仇討無用!-5
(さて、マルトイ屋の依頼はどうするか?)
夕暮れ時の大通り。人力車に揺られながら、ノウゼンはボンヤリ考えていた。
マルトイ屋との会合を終えたノウゼンは、小雀の前で人力車を拾い、モチグサ屋を目指していた。冬手前の冷たい風が、翁の白い総髪をなびかせる。
(意外だったが、あの男から仕事を請け負うのはコレが初めてになるのか。何度か請け負ってきたような気がしたのに……)
ノウゼンは物憂げな面持ちで、彼方の山間に沈んでいく夕陽を見やった。
マルトイ屋は市内随一の豪商でありながら、人柄は温和で、常に笑みを絶やさぬ好人物……との評判を持つ男だ。その一方で、彼のもう一つの顔を知る裏稼業者は「油断ならぬ男」と見做し、畏敬にも似た念を抱いていた。
あの男は商才だけで成り上がったのではない。輝かしい功績の裏には、文字通りどす黒い影が広がっていた。
ある時は殺し屋を雇って商売敵を始末させ、またある時は、息の掛かったゴロツキを雇い、同業者の邪魔をする。
表の笑顔は偽りの仮面。その下に潜む本性は、殺しを生業にする請負人達でさえ用心せねばならぬ男だった。
故にノウゼンは迷っていた。あの男の依頼を二つ返事で請け負って良いものかと。
「先生。えらく神妙な顔をしてやんすねぇ」
若い車夫が声を掛けてきた。二つの足で軽快に地を踏み、人力車を曳き走っているというのに、声色は軽快で息切れもしていない。
「うん? ああ、ちぃと考え事をな。小雀の女将だが、アレに一晩相手をしてもらうにはどうしたら良いかと。頭を悩ませておったのだ」
「はっはっは! 先生も存外、お盛んでやんスねぇ」
下世話な話で誤魔化している内に、人力車は街の大通りに差し掛かった。
この頃は大きな再開発が続き、町の中心部は異国情緒あふれたレンガ造りの建物が並び、路面も真っ平に舗装されている。
そして夜になると沿道にズラリと並ぶガス灯には火がつき始め、闇夜を照らしていく。
「この辺りは夜だってのに、いつも真昼間みてぇに明るいんでやんス」
と、車夫が言う。
「これがもっと増えてくれりゃあ、夜道だって怖かねぇ。何にも見えねえ中、辻斬りやら物盗りやらに怯えずに済む」
嬉しそうに話す車夫。反対にノウゼンの胸中は複雑であった。
(夜中もこう明るいと、夜道で仕掛けるのも難儀するか)
請負人にとって夜は己が姿を消す絶好の世界。それが光によって暴かれる事になっては、いずれ商売にも差し障りが出るだろう。
(仕掛けがし辛い……いや、もはやオレ達のような日陰モンの居場所は無いって事か)
……
目当てのモチグサ屋は、既に店終いを済ませて、表の戸口をピッタリ閉めていた。なればと考えて裏口へと回る。
「あのぅ。ノウゼン先生、せっかくお越しになったというのに申し訳ないんですが」
出迎えた番頭はバツの悪そうな顔で、済まなそうに言った。
「実ぁいま、ちょいと取り込んでおりやして……その」
「フムン。それなら出直そう、いや何、オレもこんな時間に訪ねて済まない事をした」
などと言っていると、番頭の後ろを目当ての二人組が通り過ぎようとしていた。フォミカとシキミ、一味に与する請負人達だ。
「なんだ、ジジイ。ちょうど良い時に来やがって。明日にでも、テメエのツラぁ拝みに行こうと思ってたんだ」
部屋着に色褪せたドテラ姿のフォミカが不敵に笑む。
「番頭さんは都合が悪いと言い、テメエは丁度良かったと抜かす。一体どっちだ?」
訝しむノウゼンだったが、いつの間にか後ろへ回り込んでいたシキミに背中を押され、中へと押し込まれた。
「さあさあ、立ち話も何ですから」
能天気に笑うシキミに、ノウゼンは苦笑いで返す。
(後ろに回られて欲しくは無いんだがな……この子に限っては特に)
そうこうしている内に、フォミカの離れ間に通されたノウゼン。ここで翁は、番頭の発言の意味を理解した。
「なるほど。確かにコイツは取り込んでいるな」
片付けられた部屋の中では、一人の若い剣士が手当を受けていた。右上腕部に怪我を負ったらしく、女の医者が処置を執り行っていた。
「あ、あの」
若い剣士は怪我を負った右腕を差し出しながら、険しいしかめ面に脂汗を浮かべていた。
「もう少しです。あとちょっとの辛抱ですからねぇ」
子をあやす母親のように穏やかな口調で、医者は言葉を返す。
女医は緑色の布で顔の下半分を覆い隠し、口調とは真逆のたいそう真剣な面持ちで、腕の傷を縫い合わせていた。
癖のない長髪は亜麻色で、顔の左右からは三角に尖った長い両耳が伸びている。これはいわゆる亜人であり、その中でも「エルフ」と呼ばれる民族の証であった。
「最初の応急処置、よく出来ていましたよ。お陰で苦労なく済みそうです」
明らかに異国の者のようだが、この国の言葉を淀みなく口にして処置を進めている。
