仇討無用!-終
新年早々にもかかわらず、診療所には大勢の患者がやって来た。異国より医学師範として招かれているエルフの女医ティムスも、連日診察に駆り出され、忙しなく診察や処置を執り行っていた。
「さっきの患者さんには、痛み止めを渡して下さい。二週間分で」
彼女は最近まで、地蔵峠の脇本陣に留め置かれていた。彼女はコバ藩の剣術指南役毒殺、及びウカル殺害の証人として、防人から聴取を受ける羽目になったのだ。
同じく騒動に巻き込まれたウズと共にアヒサやカカエザキらの所業を正直に伝え、更にレドラムに駐留する外交官の力添えもあってか、無実と判断された。
しかし直ぐに帰る事はできなかった。何しろ事件発生から翌日までの間に、下手人一味全員が謎の死を遂げてしまったのだから。
これにより、ティムスとウズは事態が落ち着くまでの数日を、宿場町で過ごす羽目になった。
その間、ティムスは町内を回り、住人達の診療を行った。その献身的かつ熱心な姿には宿場町の住人はおろか、聴取を担当したコバ藩の剣士達までもが心を打たれたという。
……だがこの振る舞いに、ウズは不安を覚えていた。
「なあ、ティムスさん、身体は大丈夫なのかよ。この所、ずっと働きずめだぜ?」
布団の上でうつ伏せになりながら、ウズは困ったように言った。
無駄のない細く締まった背中には、カカエザキに斬られて出きた刀傷が残っていた。
「大丈夫ですし、休んでもいられません。しばらく留守にしてしまいましたからね、空けていた分は取り戻さないと」
ティムスはハキハキと答えながら、ウズの背中をあらためた。
「うん、良かった……背中の傷、痕は残ってしまいましたが、ちゃんと塞がってます」
彼女はそっと細長い指を傷痕へ伸ばそうとする。その最中にウズがまた口を開いた。
「そういうのをさ『無理をしてる』って言うと思うんだけど。医者が自分の体を自分で壊したら、目も当てらんねえぞ」
「無理なんてしてません」ティムスは引っ込めた手を長衣の袖に隠した。
「むしろ今は忙しくした方が良いと思って。だってそうでしょう、じっとしていたら……嫌でも思い出してしまう」
沈んだ声色を耳にしたウズは、思わず体を起こした。相対したティムスは、褐色の細面に重苦しい表情を浮かべていた。
「事件のこと?」
「ええ……私もそれなりに長く生きて、世の中の良いことや悪いこと、色んな人々の考え方を人並みに見聞きしたつもりです。たとえ血の繋がった家族の命さえ、何とも思わない人が居る。人の命を軽々しく扱う人たちがいることも」
「まあ。世の中いい人ばかりじゃないもんな」
だから、と女医は一間置いて話を続ける。
「だから私は諦めたくないんです。もし悪い心を持ってしまった人たちが、誰かを傷つけるなら、私はその誰かが負った傷を治したい。こんな私でも、一人でも多く、健やかに暮らして貰える出来る手助けができるなら、できる限りの力を尽くしたいんです。だから……だから……」
言葉尻が途切れた途端、ティムスは大粒の涙を溢して、わんわん泣き出した。
ウズは躊躇いつつも火のついた赤子のように泣く彼女をそっと抱きしめる。そして、子をあやすように、優しく背中を撫でた。
(こんな事しちゃダメなんだろうな。だって……人殺しの手なんだぜ、これ)
天井を仰ぎ見るウズの顔は、酷く物憂げであった。
……さて、一連のやり取りを襖越しに見聞きしてしまったノウゼンは、部屋に入ることを辞めて、気まずそうに立ち去った。
そして渡り廊下に差し掛かった所で、一味に属するフォミカと出会してしまった。自称女絵師のフォミカは、いつも通り派手な男ものの着物を着崩しているばかりか、縄を巻きつけた陶製の酒瓶を肩に提げていた。
先の暗殺仕事で体調不良になり掛けたらしいが、今やすっかり回復し、昼間から酒を煽ってすっかり上機嫌だった。
「いよお、ジジイ。フォミカの姉御は向こうに居るんだろう。良い酒が入ったんで、新年の挨拶がてら一緒に呑もうと思ってな」
虚弱体質の女絵師は診療所へ出入りしている内に、すっかりフォミカとも打ち解け、友達同士になっていたようだ。
しかしノウゼンは静かにするよう手振りをして、フォミカを制する。
「向こうには当分、誰も近寄らせたらいかん。しばらくはあの二人だけにしてやろう」
「二人……あ、おい。そういやさっき、ウズの野郎がこっちに来てたのを見かけたが……まさか!?」
察するものがあったフォミカは、ガバッとノウゼンの肩を抱き寄せ、耳打ちする。
