仇討無用!-10
カカエザキは刀へ伸ばそうとした手を止めて、突然現れた男を胡乱げに見やった。
「レドラムの町役人が何の用だ?」
防人のエニシダは軽く一礼をすると、初めて会った時のように、重く低い声でカカエザキに言った。
「カカエザキ殿に火急の報せがあり、参上した次第です。余り大声では言えぬ内容なので、どうかこちらへ……」
エニシダはチョイチョイと小さく手招きをする。カカエザキは傷顔を顰めながら、それでもエニシダへと近づいてしまう。格下の木端役人という先入観が、油断を生んでしまったのである。
侮られているエニシダは、既に後ろ手に十手型空気銃を握っていた。
安全装置兼引金である鉤は、既に半回転させて発射準備完了、いつでも撃てる状態である。
そしてカカエザキがエニシダの側に近づいた次の瞬間……。
「カカエザキ様ぁ! 大変に御座います!」
路地の向こう側から二人分の影が駆けてきた。カカエザキが屯所に走らせた双子剣士だ。
「屯所の役人共が姿を消しております!」
「何!?」
驚いたカカエザキが体の向きを変えた。そのせいで標的の体が銃の射線から外れてしまう。暗殺の機を逃したエニシダであったが、表裏とも乱れず沈着冷静を貫く。
機はまた来る。それも、今以上に大きな機が!
(さあ、お前の出番だぞ)
向かってくる双子剣士の前に、ほっそりした影が立ちはだかった。
露草色の羽織に白い長着で身を固めた色白女だ。細顔の下半分は黒緑の布で覆い隠し、漆塗りの杖を一本握りしめている。
双子剣士たちは女の放つ殺気に気づき、速度を緩めることなく刀を抜いた。
両者の間合いがみるみる内に縮まり、双子剣士たちが先に刀を振り下ろした。
左右から迫る鈍色の刃の軌跡を、女……請負人のフォミカはしっかり捉えていた。
女請負人は一度体を沈み込ませると、目にもとまらぬ速さで杖の先を引き抜いた。
杖の中から飛び出てきたのは白銀の厚い刃……杖の正体は仕込刀であった。
斬!
左側から迫った一人目の胴を薙ぎ斬ると、瞬時に手首を返し、頭上に迫る斬撃を血濡れた刃で受け止めてしまう。
「あ、兄……じゃ」
斬られた弟は腹を抱えながら地面に崩れ落ちる。双子の兄は激昂し、力任せにフォミカをへし斬らんと刀を持つ手に力を込めた。
枯れ枝のように細い女。腕力だけでねじ伏せてしまえ。そのように考えてより力を込める双子の兄。
ニヤリ。フォミカは覆い隠した布の下で微笑んだ。そして不意に力を抜きつつ、体を横にズラした。
力んでいた双子兄の体が、前につんのめってしまう。
(嵌められた!?)
体崩しを成功させたフォミカは、双子の兄の背後に回り込み、仕込刀を振り下ろす。
ザシュッ……という軽快な音と共に、双子兄は肩から腰にかけてバッサリ斬られた。
双子兄はくぐもった音を喉から絞り出しながら、前のめりに倒れる。一瞬……余りにも呆気ない、あっという間の出来事であった。
「貴様。我らをコバ藩の者と知っての狼藉か!?」
慌ててカカエザキも刀を抜こうとする。だが横からエニシダの手が素早く伸びて、手首を掴んで止めてしまった。
カカエザキは驚きつつも力む。しかし……エニシダの細腕は見かけに反して岩のように重い力で抑え込んできていた。
「え、エニシダぁ!?」
顔を真っ赤にして吠えるカカエザキ。
「報せがあると言っただろう……地獄からの報せだ……死ね」
エニシダは凍て付くほどに冷えた顔つきで十手型空気銃の先端をカカエザキの顎下に押し付け、即座に鉤を指で押し込んだ。
銃口から針弾が撃ち出された。よく研がれた弾丸は音もなくカカエザキの顎下から入り込み、脳天へと到達した。
ぐらっとカカエザキの体から力が抜け、エニシダの側に崩れ落ちる。それを静かに地面へ転がしたエニシダは、壁にもたれかかって休んでいるフォミカに顔を向けた。
フォミカは肩で喘ぐように息をしながら、仕込刀を杖の中に納めていた。
「痩せ我慢は程々にしろ」
忌々しげに呟きながらも、エニシダは彼女のもとへ駆け寄り、肩を貸してやる、
「うるせぇ、小姑は一人で足りてんだ。それに……偶にはカッコつけさせろや」
フォミカは死人めいた蒼白の顔に玉汗を浮かばせながらも、誇らしげに笑ってみせた。
……
……翌朝。
城下町の寺院で一晩を明かしたアヒサは、浮かない顔で窓の外を眺めていた。
目の前に漂う乳白色の濃ゆい霧は、一寸先の景色さえ包み隠している。どれだけ目を凝らそうにも、目の前の庭園の景色さえよく見えない有様だ。
(いつになったら帰ってくるのかしら?)
