 そして攻撃は地中を介する事で本体の位置を悟らせず、その正体を知らぬ者には反撃の機会すら許さない。


 “怪物”と呼ばれる程の力を得た個体であれば、気配すらも誤認させてみせる。


 トーレントとはもはや“策謀”というべき生存戦略を有した、恐るべき魔物だった。


 そして今、この敵対者は己を仲間から引き離す事が狙いだったのだとオリヴァが悟ると同時に、駆けてきた道の向こうからククルカの咆哮と木々のざわめきを彼は耳で捉える。



「クソッ! 戻らなければ!!」



 剣を携え、いかにも強者であるオリヴァと比較したのであれば、シルヴィアは当然細身であり手にする得物も矮小だ。彼女は今、本来得意とする“細剣”も、とある理由により持ち合わせていない。


 クーシーはトーレントとは相性が悪い。トーレントはクーシーの速度についていく事が叶わないが、クーシーもトーレントの本体を一撃で屠る力を持ち合わせない事で千日手となりやすいのだ。


 故に狡猾な“森の王”は“雄を引き離し、その隙に銀色の雌を捕獲、犬は放置し逃亡する”事を画策したのだ。


 その事を改めて理解したオリヴァが道を戻ろうとすると、先程よりも多量の攻撃が彼目がけて飛来する。


 しかし“不滅”は怯まない。


 行く先に邪魔になるもののみ斬り払い、己を損耗させる事だけを狙いとする横や後方のそれらは受けきり、道をひた走る。


 ……そしてシルヴィア達を残したあの場に戻ると、彼女らの姿を視界に収める。



「済まない! 今戻った!!」


「こちらは無事です。……少しだけ絡みつかれましたが、すぐに断ち切りました」



 シルヴィアの身体には既に断たれた根が絡みついており、断末魔のように彼女の身体を締め上げると、服越しの肢体を強調させた。


 胸を締め付けられたならば、シルヴィアも僅かに端正な顔を歪めて小さく息を漏らす。


 しかしそれもすぐに止み、力尽きたそれらを振り払いながら彼女はオリヴァを迎えた。


 ククルカは魔法で生み出した風で迫るトーレントの根を迎撃しており、彼女もまた負傷を負っている様子はない。



「……面倒、でごさいます。こういう時は、リタ様が居てくれたら手間をかけずに済んだのですが」



 忌々しいと言わんばかりに目を細めたシルヴィアの視線をオリヴァが追うと、その先、これから進む筈だった道に“樹木”が立ち塞がっていた。


 周囲の木々に紛れてしまいそうな外貌。しかし、それらより遥かに太さのある幹には、人の顔のような形相と牙を有している。


 その“顔”の左右には、こちらもまるで人の手の様に分かれた一対の“枝”を生やし、獲物を攫わんとその指先をシルヴィアに向けている。


 紛う事なき、トーレントの本体。それが彼らの旅路を妨げるかの如く、立ちはだかっていたのだ。


 魔物も引き離すつもりであった雄が戻ってきた事を察知すると、幾度めかの根の鞭を振るう。


 オリヴァはそれを魔剣の一振りで払い除け、シルヴィアを守る様に、トーレントの目の前に立ち剣を構えた。

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