第18話 黄金への旅路を共に

 銀髪の乙女シルヴィアのこうべを、自身の胸板に預けさせ、彼女にとって何が一番良いのかをオリヴァは考えた。


 シルヴィアを放っておくわけにはいかない。しかし何も考えずかたわらに置いておけば、彼女は自身の体を厭わず差し出そうとする。


 それは弱る彼女にはあまりに無体な仕打ちだと考えたオリヴァは、一つの提案をする。

 


「旅、ですか」


「ああ、欲しいものがあるんだ。……その為にシルヴィアの力と知恵を貸してくれ」


「欲しいもの。……それは、一体」



 シルヴィアは変わらず憔悴した様子ではあるが、しかし話に耳を傾けてくれている事に、オリヴァは安堵しつつ話を広げる事を決める。



香辛料スパイスだ。クミン、クローブ、コリアンダー……他にも色々あるんだが、今の俺にとっては黄金に等しい価値がある」


「香辛料……それで何を、作るおつもりなのですか」



 シルヴィアが興味を示した事で、さらにオリヴァは気持ちを昂らせて言葉を紡ぐ。


 今のオリヴァにとっての希望、夢、生きる目的。それは——



「それは……“カレー”だ!」



——やはり、あの老婆が教えてくれた味、カレーという料理だった。


 カレーは一人で森に暮らし、孤独の影が纏わりついて離れなかったオリヴァに、その香気と味わいで衝撃と感動を齎した。


 もう一度、あの味の喜びをこの舌の上に迎える事が出来るなら、己は何だってしてみせる。そう奮い立ってやまないほどに、カレーは青年を魅了し、虜としてしまったのだ。


 きっと、これこそが“希望”なのだ。


 オリヴァはそう信じて、シルヴィアに語ってみせた。

 


「もしかしたら、シルヴィアは食べた事があるかもしれない。知り合いも多いわけだしな」


「カレー……何処かで聞いた事がある様な気もします。……ですが、どうしてそれが旅に繋がるのです。それに、私に関係は」


「必要なんだ、シルヴィアが」



 真っ直ぐな眼差しでオリヴァがそう言葉にすると、その言葉を求めていた筈のシルヴィアも驚きに目を丸くして、何をいうのかと見つめ返してしまう。


 オリヴァはカレーをただ食べたかったわけではない。


 それを求める旅路に彼女を必要とし、そしてその過程こそ彼女を立ち上がらせてくれるのではないかと思い至ったのだ。


 ……オリヴァはカレーをただ食べたかったわけでは、決して、ないのだ。



「必要、私が」


「ああ。……シルヴィアは、田舎育ちの俺より遥かに知識がある。令嬢として学んだ事、騎士として他国について調べた事、それを覚えているだろう」


「それは、はい」


「それから、あの戦いの中に見た華のような剣捌き。一人旅ではどうしても、野盗や魔物、魔獣の危険は付き纏うからな。シルヴィアが隣にいてくれるというのはありがたい」


「旅であるなら、左様ですね」


「それに俺は、ほら……だろ? 行った先で、怖がらせてしまったりした日には満足に買い物も出来ない。シルヴィアは人付き合いも上手いし……その、美人、だからな。その辺、仲立ちになってくれると嬉しいんだ」


「美人……」



 それからオリヴァは、“香辛料を手に入れるには少なくとも海沿いの街に、そこで手に入らなければもっと大きな街まで旅をするつもりだ”と、数週間からそれ以上かかる旅程を語って聞かせる。


 その旅路に、シルヴィアが必要なのだとよくよく含ませながら。


 ……これには、言葉を飾った部分もある。


 特に“不滅”と称されるオリヴァに危害を加えられる者など、世界中を探してもそうはいないのだ。


 しかしその言葉に込めた想いを、オリヴァはいつわったつもりはない。シルヴィアが隣を歩いてくれる事を、彼は心から歓迎していた。今のところは、旅路を行く友として。


 そしてその真っ直ぐな瞳と言葉は……シルヴィアの胸に響いたようだった。


 オリヴァを見つめるだけだった彼女は、ここにきて不意に顔を逸らす。その白い頬を、耳を柔らかく朱に染めて。


 あまりにも青年がつらつらと自身の事を語るものだから、病んだ彼女も少しばかり面映くなったのだ。


 ……それからシルヴィアは少しだけ考え込んだ様子を見せた後、自身を抱きしめる青年に向かって、改めて視線だけを送り、そして——



「……わかりました。どうか、お供をさせてください。貴方様が望む、その旅路に」



——オリヴァの言葉を受け入れて、小く顔を綻ばせて、笑みを浮かべた。


 シルヴィアは罪悪感に飲まれ、その心を病んでしまった。


 しかし再び会えたオリヴァの言葉に、その眼差しに、その誠実さに、僅かばかりかつての女騎士の姿を取り戻す事が出来たのだ。


 その姿を見たオリヴァは“ありがとう”と彼女の意思に感謝を示し、内心で胸を撫で下ろす。


 何はともあれ、この旅路の間、シルヴィアの精神は落ち着いてくれるだろうと、そういった“希望”も見えたのだ。


 ……そうして二人は立ち上がり、小屋への道を歩もうかと並ぼうとして。



「……ああ、ですが」



 その前にシルヴィアは、オリヴァへ向かい直ると、背の高い青年の首に腕を回した。


 何のつもりかと、落ち着いた筈の乙女のその仕草にオリヴァが驚いていると、シルヴィアは彼の首を引き寄せて——



「旅路だけでなく、ずっとお側にいます。主様」



 ——乙女の柔らかな唇は、青年の口許へと重ねられた。


 それからシルヴィアは、オリヴァの怪我をしていない方の手に身体を寄せる。


 今度は青年の方が隠しきれぬほどに耳まで赤くして、何をいうでもなく、夜空を見上げながら歩く事になった。

 







「——それにしても、本当に血の流れがおさまるのが早い、ですね」



 森の中を歩きながらシルヴィアは、赤く染まったオリヴァの一方の腕を見てそう呟く。


 彼女の視点に立てば、自身が新たに増やしてしまった想い人の傷である。目を逸らしてしまいたくなってもおかしくはない。


 しかし、身を尽くす相手の怪我なのだからと、心を奮い立たせて瞳に収めた。


 そうしてみた傷痕は既に流血も治まり、地面へ溢れるものもなくなっていた。仮にも刃物を突き立てたのだ。あの場で時間を費やしていたとて、傷口が乾くにはやや早い。


 その様子にシルヴィアは小く首を傾げて訝しがる。


 そんな彼女が気に病む事を避けるべく、オリヴァは“心配しないでくれ”と口にしてから、平然そうに振る舞った。



「頑丈に産んでくれたおふくろと、育ててくれた親父に感謝してる。この身体のおかげで皆を守れるんだ」


「また、そうやって」


「ん、なんだよ。そうやって?」


「何でもございません。戻りましたら、手当てをさせてください」


「ああ、包帯を巻くくらいで構わないから、固く頼むよ」



 そうして二人はまた歩いていく。


 シルヴィアは心の内には、今日幾度となく見られた青年の他者への思い遣りに対する、愛しい気持ちを抱いて、歩き始めたのだ。



 ——そして傷口が、事は、まだ二人にはわからなかった。
















ちょっとしたあとがき。

は、少し長くなってしまいましたので、近況ノートに記させていただきました。

読んでくださる皆様への謝辞を記載させていただいております。

ご興味がございましたら、一読ください。

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