第46話 商人との決着

 特別試合から日を跨いで、再びツェーザル商会の応接間には重苦しい空気が漂っていた。


 あの時と違うのは、双方の立場が完全に逆転していると言う事。ツェーザルが冷や汗を隠す事なく垂れ流し、顔を青ざめさせているのに対し、オリヴァは余裕を持ってその場に臨んでいた。


 シルヴィアもその場に同席しており、やはりオリヴァの後ろに何を言うでもなく静かに佇んでいる。



「改めて先日の特別試合、手配してくださった事に感謝する、ツェーザル殿」



 オリヴァの語り口は一見穏やかそうに見えるものの、言葉通りの意味ではない。よくもキマイラなどというものをぶつけて来たなという言外の圧を放っているのだ。


 オリヴァとしては、もはや最高位の剣闘士やキマイラに遅れを取る事はないだろうと確信を抱いてはいる。その事自体に恨み言を言うつもりはないのだが、事実は事実なのだ。場の主導権を握る事ができるのであれば、それを利用してやろうという程度の強かさを示していた。


 その言葉を受けたツェーザルは小さく肩を震わせると、愛想笑いを浮かべて応える。



「は、ハハ。いや、流石は不滅のオリヴァ殿といった格別の興行となりましたな。観客の皆様にも大変ご満足いただけた様で、今ウィーゼアルムでは伝説の剣闘試合だったという話で持ちきりでございます!」


「ああ、それは重畳だ。これで俺が、オリヴァであると疑われる事はないだろう」


「ももも、もちろんでございます! あれほどの戦い、出来るとするならば邪竜を討伐せしめた御身以外にありますまい!!」



 最初会った時の余裕はどこへやら、ツェーザルは、あれほどの武力を誇る存在の気分を害してしまったのではないかという現実が恐ろしく、もはや媚を売る以外の選択肢を見出す事ができていなかった。


 その姿を見たオリヴァは、本人としてはにこやかに笑うつもりで、他人から見たならば肉食獣が獲物を前にして牙を剥くかの如く、口許に弧を描くと本題を切り出そうかと口を開いた。



「それで、ヘレナ……彼女の身請けについてだが当初の約束通り、かかる金銭はなしに叶うと言う事で問題ないな?」


「ええ、ええ! どうぞご自由に! この後すぐにでも、お連れになってください!!」


「話が早くて助かる。……そうだな、一つ追加でお願いがあるのだが、聞いてくれるな?」


「な、なんでございましょう!」



 もはや有無を言わせぬぞとオリヴァは圧を放ちつつ、ゆっくりと手元の器を傾けて注がれた茶を口にする。


 この場においてどちらが上位者かを明確にする様な、落ち着いた動作だ。



「ヘレナがここに居た事実はなかった事にさせてもらう」


「……はい?」


「これから彼女を引き取らせてはもらうが、そこにツェーザル商会は関係しない。先の特別試合は……偶々知り合った俺とツェーザル殿で成されたものとして扱ってくれ」


「そ、それは結構でございますが……なぜその様な事を?」


「ヘレナの為だ。彼女が仮にとはいえ、奴隷の立場に落ちた事を知られたならば、惑う人々がいるだろう。その人々を見て、彼女はまた苦しむかもしれない。その為の措置だ」



 “奴隷を身請けする事”とただ“友人を引き取る事”では当然その言葉の意味するものは大きく変わる。前者であれば話に契約が生じる事になり、当人に要らぬ負担をかける可能性がある。


