恋活をするのはシキミ!?-2


「困るぜ、アシダちゃん。あんなのを押し付けやがって」

 ノウゼンは眉を八の字に曲げ、呆れ半分に言う。


「ホント悪かったって、センセ。いやね、アイツがあんましにもボロボロ泣くもんだから。オイラどうしたら良いか弱って、その……つい」

 などと火鉢を囲んで相対していた男が、困ったような笑いを交えて答えた。


「まあ何ヨ。オイラ達は昔っからこの手の面倒ごとに巻き込まれて来たろう。今更もう一つ抱えこんだ所で、どうって事ぁないだろう。な、センセ?」

 などと明るく言い、悪びれもせずガハハと笑う。


 青くなるまで剃り上げた坊主頭と、歳不相応に瑞々しい丸顔。そして邪気のカケラも感じられない笑顔が、下駄職人アシダの特徴といえよう。

 しかしこの好漢にも当然ウラは存在する。彼の場合は暗殺代行業『請負人』の元締。そしてノウゼンとは、共に数多くの暗殺仕事を手掛けてきた、いわば戦友の間柄であった。


「まあ。結果として、センセが手塩に掛けて育てたレドラム随一のお医者サマに診てもらえて死なずに済んだ。良い事じゃねェかい」


 アシダが押し付けてきた男、ベタガネは、ノウゼンに対して「娘がここにいる筈だ」とか、「何でもするから娘を返して欲しい」などと門前で喚き散らした末、糸が切れたように気を失ってしまったのだ。


 病や怪我ではなく、どうやら空腹と疲労が限界に達してしまったようである。

 こうなってしまっては事情も聞き出せない。ノウゼンは渋々、弟子の町医者にベタガネを預けると、単身アシダの下を訪ねたのである。


 ……さて、職人街の忙しなくも活気ある様相を尻目に、アシダは朗らかな調子で口を開いた。


「あのベタガネ。今でこそナリは酷ぇもんだが、あれでも昔は、役人お抱えの御用職人だったのヨ。市内あちこちの藩邸にも出入りしてな、お偉方の履物の面倒を見てた」


「知らない仲でもないのか」

「まあな。昔は、奴の名前を知らねえ下駄職人はモグリだって位、有名人だったワケ。オイラもそこそこ世話になってたのヨ」

「さっきから『昔は、昔は』と繰り返しちゃって。つまり……今は落ち目かい」

 ノウゼンは視線を彷徨わせた末、悩みに選んだ言葉を口にした。アシダはたしなめる所か手を叩いて笑い「落ち目どころかすっかり落ちて地面の中さね。コレのせいでな」と言う。同時に彼は丸い手で飲み物を呷る仕草をしてみせた。


「酒か」

「評判は良かったが、酒癖の悪さはもっと酷かった。それで騒ぎばかり起こして仕事を干された挙句、嫁さんはガキを連れて三行半。久々においらンとこやって来た時は、誰か分からねえ位ボロボロでナ。あまりにも見てらんなくて……」

 話を聞いてしまったのだという。ノウゼンは古馴染みのお節介に目を細めて閉口した。


「そ、それにサ。こいつはセンセにも無関係な話しじゃないかもしんないんだ。何たってベタガネはシキミちゃんの、生き別れの親父かもしんねぇんだからヨ」

「何だと!?」

 ノウゼンは目を見開いて驚愕する。それはもう文字通り、腰を浮かせる位の驚き様だった。


 シキミは請負人一味に属する娘だ。まだ若い身ながら、暗殺の手腕にはその筋の人間たちでさえ「一目おく」程の才を持っている。事実、これまでにも彼女の手で、幾人もの標的が命を散らしていた。

 そんな若き暗殺者の……。


「父親だって!?」


「娘の名前もってんだ。センセの一味に、おんなじ名前の娘っ子いるだろう」

 古馴染みの言葉に、ノウゼンは身を乗り出しながら慌てて返した。

「待て、まて。馬鹿を言うな。シキミちゃんの名前は、オレが付けたんだぞ!?」


 ……今からちょうど五年前。シキミはまだ少女だった頃に、町外れの荒野で発見された。最初に出会ったのは、女請負人のフォミカで、しかも運悪く「仕事をしている姿を見られてしまった」のであった。


 当時のシキミは、言ってしまえば心が死んでいた。一時的に身柄を預かったノウゼンが幾ら問いただした所で、目は虚で口も利けず、まるで抜け殻のようだった。


 そんな子であっても、請負人は冷徹に処分しなければならない。『殺しの現場を目撃された以上、自らの存在を公にしてはならぬ』それが裏稼業の重い掟なのだ。


 ……しかし結果として、目撃者は今も生きている。病に冒されて得物を握れなくなったフォミカの代わりに殺しを行う。文字通り「手足となる」条件のもと、処分を免れたのであった。


