あんたこの絵札どう思う?-4
数日後。フォミカはシキミを伴って、昼下がりの街に繰り出していた。
外出時に限ってこの女絵師は、普段の着古した浴衣では無く、艶やかな男ものの長着に袖を通し、髪から化粧、果ては小間物に至るまで、しっかり身なりを整えるのである。
こうなるとフォミカは、中性的かつ蠱惑的な人物に様変わりし、思わずゾッとするような、怖い魅力を振り撒くのである。
……さて、二人は往来賑わう大通りを避けて、一本裏手の道を歩いていた。
彼女達のように表の賑わいを避けたい通行人が道を行き交い、彼らを相手にした小さな露店も幾つか開かれている。二人の目当てはここでは無く、通りをずっと進んだ先の古道具屋であった。
店先には客が売り払ったであろう、大小様々な中古品の数々が並んでいた。
「さーな。大事な仕事道具を泣く泣く売っ払った悲しい輩は居ねえかなぁ?」
フォミカは顎先に手を当て、品物をぐるりと見渡す。
「せめて仕事道具くらい新品を買いましょうよ、フォミカさん」
呆れ半分にシキミは言うが、主人の耳に届いた気配は無い。
フォミカは滅多な事では絵道具を新調しようとしない。物を大切にする気概……というより、頓着していないのだ。
故に道具が壊れたとか、買い足したい時は、決まって質屋やら古道具屋などから、使い古しの安物を買うのである。
さて。商家の中は縦に長く、両脇には壁を埋め尽くさんばかりの品物がズラリと並んでいる。それでも足りないらしく、軽い衣類などは天井から吊り下げている有様だった。
「こ、こんなに沢山……」
「何にでも値段は付くもんだ。
フォミカはビードロの玩具を手に取る。管に息を吹き掛ければポペンと音が鳴る仕組みだ。試しに吹いてみようとした彼女に、声が掛かった。
「口つけたら買い取って貰うぞ」
顔を向けると店奥に壮年の男が居た。黒ずんだ縦長の顔は不機嫌そのもの、小さな三白眼が来客であるフォミカ達を見据える。どうやらこの男が店主だと、二人は見当を付けた。
「そうかい。幾らよ?」
尋ねた直後にフォミカはポッペンを吹いて鳴らす。紅を薄く塗った口の端をつり上げ、挑発するような笑みを作った。
シキミがあわあわしていると、険呑な雰囲気を発する店主の後ろから、もう一つ声が聞こえてきた。
「16ゼン(註・屋台のかけ蕎麦一杯相当)ですよ、お客さんがた」
薄口だが女受けしそうな顔に笑みを作った若い男が、店主の傍らに立った。ひと崩し柄の着流しに清潔感ある身なりは、如何にも好青年といった風である。
「それじゃあ払ってやる、良かったな」
小首を傾けて皮肉に微笑む。
「てめえ」凄む店主を抑えるように若者が宥める。
「まあまあ、ワングゥさん。品物が一つ売れたんですから」
若者は店主を落ち着かせると、フォミカ達に愛想の良い態度で近づいてきた。
「お二人はよくこちらの店へ?」
「いいや、初めてだ。ちょいと探し物をね」
「絵の道具です」
フォミカとシキミが順番に答えた。
「絵? あの、失礼ですがお姉さん。絵を描かれる……しまった、コイツは失礼を」
若者はフォミカの細面に浮かんだ不機嫌の色を瞬時に見抜いて謝った。
「本当に申し訳ないと思っています、自分はキラズリ屋で三番番頭をしています、バンゲンと申します。こちらは古道具屋の店主、ワングゥさん」
フォミカは片方の眉をヒクリと動かした。
キラズリ屋は市内有数の地本問屋だ。大衆向けの地本をはじめ、大物絵師の企画出版まで手掛ける有力店だ。そこまでの大店となると、店を仕切る番頭も複数人置かなければ仕事が回らない。このバンゲンは、序列でいけば三番目の番頭にあたるようだ。
しかしなぜ、そんな男が場末の古道具屋に?