 その事実がどういう結果を齎すかに不安を感じたオリヴァは、要するに“己がヘレナを見つけて、旅に同行させていた事にする”と宣言しているのだ。


 そして何某かが何かの行動を起こしたとしても……今のオリヴァには、仲間たちを守りきることができるであろうという自信が満ち溢れていた。


 オリヴァがそう語るのならば、ツェーザルに異論を挟む余地はない。



「……畏まりました。では、早速彼女を引き取りに向かわれるおつもりですか?」


「ああ、また案内を頼もう。では……」


「で、ですが! お待ちください!!」



 もうここに用はないと椅子を立ち上がったオリヴァを、ツェーザルが見上げる形で引き留める。


 悪足掻きに等しい行為ではあるが、ツェーザルには引き留めねばならぬ理由があった。



「……なんだろうか、もう話す事もないかと思うが」


「彼女の引き渡しについては左様でございます。しかし! 貴方様の今後について、ぜひお耳に入れたいお話がございまして!!」


「俺の今後?」



 何を急に語るのかと、立ち上がったオリヴァが訝しむ様に視線を向けると、ツェーザルはごくりと喉を鳴らした後、笑顔を作って口を開いた。



「オリヴァ様の勇姿、感服いたしました。……して! 如何でしょうか! 今後はぜひ、ツェーザル商会の全面的な支援の下、剣闘士として活躍……いいえ、ウィーゼアルムの剣闘興行に君臨されるというのは!!」



 先日まではオリヴァが本物かどうかわからないなどと語っていた口から溢れた言葉は、いかにも都合の良いものではあるが……ツェーザルには必死にこの“商談”を持ちかけなければならぬ理由があった。


 確かに、オリヴァの特別試合は大成功といえる結果に終わった。しかし蓋を開けてみれば、参加した闘技者の七割が引退を示唆し、大金をかけて入手した虎の子のキマイラも消えてなくなった。


 結果としてツェーザルは剣闘士の雇い主として格を数段落とす事となり、興行に関わる諸々の権利を手放さなければいけない瀬戸際に立たされていたのだ。


 ウィーゼアルムは剣闘の都なのだ。その都において、剣闘に関わる権利を手放すと言う事は……明日からは“ウィーゼアルム有数の”という謳い文句は使えなくなる事と同義である。


 つまりツェーザルはオリヴァを利用して商会の発展を目論んだ結果……逆に、多大な損失を負う羽目になってしまった。その為ツェーザルはなんとしてでもオリヴァを新たな看板に迎え入れる必要があったのだ。


 オリヴァが足を止めたのを見て、勝算ありと判断したツェーザルは話を続ける。



「オリヴァ様ほどの腕前があれば、どんな名声も富も思うがままでごさいます! ウィーゼアルムは剣闘の都なれば、貴方様の名を皆が讃え、王の様に振る舞う事すら能います!」


「……ほぉ、富、名声か……それは随分、景気の良さそうな話だな」


「そうでしょう、そうでしょう! 英雄とあらば、やはり相応しい名誉を手にしてこそ! そして人々も、貴方様が再びこの地で剣を振るう事を望んでいるのですぞ!!」


「人々も、か……そう言われると、断りにくくなるのは否めないな」


「ええ、ですから……!」


「だが、断らせてもらおう」



 ツェーザルの調子付いてきた語りを、オリヴァは魔剣を振るうかの如く一刀両断した。英雄と言われた青年は、呆れた様に息を一つ溢しながら首を振って、それから諦めの悪い商人へと視線を向けた。



「知らないか。“不滅”のオリヴァは人々の為なんて、大きな目的の為に剣を振っていたわけじゃないんだ」


「な、なにを仰いますか……!」


「俺が剣を振ったのはひとえに若くして大義を背負わされた幼馴染の為。そして、旅路を供にした仲間たちの為でしかない。……英雄と持て囃してもらっても、本質はそんな、ちっぽけな男なんだ」


