仇討無用!-11


 同時刻。遠く離れたレドラム市内のコバ藩邸では、朝早くから旅支度が行われていた。


「急ぐのだ。何としても一刻後にはレドラムを発たぬと、間に合わぬぞ!」

 老いた家臣までもが手を動かして支度を進める様を、留守居役のブガシラは自室の窓から、忌々しげに見ていた。


 手にしているのは届いたばかりの書状。そこには『火急の事態発生につき急ぎ帰国せよ』という旨が書かれていた。藩内で強い影響力を持つブガシラであっても、主命までは無視できなかった。


 先に本国へ向かわせたカカエザキから、報せは届いていない。ならば自ら足を運び、指南役とウカルの死に様をこの目に焼き付けるか。そのように考えていると、障子戸の向こうから声が掛かった。


御留守居おるすい様、お手紙に御座います」

 一娘女中が障子戸を開けてきた。

 あどけなさの残る丸顔に、純朴そうな微笑みを浮かべている。小柄な体躯も相まって、人畜無害が衣を着ているようだ。

 ブガシラは太い眉をひそめて怪訝に尋ねる。

「見ない顔だ」

 尋ねる一方、密かに腰へ挿した脇差に意識を向ける。刀掛けに横たえた大刀には手が届かない。仮にこの女が間者の類であれば、腰の脇差で応戦せねばならないだろう。

 しかし……。

「新入りにございます」

 床に手をついて一礼する娘女中。その振る舞いからは害意の類がいっさい感じられない。ブガシラは、一先ず彼女への警戒を解く事にした。

「早く寄越せ」

「はい、只今」

 戸を閉めた後、女中……に扮した請負人のシキミは、上座のブガシラに手紙を渡した。ブガシラ手紙を開くなり、すぐさま顔をしかめた。

 白紙。手紙には文字など一つも書かれていなかった。

「何も書いておらぬでないか!」

「まあ、何てこと」

 シキミは困惑気味に返しながら、ブガシラのすぐ側まで寄ると、無遠慮に紙を覗き込みだす。

「あら。端っこを見て下さいまし、ちゃんと書いております」

「ううん?」

 シキミは手紙の下を指さして言う。ブガシラは娘女中の無礼も無視して、指された箇所を覗き込む。


 次の瞬間、シキミは手紙に集中していたブガシラの腰から、脇差をそっと引き抜く。

 そしてひと息に急所へ刃を突き刺した!

「アンタの……最期がねぇ!」

 刀を横へ引いて傷口を広げる。


 ブガシラの手から白紙の紙が滑り落ちた。続けてこと切れた彼の体が前に傾ぎ、額が畳の上に着いた。シキミはブガシラの手を取り、刺さったままの脇差を掴ませる。まるで自ら切腹した風に死体を偽装した後、女請負人はまるで最初から居なかったように、痕跡一つ残さず部屋から出て行った。


 ……


 同時刻。大商人のマルトイ屋は、朝餉前の散歩に出ていた。訪ったのは邸宅からほんの二軒ばかり離れた、丘の上にある小さな神社だった。


 風のせいで陽が出ても尚寒く、マルトイ屋は参拝を手早く済ませると、麓への石階段をいそいそ下りた。


 やがて中腹の辺りまで差し掛かった頃、見慣れた男が上ってきた。

 請負人の元締ノウゼン。

 冬の寒風に羽織をはためかせ、音もなく石段を登ってくる老人を、マルトイ屋は足を止めて待ち構える。

 やがて両者は同じ段で並び合い、互いに顔を見合わせた。


「朝からお参りとはご熱心だな」

 ノウゼンは長い白髭の下でニッと微笑む。明朗な表情に穏やかな雰囲気に、何ら不審な所はない。しかしマルトイ屋は、丸く縮こませていた体をブルリと震わせた。


「ええ、まあ。ノウゼン先生こそ、こんな朝早くにどうされたんです?」

 するとノウゼンは紙に包んだ金の束を差し出した。以前に渡した、ウカル殺しの依頼金である。

「金を返しにきたのさ。テメエんとこの連中に先を越されちまったもんだからよお」

 白眉を八の字に歪めて、ノウゼンは苦い笑みをこぼす。


「人が悪いぜマルトイ屋さん。別に怒ってるワケじゃねぇが、せめてひと言、いって貰いたかったな」

 マルトイ屋は「とんだご迷惑おかけしました」と、頭を下げて謝った。


 その一方で、彼は背筋がじわじわと凍て付いていく錯覚に苛まれていた。冷気のせいではない、それ以上に恐ろしいものを、老人の小さな体から感じ取ったのだ。


「どうしても、確実にウカルを消さなければならなかったものでしてね。それで……つい先走った真似を」

 自らの異変にマルトイ屋は驚いていた。コレまでもノウゼンのような裏の人間とは、何度も渡り合ってきた。だというのに、口が思うように動かず、喉が震えて思うように言葉を紡げない。

(畏れているのか、こんな年寄りに?)


「気負うのも無理ねぇか。何たって全てのはコバ藩の重鎮、ブガシラ。再開発の邪魔になる連中を始末して、恩を売っておかなくちゃならねぇかんな」

 気押されていたマルトイ屋は、ここでゴクリと唾を呑んだ。

 ノウゼンには、本当の依頼人がブガシラであるとは伝えていない。そればかりかコバ藩の再開発事業まで知っている。


(全て知られたのか!?)