その滑らかな針裁きにはかつて町医者だったノウゼンをして「お美事」と、感嘆する腕前であった。
「……終わりました。お疲れ様です」
長耳の女医はにこやかに笑い、そして口の布を取った。露わになったのは精巧に整った見目麗しい容貌だった。
ティムス・エクセター。海の彼方、イディスという国から医学師範として招かれた、エルフの女性医師だ。
「糸が抜けるまでは安静にしてください。激しく腕を動かしたら、また傷口が開いてしまいますからね」
それから幾つか注意事項を伝えていくティムス。一部始終を見届けたノウゼンは、廊下で待つフォミカに向き直った。
「あの若造。まさか……」
「そうだよ、ウカルだ。マルトイ屋に追われてるらしい。だからテメエに用があるって言ったのさ、ジジイ」
マルトイ屋の名前が出た途端、ノウゼンの白髭に覆われた顔が険しくなった。
……
フォミカとシキミ、それからノウゼンの三人は、離れ屋から抜け出すと、敷地外の小屋へ潜り込んだ。かつては薪小屋として使われていたのだが、長年の風化で崩れた挙句、土砂まで被ってすっかり洞穴と化していた。
まずフォミカはノウゼンにウカルを匿った経緯、加えて彼らから聞いた話を伝えた。
それが終わると今度はノウゼンから、ウカルの暗殺依頼があった事を打ち明けた。もちろん、マルトイ屋の依頼であることは掟に則り隠してだが……。
「へえ。マルトイ屋以外に奴の命を狙ってるのが居るんだねぇ」
全てを聞き終えたフォミカが、ヘラヘラ薄笑いを浮かべた。彼女には依頼人の見当が付いているだろうか。ノウゼンは長年の『信頼』を基に再び口を開く。
「前金はさっき言った通り。今んとこはテメエらだけにしか声を掛けてない、山分けしても充分な金が入るぞ」
「どうしましょうか、フォミカさん。丁度良く家に居ますよ?」
シキミが横から言う。
「バカ。家ン中で殺ったら面倒だろうが」
「そうですか? 手っ取り早く片付けられると思ったんですけども」
サラリと言いのけるシキミ。これにはフォミカとノウゼンも、ぎょっとする。
「怪我人は放っておけねぇとか抜かして、連れて来たのテメエだろうが。まさかテメエで助けた奴を弾く……事くらいは平気でやるタマだったな、シキミは」
「そうだな、それくらいは造作もねぇわな。シキミちゃんは」
納得し合う二人の考えが図れずに、シキミは怪訝に小首を傾げる。
「それはそれとして。割の良い仕事なら二つ返事で請け負ったが。今回のは……どうしたものかな。気が進まねぇ」
気を取り直したフォミカが肩をすくめた。
「お前さんの気持ちも分かるよ」
ノウゼンは渋面を作って長い白髭をさすった。
請負人の下に標的が匿われている。偶然の巡り合わせにしては、きつい冗談だ。
しかし、これでハッキリした。マルトイ屋は請負人に暗殺を依頼する一方、自らも追手を差し向けている。ノウゼンはしばし黙した後、静かに口を開いた。
「……実を言うとだな、おめぇさん方の話を聞いて、ちぃとばかし考えが変わったんだ」
「ノウゼン先生。まさか、断るんですか?」
「そうじゃあないよ、シキミちゃん。決断くだすのを三日ばかり伸ばそうというのさ。その間は、テメエらがどう動こうが知ったこっちゃ無いし、詮索もしない……まあ、そういうこった」
ノウゼンが含んだ笑みをフォミカへ向ける。意図を察したフォミカは、面倒臭そうにうねった銀髪をかく。
「ンだよ。ここはさ、せめて『オレがケツ持つ』くらい、カッコつけやがれ、髭ジジイ」
シキミは「付いていけません」と言いたげな、ポカンと呆けた面持ちで二人のやり取りを見ている。そんな彼女を置いてけぼりにしながら、フォミカは薄笑いを作った。
「まあ、ジジイに貰った時間は大切に使わせて貰う。あんがとよ、それだけ有れば、ソコソコの絵を描ける」
……
……深夜、モチグサ屋の平垣周辺をウロウロ歩き回る影が複数あった。彼らは笠を目深に被り、腰に刀を差して、静かに店の周辺を巡り歩いていた。その動きに無駄はなく、身なりも至って普通だった。
(面倒なのに絡まれやがったな)
請負人のウズは、モチグサ屋の敷地内にそびえる大木の上に身を潜め、件の不審者たちを見張っていた。ウズの目から見れば、三つの影は「油断ならぬ連中」に他ならなかった。
(裏で何度か場数を踏んでやがるな)
ウズは監視対象の動きを把握すると、カラクリ手甲を両手に嵌める。
どれだけの手練れであっても、これさえあれば互角に立ち回れる……そのような絶対的自負をウズは持っていた。
そして影との距離を目算しながら、手首の糸車を回していく。
カリカリカリ。
準備を終えたウズが、手甲を嵌めた右手を前に出して、狙いを定めた……その時だ。
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