神秘の白は唐突に

第22話 港街エニス、その酒場にて

 海風に白い石造りの外壁を晒す建物が並ぶ、港街エニス。


 この国——オリヴァが過ごしていた森を含めて有する“モントメア王国”における海洋貿易の拠点として知られるこの街は、そこで暮らす人々や船乗り達の声で賑やかだ。


 その賑わしく白い街の一角に、荒くれどもが集い、木製の円卓(テーブル)を囲む“酒場”があった。


 テーブルと小さな椅子代わりの樽が並ぶ店内の壁面の一方には、“冒険者”と呼ばれる生業の人間に向けて、“依頼書”と呼ばれる張り紙が無造作に幾つも張り出されている。


それを目当てにこの酒場に来る人間も多く、ただ酒を飲み騒ぐだけの人間と合わせてこの空間に活気を生んでいた。


 そんな、独特の熱を持つ空間の中。


 邪竜討伐を果たし、“不滅”の二つ名で渾名され、英雄でありながら悲劇に見舞われたオリヴァは。



「ああ……なんてことだ……」



 ……店内の活気とは裏腹に、酷く落ち込んでいた。


 180センチ超の背丈を有し、筋骨隆々。シャツの袖から覗く肌や精悍な顔に大小の傷痕を有する大柄な青年。彼が、テーブルに肘をついて、背中を丸め、黒髪をくしゃりと掻いて頭を抱えている。


 その図体であまりにも深く嘆いているものだから、彼の周りのテーブルを囲う人々も、何があったのかと盛り上がるに盛り上がれない、異様な雰囲気を醸していた。



「まさか全滅とは。驚きましたね、主様あるじさま



 落ち込むオリヴァの隣に座りながらも、冷静に声をかけつつ葡萄酒の注がれた杯を傾けるのは、彼の……“自称”メイド、シルヴィアだ。


 銀髪のポニーテールをさらりと流し、紫水晶の様に煌めく瞳を“主様あるじさま”と呼ぶオリヴァに向ける。


 171センチ程の長身と豊かな肢体をやはりメイド服に包んでおり、酒場という空間においては違和感しかない。オリヴァ以外の男どもが何度も彼女にちらりと視線を送るのは、彼女が並々ならぬ美貌の持ち主である事とそのメイド服姿があいまっての事だろう。


 円卓であるというのに態々、椅子を彼の隣に持ってきて座るのは、彼女は“自身は常にオリヴァの側に在るべき”という認識を有しているからだ。


 そのシルヴィアの己を呼ぶ“主様”という冷静な声に促されて、少しばかり気を取り直したオリヴァは、杯を口に運び、それから遠い目をしてこの街であった事を思い返した。



「……香辛料の輸入が止まってる、とはなぁ……」


「判然としない理由が気になりますが……かの“黄金の国”に何があったのでしょうか」



 オリヴァは思わず溜息を零しそうになった所を堪え、葡萄酒を煽る事でカレーへの淡い期待を飲み下そうとした。

 



 ——オリヴァ達が住まいを発ってから十日程を経て、彼らはこのエニスに辿り着いていた。


 旅路へ同行する事となった魔獣ククルカが、道中の警戒や気ままにする荷物持ちなどの働きをみせた結果、彼等は想定より早く辿り着く事になる。そしてオリヴァは、街の外れでククルカと別れた後に一目散にエニスの市場通りへと足を運んだ。


 この旅のはじまりは心に闇を宿すシルヴィアを癒す為に決められたものではあったが、表向きには“カレーを作る為の香辛料を探す”事を目的としていた。


 カレーこそ、今最もオリヴァの胸を熱くする“生きる目的”に他ならず、彼はつい“わくわく”とした気持ちを抑えきれなかった。


 しかし、すっかりカレーの口になっていたオリヴァを迎えたのは、無慈悲な店主の一言だった。


 “クミン、カルダモン、ターメリックの辺りの香辛料は売り切れだよ。輸入が止まってるんだ”。


 ……人は、“口の中の期待”を裏切られた時の絶望を隠すことができない。


 目の前の大男が突然醸し出した悲壮な空気に、“ペッパーの類ならまだあるんだが、そこまで気になるなら”と、店主は取り扱いのある他の店を聞かせた。


 オリヴァとて成人した男である。きりりと顔つきを整えて店主に礼を述べた後に、聞かされた店に向かった彼を迎えたのは。


 “ああ、ごめんなさいね。在庫もなくって”。


 という、優しげな女店主の無情な言葉であった。


 ……香辛料に類するものは、長期保存すると風味が飛びやすく、さらに湿度に弱い。港街であるエニスでも輸入した分の販売は行うものの、大きく在庫を抱える事はせず、輸入が止まったと話が流れた時点で在庫は全て得意先に卸してしまったのだ。


 項垂れ始めたオリヴァの代わりにシルヴィアが、女店主に何故かと問う。


 すると帰ってきた答えは、彼らの想像よりも遥かに大きな問題を抱えていた。


 カレーをオリヴァに教えてくれた、ロロと呼ばれた老婆の故郷。


 大陸の位置関係を記す世界地図において、南西に所在を示す黄金の国——“エイガルサ”。


 その国が……現在、他国との貿易を一方的に停止しているのだという。




 ——そうして他のツテはないものかと、酒場に足を運び、男達の憩いであり情報が集まりやすい“看板娘”や、この手の場所には一人は居る耳聡い“情報屋”に訊ねたオリヴァであったが……その結果が、先のシルヴィアの一言に繋がる。


 そしてオリヴァは、頭を抱えていたのだ。


 何しろ彼の口は、舌は、胃の腑は、脳は、カレーを求めている。


 前回味わったのは数ヶ月も前の事だと言うのに、彼の舌はカレーのとろりとした食味と旨味を。


 鼻はあの刺激的でかつ他にはない独特の香気を。


 身体は赤唐辛子による熱を、求めてやまなかった。


 黒髪の青年オリヴァの中で、今カレーという存在が料理という枠組みの中で、頭ひとつ抜けたものへと位階を変じさせようとしていたのだ。



「……カレー……」


「それ程までにカレーなる料理が食べたかったのですか。そのように、頭を抱えてしまうほど」


「む、カレーは美味いんだぞ。ぜひシルヴィアにも、あの味を堪能してもらいたい、いや、そうすべきなんだ!」


「熱量がすごい。ですが、エニスで香辛料が手に入らずとも、他所へ向かえば手に入る可能性が潰えたわけではないのでは」


「ああ、それは……」



 だからそう落ち込む事もないのでは、というシルヴィアの問いかけに、“それだけじゃないんだ”、そうオリヴァが言葉にしようとした時、快活な声と共にテーブルへ酒のおかわりが運ばれてきた。


 給仕をした少女は暗い雰囲気のオリヴァを見て、訝しむ様に片眉を上げて口を開いた。



「なーに、おにーさん。まだカレーの事で悩んでんの?」



 朗らかでありつつも少し揶揄う様な声色には、青年を励ます様な意図が含まれている。


 そのさりげない慈しみの言葉を発したこの酒場の看板娘を……紫色の瞳が、じっと、見つめていた。

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