 だとすれば、ここに来た理由は……マルトイ屋は真っ青な顔で、喚くように言う。

「お金はお返し頂かなくても結構でございます。どうか、どうか、お納め下さいまし!」

 マルトイ屋の慌てぶりが解せないと言わんばかりに、ノウゼンは訝しみながら金を一瞥する。

「急にどうしたってのよ?」

「ど……どうしたって……」

「大丈夫かい、さっきから震えっ放しだぜマルトイ屋さん。さては風邪のひき始めかな? 放っておくと余計に悪くなるぞ。ほれ、早えとこいっちまえ」

 そう言うと紙包を懐に納めて、片方の手をしっしと払うように振った。


 これを金を受け取ってくれたと解釈したマルトイ屋は「有り難うございます!」と、もう一度、深々頭を下げた。

 眼下に最も脆弱な後頭部が曝け出されたその瞬間、ノウゼンは懐から再び手を出す。握られていたのは……暗殺用の長鍼だ。


 冬空から吹き下ろす鋭い寒風のように、ノウゼンの手が素早く振り下ろされる。

 よく研がれた特別製の長鍼は、マルトイ屋の後頭部を貫き、寸分の狂いなく延髄に突き刺さった!


 マルトイ屋は頭を下げたまましばし固まった後、頭から崩れ落ちるように崩れ落ちて、静かに息を引き取った。


 ノウゼンは動かなくなったマルトイ屋の前に金を置く。そして、もはや聞こえる筈のない死体に、こう言い捨てた。

「勘違いすんな。テメエの汚ねぇ銭なんざ要らねえよ」


 ………


 請負人一味の大仕事は、年の瀬の世間を大いに騒がせた。


 コバ藩の留守居役ブガシラが帰国を命じられた直後、遺書も残さずに自刃。更に同日、そのブガシラの庇護を受けていた豪商マルトイ屋までもが外出先で突然死。


 さっそく市中ではコバ藩のお家騒動だの、怨恨だの、はたまた物怪もののけの仕業だの、様々な噂が飛び交った。しかし、捜査や死因究明の術が確立していなかったこの時代において「謎の死」は深く追求される事なく、闇へと葬り去られてしまうのである。


 ……しばらく後。世間の人々が事件を忘れて新年をひと通り祝い終えた頃、地蔵峠の宿場町に防人のエニシダがやって来た。ノウゼンの代理として報酬を受け取りに来たのだ。

「この度は誠にありがとうござんした」

 豪奢な本陣の客間で彼を迎えたのは、暗殺の依頼主……コマ蔵だった。女親分は彼の前に仕留めた人数分の後金を並べると、改めて一礼した。エニシダは小さく頷き、それらを懐へと納めていく。一応は剣士であるだけに、所作の一つ一つは厳か且つ丁寧だった。


「しかし宜しいので? 請負人は依頼人と直接会う事はないと聞いておりやすが?」

「貴女の使いが元締に接触したあの晩、私もそこに居合わせていた。故に事情を知る者として、元締は代理に私を選んだのだろう」

 エニシダはいつもの厳かに硬くした表情で答える。その声色も、心の内側を悟られないよう、敢えて暗くしていた。


「そうでしたか。では、元締には宜しくお伝え下さいまし」

 依頼主のコマ蔵は隻眼の目尻を垂れ下げて薄く笑う。取り繕う時に作る、乾いた冷たい笑みだ。それを直視しながら、エニシダは依頼を受けた日のことをふと思い返した。


 ……あの晩、エニシダとノウゼンを訪ねてきたのはコマ蔵の手下だった。

「親分より言伝を預かって参りやした」

 その手下は二人にコマ蔵からの伝言……即ち、殺しの依頼をしてきた。無論ノウゼンは裏を探るべく、幾つか質問を投げかける。すると、その手下は予め持たされていた手紙を二人に見せ、包み隠さず全てを打ち明けた。


「……分かった。依頼、しかと聞き入れた」

 こうして、ノウゼンが仕事を請け負い、一味が動き出したのであった。


(手紙には俺がフォミカ達に伝えた一連の真相が書かれていた。ブガシラ達は周りを欺き、謀を進めていたようだが実際は筒抜けだった)

 エニシダは「フムン」と小さく呟いた後、試しに尋ねた。

「親分殿、手紙に書かれていた諸々は、全てあなたが調べ上げたのか?」


「忘八者には細い調べ物は出来ねぇと……お役人様はお思いかい」

 コマ蔵は湯気だつ熱い茶を手に取ると、ゆっくり口もとへ運んだ。


「そうではない。貴女は手の者達を使い、確かに探りを入れた。だが全てではない。あの中には、コバ藩の奥深くまで入り込まねば、手に入らぬようなもあった筈だ」

「何を仰りたいので?」

「いや何、宿場町のまとめ役だけあって各方面に顔が効くのだと、関心しているのだ」

「……お役人様は見た目の割にお喋りのようだ。あまり関心しませんよ」

「フムン。ではこの話はここまでにしよう」

 エニシダは素直に引き下がった。


 彼は一つの推測を立てていた。そしてそれは当たっているらしい。コマ蔵が釘を刺したのが何よりの証だ。


 コマ蔵はあくまで繋ぎ……本当の依頼人はコバ藩そのものだ。ブガシラの増長を良しとせず、そして自ら手を汚さぬよう裏の人脈を伝って始末に乗り出した。

(今後コマ蔵の依頼には気をつけるべきだな。政争の道具にもされかねんと、ノウゼンには釘を刺しておこう)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る