あんたこの絵札どう思う?-3


 エニシダは街の治安を司る「防人」に属する役人だ。防人のような公的組織は、古くから士分格の者……この国では「剣士」と呼ばれる者達によって運営されてきた。そしてエニシダは「巡卒じゅんそつ」という、下級身分の剣士であった。


「仕事嫌いのお前さんが人探しを頼まれるたぁな。しかも頼み人は、あのマンテン堂。花札やら双六すごろくやら、遊び道具作らせたら右に出る者はいない大店だ」

 女絵師のフォミカは口の端を吊り上げ、挑発するような物言いをした。


 あの後エニシダは、マンテン堂からモチグサ屋の離れ屋に直行。絵札を手がけた絵師、フォミカから話を聞くことにした。


「そこの主人がよりにもよって、テメエに声掛けるたぁ、どんな手妻てづま使ったのさ?」

「何も。兼ねてからの知り合いだ。どこぞの絵描きを自称する放蕩者に比べたら、この羽織の方が信頼できると思って、助けを求めたのだろう」

 エニシダはさも生真面目な態度で答える。その厳かな鉄面皮を見たフォミカは、二の句を注ぐ事も諦め、湯呑の茶をぐいっと煽る。


「やい若殿、近ごろのテメエは何だ。ヤケに突っかかってくれるじゃあねぇの」

「貴様のに合った返答をしてやっているまでだ」

 などと言い返し、己のこめかみに指をあてるエニシダ。


「二人ともいつまで続けるんです?」

 遠慮がちにシキミが口を挟むと、二人は不機嫌な顔で口をつぐんだ。


「それで若殿様。彫師の……ケワリさんが居なくなったのって、いつなんです?」

 静かになった所でシキミが尋ねた。

「店主が失踪に気付いたのは今朝の事だ。久しぶりに仕事を頼もうと工房兼住居に行ってみたら、無人だったらしい」

 エニシダは目を瞑り、マンテン堂の店主から聞いた話を思い返す。


「ただの留守ではない。家も工房も、酷く荒れ果てていたそうだ。おそらくは……」

「ずっと前から姿を消していた? アタイも一年前、報酬を受取りにケワリの家に行ったがよ。そん時も留守で金を取りそびれたぜ」

 フォミカは背中を丸めて後ろ首を掻く。

「まさか若殿ぉ。一年前から消えちまっていたとか言うんじゃねぇよな?」


「可能性はある。ケワリはマンテン堂に完成した絵札を納めて金を受け取ると、すぐに帰ってしまったそうだ。おそらくその道中で何かあった」

 エニシダは腕を組んで小さく唸る。それからフォミカに質問を投げた。


「覚えている範囲で良いから教えてくれ。最後にケワリと会った時、何か不審な点は無かったか? 落ち着きが無かったりとか、気が立っていたりとか」


 尋ねられたフォミカは少し悩んだ後、首を左右に振った。

「普段通りだった……と思う。あんまし覚えてねぇけど」

「人間関係や金回りで良からぬ噂はあったか?」

「うーん……そもそもあの野郎、その手の揉め事に巻き込まれるのが嫌で、同業とも距離を置いてたってハナシだ。金だって、それこそ揉め事の種になるとかで、銭一枚でも貸し借りしないって公言していたらしい」

「徹底してますね」

 シキミが横から口を挟む。


「なかなか変人だったと思うぜ。口約束はいっさいしない。仕事請けるのも、人に頼むのにも必ず証文だー、覚書だーと騒ぐ。どんな小さな落書きにでも巻物一巻分の覚書。この絵札に関しちゃ、アタイも骨が折れたよ、特に雑事でな」

「それだけめんど……じゃなかった、慎重な人だったんでしょうけども。却って余計な騒動に繋がりそう」

 シキミは太い眉を歪めて困惑する。


「その通り。実際はあちこちで面倒起こして回って干されかかっていたぜ。今までケワリが消えたと騒ぐ奴が現れなかっただけで、その……人となり(?)ってのが予想つくだろう、若殿?」

