第21話 森の王(後編)

 いよいよを以て、樹木の似姿を持つ魔物、トーレントの本体とオリヴァは相対した。


 次の瞬間に命を落とすかもしれない、この先はそういった戦いになる。幾度となくその経験を経てきたオリヴァは、魔剣を握る手に力を込め、そしてシルヴィアを護るべく、トーレントへと剣先を向ける。



「任せてもらえるか」


「……お願いします」



 シルヴィアが悔しそうにその言葉を吐いたのを見て、“後で慰めてやるべきか”とオリヴァは考えたが、取り敢えずは目の前の魔物を討ち倒してからだと、手にする黒き刃に更なる力を込める。


 ……この戦闘においてオリヴァは、不思議な高揚感を感じていた。“調子がいい、久々の実戦だからだろうか”、彼がそう感じる程にその五体に力が宿っていたのだ。


 己の身体を強力なものとする“マナ”の流れに澱みはなく、それどころか無限とも思える程に湧き立つ感覚を彼は捉えている。


 そしてその力は、丹田から身体を通り今、魔剣ヴォルクスガングを握る腕へと宿っている。


 かつてない力の奔流を感じたオリヴァは、自身の正面下段に剣を据える、“飛龍”の構えをとりトーレントと向かい合った。


 彼の狙いは“後の先”だ。トーレントの再びの攻撃に合わせて、下段からそれらを巻き上げ払い、切り返しの一振りを以てトーレントの本体を縦に両断する。


 “飛龍”の構えは、本来剣を手にした人を相手取る際に最も効果を発揮するが、巨体を有する魔物に対しても有用な構えだった。


 その構えを崩す事なく、ジリジリとオリヴァはトーレントとの距離を詰める。


 トーレントは目の前のニンゲンの雄が放つ圧を前に撤退を考えるが、森の王としての矜持がそれを否定し、逡巡を生み出していた。


 そしてその僅かな時間が過ぎ去った時。


 オリヴァへ目がけて、最期となるトーレントの魔の手が差し向けられた。


 上下左右。空間を埋め尽くす様に迫る触腕を目にしたならば、オリヴァは短い雄叫びと共に空へと駆ける様な一閃を放ち、そして。




 ——オリヴァが全霊で放った下段からの一振りは、その一撃で以てトーレントの軀を両断……どころか、左右の手とそれが繋がる樹皮のみをその場に残して、後の八割ほどを消し飛ばしてしまった。


 トーレントの残った“部分”が、道を開けるかのように倒れて、ククルカ達を襲っていた木の根も動きを止める。


 ……オリヴァが二年越しに放ったそれは、誰がどの様に見ても異様としか言えぬ結果を齎してしまった。


 放った本人もあまりの威力に驚いて固まり、ぎぎぎ、という擬音が似合いそうな程ぎこちなく振り返れば、シルヴィアもククルカも、小さく口を開いて呆然としていた。


表情の変化が薄い一人と一頭ですら驚いてしまうほど、オリヴァのその一撃は理外のものに見えたのだ。


 その連れ達を視認した後、オリヴァはハッとした様子で辺りを見渡す。



「こいつも陽動だったんだ。クソ、本体は一体どこに」


「いえ、恐らく、今斃れたものが本体かと……」



 強敵の筈であるトーレントとの戦いが呆気なくも恐ろしい結果に終わり、オリヴァが選んだ“敵がきっと囮だったに違いない”という現実逃避は、申し訳なさそうなシルヴィアの一声によって否定される。


 逃避が許されないのならば、とオリヴァはどこか格好つけた様子で顔を伏せて、ふ、と鼻で笑った後、魔物から見たならば凄惨な光景を生み出した魔剣を鞘に収める。


 ……そして背中を丸め、やや顔を青ざめて、シルヴィアへと向き直った。



「……どういう、事だと、思う……?」



 逃避が許されなかった為、取り敢えず連れに理解を助けてもらう事にしたのだ。


 呆然としていたシルヴィアだったが、人差し指を曲げて口元に添え、少し考え込んだ様子を見せた後、オリヴァに紫の瞳を向ける。



「そう……一つ、言える事があるとするのであれば」


「聞かせて、くれないか……?」


「……今すぐその力で私を組み伏せて、乱暴に服を剥ぎ取って、野生み溢れる行為に興じるべきです、主様」



 シルヴィアもまた、やはり静かに狼狽パニックに陥っていたのだ、恐らくは。


 それから“しない”、“すべき”と言い始めた男女を尻目に、ククルカは息を一つこぼしてその光景を改めて眺めた。


 愛する友が振るった力に、どこかを感じて。


 それから、わふ、と小さく吠えた。

 



「——凄まじいお力でしたね」


「ああ……なんだか妙に、力が滾るような気はしてたんだ……」


「あのような事ができるのは、邪竜を前にした時のアルマ様くらいのものかと存じておりました」


「俺だってそうさ。……しかし一体、何が……?」



 トーレントの亡骸を背中にして歩き出したオリヴァは、自身の手のひらを見て、拭い切れない違和感に恐怖を感じる。


 そして何気なく、側にあった木を叩いてみると、その木が爆散するというような事もなく、その結果に再び首を傾げる。きっとそうなっても困っていたのであろうが。



「道すがら、確かめるしかない、のか……」


「戻って、ゆっくりと確かめるというのは如何ですか」


「そう……いや、戻らない! さぁ、カレー探しの旅に出るぞ!!」


「かしこまりました。……あぁ、空が」



 オリヴァの隣を歩くシルヴィアが銀色の髪を揺らして空を見上げると、そこには青空が広がっていた。


 柔らかく、温かく射し始めた陽光は、彼らの旅路を漸く祝福してくれているかの如く降り注いでいる。


 その青空を見上げながら、二人と一頭は森の中を歩き始めた。




 ——かつて邪竜の呪いによって、愛すべき人々からの憎悪に晒された青年は旅立つことになった。


 傍には、心に闇と愛を抱いた麗しのメイドを伴って。


 そして、彼らを見守るのはともがらである白く気高いクーシー。


 “不滅”の英雄オリヴァは、カレーを探しに今旅立ったのだ。








 ——そして旅の果てに彼は知る事になる。


 邪竜が遺したものは、まだ世界に在るのだという事を。

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