 そのような宿業を背負ってしまった魂なき娘に、ノウゼンは仮の名を授けたのだ。

 シキミ……と。


「ベタガネの話しだと、嫁さんは五年前、実家に戻るなり流行り病に罹って死んじまったそうだ。それをつい先日、ほとぼりも冷めたからって、嫁の両親が漸く教えたそうな。だが、そこで義理の両親がこう言った……

『娘のシキミも五年前、母親の後を追うように病で死んでしまった』とな」


「ますます訳が分からん。娘が死んだと聞かされたのに、何故お前のもとを訪ねる?」

 ノウゼンはまだ納得いかない様子で尋ねる。

「助言を請いに来たのヨ。何でも、見たんだとサ……街中で、その死んだはずの娘を」

「見間違いとか、勘違いの類いとかだろう」

 ノウゼンは真っ向から否定する。

「成長して幾らか顔つきは変わっていたようだが、ガキの頃の面影はあったとさ。間違いねぇと断言しやがった。んで、どうしても娘に会いたいと騒いで……」

「知り合いにシキミちゃんって娘がいると、名前を出しちまった」

「そういうこと」

 アシダの言葉にノウゼンは深いため息をついた。


「……それじゃあ何だ、オレはたまたま迷子だったシキミちゃんを拾って、たまたま彼女と同じ名前を付けたって、そうアシダちゃんは言いてえのかい。戯言も大概にして欲しいもんだぜ」

「頭ごなしに否定せんでくれヨ。今のベタガネにとっては、どんな戯言でも生きる希望が必要なんだから。それに……」

 アシダは眉を顰めてこう言った。


「シキミちゃんが本当は何者なのか。この機会に、はっきりさせようじゃあないの」


 ……


 しばらく後。

 ノウゼンは市内の甘味処に、シキミと彼女の主人であるフォミカを呼びつけ、事の次第を説明した。


「シキミの父親を名乗る男ね。うーん……」

 フォミカは胡散臭そうに顔を顰めると、うねった長い銀髪をわしゃわしゃかいた。


 青白くも怜悧に整った細面に薄く化粧をし、派手な羽織に男ものの長着を身につけた派手な出立ちをしている。その様は美女というより男装の麗人といった風だ。


「信じられねぇ話しだ。まさか、そのベタガネっての、アタイらを陥れてようって腹じゃあねぇよな」

 そう言うと、彼女は連れ添ってきたシキミを胡乱に見た。

「どうなんでしょうねぇ」

 などとシキミは曖昧に答えると、黒茶碗に盛られた熱々の汁粉を、ふうふう息を吐いて冷まし始める。

「お前が他人事みてぇに言うんじゃねえよ」と、フォミカは呆れ顔でボヤく。


「あの乱れっぷりに偽りは無かったと思うぜ。ベタガネは本当に娘を探している。しかし、それがシキミちゃんだってのが引っ掛かる。この五年、オレらが方々調べ尽くしても手掛かり一つ出てこなかったのに、こんな偶然があるものか」

 これまでノウゼンとフォミカは幾度となく、シキミの正体を明るみにするため、幾度となく調査をした。しかしそれら全ては、虚しく徒労に終わってきた。何しろシキミ本人が「覚えてない」のだから。


「何度聞かれても、思い出せないものは思い出せないんですって。自分のことも、そのお父さんって人のことだって、何一つ」

 シキミはいつも通り能天気に答えると、白玉を頬張った。


「自分のことが思い出せない」という症例は、ノウゼンも話だけなら聞いたことはあった。物の本によると、頭に強い衝撃を受けるとか、脳の病、或いは心の問題など幾つか理由はあるらしい。

 初めて会った頃の状態から考えるに、シキミは確実に記憶を無くしている。そして五年経った今も記憶は戻っていないようだ。


「万が一にだぞ。本当にベタガネがシキミちゃんの親だとしたら。会ったら何か思い出せるんじゃあないかな?」

 ノウゼンは試しに提案してみる。

「うーん。気乗りはしませんねぇ」

「どうしてだい?」

「だってぇ。思い出せなくて困ってる事がないんですもの。あたしは今の、このままのあたしが良いんです」

 ぽややんと答えるシキミに、ノウゼンは肩を落としてため息をついた。


「シキミ。そいつの面ぁ拝みにいくぞ」

 不意にフォミカが低い声で言った。シキミが大きな垂れ目をより丸くしていると、女絵師の口が再び言葉を紡ぐ。

「その男が、お前さんと同じ能天気な面してんのか、遠くから覗くだけだ。テメエとは違って、アタイはその野郎が気になってしょうがねぇ。困ってねえのなら、一目見るくらいどうって事ぁないだろう?」

「はぁ……フォミカさんがそこまで言うのなら……」

 シキミは能天気な丸い狸顔に困ったような笑みを浮かべ、承諾した。



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