 フォミカは呆れ混じりに肩を竦めてみせる。ずっと彼女の話しに耳を傾けていたエニシダは「そうらしいな」と、静かに同意してみせた。


 ………


 ……しばし後、聞き取りを終えたエニシダが撤収した。まもなく夕方に差し掛かる時刻、高々と輝いていた陽も、西に傾き始めている。

「若殿様。この後も仕事なのかしら?」

 フォミカの湯呑みに茶を注ぎ足しながら、シキミは呟くように言う。


「いいや、アイツのことだ。きっと番所には戻らんだろうぜ」

 フォミカはニヤニヤ笑いながら言う。


「言っただろう、若殿の野郎はマジで仕事嫌いなんだ。今ごろはコレじゃあねえの?」

 フォミカが酒を飲む仕草をしてみせると、シキミが眉をひそめた。

「まさか! ずっと真面目な顔して話を聞いてましたし、それに……防人の制服を着たままですか?」


 ……そのまさかであった。

 エニシダはモチグサ屋を出ると、屯所とは正反対の方角に位置する歓楽街……通称「丘街」へと足を運んだ。それも着替えずに官服のまま。

 そして、丘下の水路前に店を構える舟宿『カサゴ屋』の暖簾を、何食わぬ顔で潜ったのである。


「あのう、旦那……」

 入ってきたエニシダに、手代が困惑顔で話しかける。

「いつもご贔屓にして頂き、大変有り難えんでやんすが、その……ちょいとコレは……」

 手代は己の衣を指で摘んでみせる。エニシダは、身につけていた羽織に目を下ろし、直ぐに理解した。


「ダメか?」

 その上で敢えて尋ねる。官服で店に来ては駄目なのかと。

「ダメって訳じゃあねぇんですが。ええと、他のお客様が驚いてしまうでしょう?」

「巡卒の姿を見て驚く? ふむん、この店はお上に見られたくない、後ろ暗い輩まで出入りしているのか?」

 エニシダは大真面目な態度で、広い玄関をチラリと見渡す。


 隣に居た二人組の男女は、視線を合わせないように、それとなく体の向きを変えていた。髭も生えて居ない若い男に妙齢の婦人という組み合わせだった。


 彼らにエニシダの注意を向けられたくない手代は、心底困った様子で言い返した。

「勘弁して下せぇ。この宿に後ろ暗い所なんて無いこと、旦那が一番ご存知でしょう。意地悪な事ぁ言わんで下さい!」


 するとエニシダは薄笑いを浮かべて、手代の手にを握らせた。

「わかっている、意地悪をして済まん。今晩も奥を借りたい。それと……」

「はいはい、ハナ坊でしょう。手が空いたら旦那の下に行くよう伝えておきます。どうぞお上がりくだせぇ」


 ………


「……ねえ若殿。ずっと気になってたんだけどサ。アンタだけどうして羽織なのヨ。他の見廻りはみんな、上下揃いの黒い官服だってのに」

 宿の奥にある、とある座敷部屋で夕食にありついたエニシダ。そんな彼に酌をしていた馴染みの女中が、気がついたらように尋ねた。


「制服が足らんのだ。官人は率先して改革に励めと騒がれているが、全ての役人に官服を行き渡らせ、且つ予備まで配る余裕が無いらしい」

 エニシダはそう言うと、酒で潤わせた口に豆腐田楽を運ぶ。

 田楽には刻み生姜を混ぜ合わせた甘味噌が塗られ、軽く炙ってあった。このひと手間加えて香味を引き立てた料理が、若殿の好物であった。


「そこに来て今度は人手不足だ。お陰でどこもかしこも手が回らず、内勤の俺まで見廻に駆り出される始末。なのに俸給は下がるばかり……ご一新が聞いて呆れる」

「あらあら。今日はヤケに荒れてらっしゃるコト。いやだわ怖いわァ」

 女中は意地の悪い冷笑を作りながら、若殿のぐい呑みに酒を注いだ。


 そんな時に襖が開いた。来訪者は半纏に前掛姿の少年。彼は廊下に膝をつき、軽く一礼する。

「お呼びだそうで、若殿」

「頼みたいことがあってな。入ってくれ、ハナ坊」

 招かれた少年が部屋の中に入ると、

「では、また後で」

 女中が入れ替わる形で退室していく。やがて襖が閉じて足音が遠のいた所で、若殿が口を開いた。


「板の大将は元気か、ハナ坊」

「そりゃあもう。朝から晩まで包丁握ってねえと逆に落ち着かないって位、猛烈に働いてますぜ。昔より活き活き……やべ」

 ハナ坊と呼ばれた少年は、話の最中で咄嗟に口を覆い隠す。

「お前さんも、相変わらずで何よりだ」

 エニシダは少年に対して薄らと、温かい微笑を向けた。


 板の大将こと、カサゴ屋の板前は、かつて防人が子飼いにしていた御用聞きであった。


 御用聞きは正規の役人ではなく、各巡卒がそれぞれ非合法に雇入れ、街の治安維持の一手を引き受けていた。しかしこの業態が仇となり、ご一新による組織改革の末、御用聞きの雇入れは正式に禁止となってしまった。

 さて、板の大将は御用聞きを辞めた後、子分のハナ坊共々、舟宿の従業員に落ち着いていた。彼らは本業の傍ら、昔のようにエニシダの副業を手伝っているのだった。


 ……さて。

「それで若殿。頼みって何なんスか?」

 ハナ坊は尋ねながら、エニシダの膳にそっと手を伸ばす。

「話の後で食わせてやる」

 ハナ坊の手を叩きながら、エニシダはケワリの捜索依頼について話した。


「……人探しだね、わかった。そのケワリって彫師、どんな人相なの?」

 質問を受けたエニシダは、マンテン堂からもらった、人相絵の複製をハナ坊に渡した。


「あと後ろ首には、的の刺青が彫ってあるそうだ」

「ふうん……コイツは表の仕事かい?」

 ハナ坊が重ねて質問する。


「表の仕事だ。だが、頼みごと以外にも気になる『ネタ』には充分に気を配ってくれ。特に裏で売れそうな噂だ。内容次第では報酬も弾んでやる」

 などと言い結んだエニシダは、ぐい呑みの酒を一息に飲み干した。


 エニシダ・セツカ。表の顔は警察業務を担う防人方の巡卒。一方で彼は、ハナ坊のような密偵を抱える、裏の情報屋でもあった。

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