「で、でしたら尚の事、富を手にするこの機会を逃す手は!」


「富や名声には興味がないんだ、最低限があればな。俺は田舎で獣を狩って、野菜を育てて……そして傍に、愛する友や仲間が居たなら、それでいい。あとは、そうだな——」



 そこで言葉を区切り静かに目を伏せたオリヴァが望むのは、身に余る贅沢よりささやかな幸せだ。


 閉じた瞼の裏に描くのは、かけがえのない仲間である乙女たち、癒しをくれる獣の友、己を慕う幼子、気心知れた村の人々、そして。



「——そこに、カレーはあるのか?」



 老婆が教えてくれた、たった一つの料理だ。今のオリヴァは、もうこの為だけに生きていると言っても過言ではない程に、カレーという料理を求めていたのだ。


 オリヴァの口から出たカレーという単語に、ツェーザルは目を丸くして唖然とする。



「……は? ……か、かれー?」


「ああ、知らないか? 遠い西方のエイガルサでよく食べられる、刺激的で、魅力的な料理なんだ」


「料理?! そ、そんなもの! 栄光を手にしたなら、更なる美食だって追求する事が!」


「そんなもの、だと?」



 敬愛する老婆から教わった己の好物をそんなものなどと言われたなら、オリヴァも心穏やかには居られない。その一瞬に放った圧は、ツェーザルから言葉を奪う事に充分だった。


 ツェーザルの語る剣闘士としての在り方に、オリヴァの求める幸せが含まれている様には、青年は思えなかったのだ。



「あ……わ……」


「やはり貴殿とは価値観が合わない様だ。……悪いが失礼するよ。縁があれば、また」



 そうして堂々たる立ち振る舞いで部屋の外へと足先を向けるオリヴァに対し、ツェーザルは話し続けることは出来ず、ただただ項垂れるだけとなった。もはや商人としての自尊心などは、襤褸の様に打ち捨てられる程のものしか残されていないだろう。


 謙遜して見せても英雄。邪竜の焔にすら耐えた“不滅”を前に、一介の商人が取り入ろうなどと叶うはずもないのだ。


 ここでオリヴァに見捨てられたなら、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し続けたツェーザル商会も、これまで通りとは行かなくなるだろう。


 こうして、聖女ヘレナに纏わるオリヴァと商人の駆け引きは……無事、オリヴァの勝利で幕を引く事になった。








 ——部屋を出ようとするオリヴァに、後ろで控えていたシルヴィアが声をかける。



「主様、どうかヘレナ様を迎えに行って差し上げてくださいませ」


「ん? そのつもりだが、シルヴィアも行こう」


「畏れながら……こういう時は、白馬に乗った殿方の迎えを、乙女は望んでいるものです」



 シルヴィアらしからぬ物言いに、オリヴァは片眉を上げて言葉の意味を探る。要するに、オリヴァだけで迎えに行くべきだと、銀髪の乙女は語っているのだ。



「そういうなら、そうするが……シルヴィアは良いのか?」


「ええ、今は少し……ヘレナ様を甘やかしても許されるかと。私は外で待っております」


「む、なら、その言葉に従おう」



 シルヴィアが小さく微笑んで語れば、オリヴァは頷いて、そうして部屋を後にした。シルヴィアは青年の後ろ姿を見送って、部屋には彼女とツェーザル、そしてツェーザルの護衛を務める部下が残る。


 項垂れていたツェーザルが、何故この女性は残っているのかと、彼女の後ろ姿に疑問を抱いた時。



「主様はお優しい方です。今回の一件について様々な思慮を巡らせ、ヘレナ様を保護したという事実を鑑み、貴方方に対し可能な限り穏便に解決を図ろうと務められました」



 ……魂を凍らせる様な、涼やかな声が部屋に広がる。


 その場にいるものは彼女を除いて身動ぎ一つ出来ない。そうしたならば死ぬと、本能が訴えかけているのだ。


 そうして、銀髪の乙女は、まるで絡繰仕掛の様に、ゆっくりと振り向き始める。



「ですが、不敬な物言いの数々に、あてがわれた剣闘士の不愉快な態度。果てはキマイラなどという魔獣まで持ち出して、主様の行く手を貴方方は阻もうとしました」



 ゆっくりと、乙女は振り向く。その振る舞いは、死を前にした罪人に己の罪を自覚させる為に語る救済者処刑人の様だ。

 


「主様が比肩する者もそういない強者であった為に、退けられたそれらは……並の者であれば、絶命に足るものだったでしょう」



 その場にいる全ての者が、思う。


 “振り向かないでくれ”と。


 彼女が振り向いたなら、その時は。



「ならばこそ、優しき我が主様に代わり、侍従たる私が矜持にかけて正さねばなりません。“不滅”を前に、愚かにも金儲けを企んだ者共を」



 ゆっくりと、ゆっくりと。


 語りながら振り返る銀髪の乙女に、ツェーザルは己はなんという相手を前に、金儲けができるなどと考えてしまったのだと後悔する。



「よろしいですね」



 振り返った乙女の顔には……底知れぬ深淵の闇が広がっていた。




 ——そうしてこの日、ツェーザルが最後に目にしたのは、主の敵を排さんと狂気を孕む紫色の瞳だった。

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女勇者のパーティから追放された世界一の嫌われ者、咖哩を求めて旅に出る のいめいじ @noimagexxxx

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