「いやいやいや。さっすがにキツいンじゃあねぇの。鍛冶屋見習いの青瓢箪と亜人の女医だぜ? コイツぁ流石に……なぁ?」
「そんなもんは関係ない。崩れ落ちそうな吊り橋に、男女二人置いとけば、自然とネンゴロになっちまうんだから。まあ何だ、男女の心は空模様より複雑怪奇なモノさね」
二人がどの様なやり取りをしていたのかは明かさず、ノウゼンはおどけてみせた。
「それよりテメエ、オレ達より先に顔を合わせとく子が居るんでねぇの。聞いたぜ、レドラムに戻って以来、家に帰ってないんだって?」
間髪入れずに飛んできた追求に、フォミカは不機嫌な顔でノウゼンを突き飛ばす。
「帰った」
「年末年始だけだろ。その後はすぐに出て行って小雀の女将と……わっ、待て。年寄りに手ェ挙げるんじゃねぇ!?」
フォミカが拳を振り上げるなり、白髭老人が慌てて後ずさる。しかし老人は懲りずに言葉を続ける。
「テメエは良くやった。病み上がりとはいえ、仕事を果たした。確かに体の調子は少しずつ戻って来てるんだろうよ。だがな、そうなるまで面倒みてくれて、心の底から心配してる子が居るってのを忘れるな。テメエはその子と……しっかり腹ぁ割って話す必要が有るだろう。違うか?」
くしゃりと顔を歪めて苦笑するノウゼンを、フォミカは拳を振り上げたまま睨み下ろす。やがて彼女は舌打ちを一つして、不機嫌に立ち去って行った。
……
診療所を出て行こうと裏門へと向かうフォミカ。だが、門の外に佇む小さな陰を見て思わず足を止めてしまった。
門の外で待っていたのは世話役のシキミだった。小さな両手で腰帯をきゅっと握り締め、上目遣いにフォミカを睨んでいる。フォミカはバツの悪そうにうねった長い銀髪を掻き回し、辺りをウロウロ見回した。
やぎて、増援は見込めないと観念したのか、女絵師はシキミの下へと歩み寄った。
「よくここが分かったな」
ぶっきらぼうに言う。
「小雀の女将さんが教えてくれました……」
それだけ答えるとシキミも目を伏せて押し黙る。
(シキミの奴。こんなにダンマリできる奴だったっけ。普段はこう……もっと喧しいのに)
やがてフォミカは、何を思いついたのか、不意に口許を綻ばせはじめた。
「……な、なに笑ってんです?」
シキミが口を尖らせて不機嫌に尋ねる。だがフォミカは言葉を返そうとはせず、無言で小さな体に腕を回した。
抱き寄せられたシキミは、目を大きく見開き、ジタバタ抵抗しようとする。だがフォミカの力は予想以上に強く、振り払えない。
「ど、どうして!? 少し前だったら……」
「自分の方が力が強かったって? こう見えてもな、体は持ち直して来てんだ、あんまし舐めるんじゃあねぇよ」
ケラケラ笑ってシキミをより強く抱き締めるフォミカ。そのまま上に持ち上げて、くるくる回ってみせた。
胸元に顔を埋めたシキミがくぐもった悲鳴をあげる様を見て、彼女は更に大きな笑みを溢した。
「……ま、コレもどっかの世話焼きが甲斐甲斐しく世話してくれたお陰……なんだよ、嬉しくなさそうな面ぁして」
「だって……フォミカさん、元気になったら、また自分でお仕事するんでしょう?」
ようやく解放されたシキミは両目に涙を溜めて、か細い声を絞り出す。
「いやです。自分の命くらい、大切にして下さい。その為に……あたしがいるのに」
返ってきた答えにフォミカはポカンと呆ける。そしてしばし間を開けた後、どっと笑った。
「わ、わわ、笑うなぁ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るシキミ。だがフォミカの笑いが治まる気配はない。
「まさかテメエの口から、ンな台詞が出るなんてよ、思っても見なかったぜ。コイツぁ良い、最高の初笑いだぜ!」
そして急に笑顔を消すと、大真面目な面持ちで口を動かした。
「勘違いすんな。オレの復帰とテメエの扱いは別だ。一度でもアタイの手足になったからには、死ぬまで離さねえ。だからよ……コレからも宜しくな」
シキミは丸い頬を赤くさせ、大きな双眸を潤ませる。
(ホント、初めて会った時からずいぶん変わりやがったなあ……)
フォミカはまた銀の長髪をかき、顔ごと視線を逸らしたまま歩き出した。
「まったくよ。ガラにもねぇこと言わすんじゃあねえや。ああクソ! どっかで飲み直して気晴らしだ、シキミ、付き合え!」
「……はぁい」
シキミはニッコリ笑って返事をすると、足早に歩き去る女主人を追いかけた。
(了)
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