不安を堪えるように、アヒサは襟元を強く握りしめた。
今のアヒサは、父と家を一度に失った悲劇の娘として、城下有数の寺院の世話になっていた。彼女に疑惑の目を向ける者は殆どなく、あとは逃した目撃者達さえ消して終えば懸念は全て消える。
その後始末にカカエザキとその手下達が昨日から宿場町に向かったのだが、一晩経っても戻る気配がない。
アヒサが気を揉んでいる理由がそれだった。
まだ始末がついていないのか?
ぐるぐると不安と疑問が渦を巻き、アヒサの胸を何度も締め付けてくる。その度に彼女は己に強く言い聞かせるのだった。
(落ち着きなさいよ。もう直ぐなんだから)
深呼吸もして心を落ち着かせる。しかし、動悸は一向に治る気配をみせない。その内に、胸の内ではこれまで抑え込んできた、粘っこい泥のような怒りが、フツフツと込み上げ始めてきた。
(なにが剣士の家柄よ。威張れるのは名ばかりの看板だけだったじゃない)
剣術指南役といえば聞こえは良い。しかし実際の所、暮らし向きは良いモノとはいえなかった。
奉公人への俸給に、馬や屋敷、道場、それに領地……格式なんてものの為に嵩んだ出費の数々。アヒサもまた「剣士の娘」として相応しい女になるよう、金をかけて教養の類を身につけてさせられた『出費』の一つだった。
こうした苦労を一手に引き受けたのは母であった。見栄を張るのが仕事の父に代わり、母は娘の教育をはじめ、二束三文の内職までして家を助け、剣士の妻として家を支え続けた。その過労が祟って亡くなったのが三年前……ブガシラが土地の買収を始めた頃だ。
当時からあの男は、河川の再開発に乗り出しており、父が持つ川沿いの土地も買い取ろうとしていた。
(それを父は拒絶した。アタシ達には一言も相談せずに。何が思い出の地よ。価値のない思い出なんか手放していれば、母様をもっと良い医者に診せることもできた。よく効くお薬だって買えたのに。アイツのせいで!)
母の死を経てアヒサは決心した。虚勢の為に母を見殺した父から全てを奪ってやるのだ。そして、手に入れた金で……自由になる!
大きく息を吐いた後、アヒサは腰を上げた。外の空気が吸いたい。これから新しい人生が始まるのだ、せめて心地よい気分で迎えたい。
……こうして部屋の外に出てきた標的のアヒサを、請負人のウズが気配を消して見張っていた。
赤と青の装束を身にまとい、顔には面頰まで装着している。その姿はさながら忍びの者である。
そのような姿で彼は待ち続けていた。アヒサが廊下に出てくる瞬間を、霧に気配すら溶け込ませて、屋根の上でずっと待っていた。
ようやく訪れた機会を前にしても、ウズは動じる事なく、屋根伝いに這い進んでアヒサを追いかけ始めた。
仕掛ける場所は講堂へと通じる中庭の渡り廊下。その中腹は一段低い窪地に位置しており、周囲の建物からも見え辛くなっていた。加えて未だに晴れぬ濃霧が、ウズの存在さえも包み隠していた。
ウズは尚も蜘蛛のように素早く這って進み、やがてアヒサを通り越して、仕掛け場所へと到達。そして得物の手製カラクリ手甲に、糸車を装着した。
糸の先には尖らせた錘が取り付けられており、ウズはそれを静かに引いていく。
そうこうしている内に、アヒサが真下までやって来た。距離、位置、自機……全てが揃う瞬間が訪れる。
(今だ!)ウズは屋根の軒に膝裏を引っ掛けて後転、逆さになった状態で、カラクリ手甲から糸付きの錘を打ちだした。
たちまちの内に、アヒサの細首に糸が巻きつく。彼女は突然の奇襲に驚きながらも、糸を解こうともがく。だがウズは手甲のカラクリを作動させ、糸を巻き上げ始めた。
機械の力は余りにも強く、アヒサは首を絞められたまま、容易く引きづられていく。
ウズは巻き上げを続けながら、再び屋根の上に戻った。対するアヒサは床板から足を離して、軒先に吊るされてしまう。
「ぐぅ……えっ……げっ……!?」
首の糸に指を立ててもがき苦しむアヒサ。バタバタ暴れる彼女を冷徹に見下ろしながら、ウズはもう片方の手で、張り詰めた糸を強く引く。
糸はもう一段階強く首に抉り込み、文字通りアヒサの息の根を止めた。散々暴れていたアヒサの体がダラリと垂れ下がり、完全に沈黙。
その最期の姿を見下ろしていたウズは、面頰の裏で大きく息を吐くと、仕留めたアヒサの体から糸を外した。
アヒサの骸が乳白色の霧が立ち込める地上へ落ちて行く。ドサリという音と共に地面に転がった骸を見届けると、仕事を終えた請負人は、また霧の中へと消えていった。
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