擬念を抱くフォミカに、バンゲンは親しげな様子で話を続けた。
「実はアレがどれだけ世に出回っているか、確かめていたんです」
フォミカが尋ねると、バンゲンはそっと横を指さす。フォミカとシキミは、揃って首を動かした途端に唖然とした。
丁寧に磨かれた黒壁に、複数枚の絵札が立て掛けられていた。奇妙奇天烈魑魅魍魎な姿をした生き物が描かれた絵札。
「バケモン札!?」
うわずった声を発したのはシキミだ。
「ご存知でしたか、バケモン札を。マンテン堂さんがウチの店に卸している目玉商品なんです。今はこうして中古屋でも出回っているようです」
バンゲンは和やかに言っている横で、シキミがバケモン札に近づく。
「ぎょえぇっ!?」
素っ頓狂な声をあげた。
「ななな……何なんですか、この値段!」
シキミは名札を指さし、フォミカと絵札を繰り返して見交わす。
札の手前に置かれた名札の金額は、絵札一枚にしては法外そのもの。金貨一枚分の価格が付いていると思えば、それ以上にも法外な値段が付いている絵札ばかりが掲げてあった。
その中でも特に高値が付いていたのが、152番の番号が振られた絵札。
フォミカは口には出さなかったものの、内心非常に慌てていた。
猫とネズミを掛け合わせたようなバケモン。その名も『ニュウ』
彼女がケワリに頼まれて描いた絵札だ。
「バケモン札は流行りに反して流通量が少ないようでね。お陰で絵札一枚にもこの値段が付くんです」
「絵の付いた札一枚にここまで……」
渋面で腕を組むフォミカ。彼女に向かってバンゲンは苦い笑みを向けた。
「この絵札に己の全てを捧げる数奇な者達がいるんです。彼らが珍しい札を求め続ける限り、価格はどんどん上がっていきますよ」
………
同時刻。
「……まあそんなワケで大変なことになってましてね」
マンテン堂は肩を落として言う。
「元々あの札は、懇意の株仲間だけに配っていた遊び道具でした。それが先々で評判になり、遊ぶ者が増えて」
「その人数に反して札の数が足りないと?」
尋ねたのは腕を組んで佇むエニシダ。マンテン堂は力なく頷いた。
「そうです。加えて近ごろは、良からぬ輩がバケモン札を買い占めた挙句、高値で他所に売りつける……要は転売が流行ってましてな。遊びたいのに売っている札が足りない、買おうにも法外な値段が付いて手が出せない。こんな有様で……」
「難儀な話だ」
そう言ってエニシダも眉間にシワを寄せた。
「いまは札を作ってもらった人達に声を掛けて回って増刷を急いでます。供給量さえ増えれば札の価値も抑える事ができる。だから、最後の一枚を手掛けたケワリさんにも協力をお願いしたかったのですが……」
エニシダは廃墟と化した室内を見渡した。
「この有様だものな」
……二人はケワリの家に来ていた。彼の住まいは長屋連なる住宅街の外れにある一軒家で、敷地内に小さな工房が建っている。
その何れもが放置され、すっかり荒れ果ててしまっている。加えて家や工房には、何者かが荒らした痕跡も見られた。
棚はひっくり返され、引き出しも全て抜かれ、中身は床に放り投げられている。
(物盗りにでもあったか。それとも、失踪と関係があるのか)
思案を巡らせていると、不意にマンテン堂が「あ」と声をあげた。
「旦那。いま外に誰かが!」
エニシダはマンテン堂の指さす先へ駆けた。もはや外と変わらない汚れた畳の部屋を抜けて裏庭に飛び出す。
すると、旅装束に身を包んだ小太りな男が一人、慌てて生垣を越えようとしていた。
「防人だ。止まれ!」
エニシダが鋭い声が制すると、男は大人しく動きを止めて振り返る。
「あ、あのぉ……」
男は脱いだ笠を手にオドオド立ち尽くす。丸顔で口の周りに剃り残しの髭を散らしていた。
「そう怖がるな、話しを聞きたいだけだ。まず貴様の名前は?」
「へぇ……ドウサといいます。奥方で版画の
奥方とは、宮廷が置かれている西部地方の事である。ドウサと名乗った旅人は、奥方の役所が発行した通行手形をエニシダに見せて、身分を証明してみせた。
「この家の住人とは知り合いなのか?」
「ケワリさんとは何度か一緒に仕事をした間柄です。でもあの……ケワリさんは?」
ドウサは不安げな面持ちで廃れた家屋を見やった。
「残念だが、しばらく行方不明になっている。最後にケワリと会ったのは?」
通行手形を返しながら、質問する。
「一年前です。何やら変わった絵札の色板づくりを頼まれて、はい……」
「それはもしやバケモン札!?」
遅れてやって来たマンテン堂が会話に割り込んできた。ドウサは目を丸くして頷く。
「そ、そうです。一枚だけでしたが」
ドウサもバケモン札作りの関係者のようだ。思わぬ収穫を得たエニシダは、より詳しく聞き出そうと試みた。
「向こうへ帰る直前、ケワリさんが仕事を頼みたいと来たんです。世話になっていたし、最後に一枚くらいと思って、色摺を引き受けたんです」
ドウサは後退を始めた頭髪をかきながら、記憶を遡っていく。
「そうだ。確か、ワタシが完成品を渡したその足で、お客さんに納めに行くとか言ってた気がします」
「その後、ケワリとは会ったか?」
「いいえ。ワタシも次の日にはレドラムを発ったんです。そのせいで、ケワリさんから借りていた版木を返し忘れてしまって……」
ドウサはそういうと、持っていた風呂敷包を解いてみせた。
「返そうにもここ一年は身の回りが慌ただしくて、なかなか動けず。ようやく来れたと思ったら、肝心のケワリさんが行方知れずとは」
露わになったのは絵図の彫られた木板。縦横に等しく並ぶ絵はどれも同じ。ネズミと猫を掛け合わせたような小さな生き物……。
「ああっ! この絵は、正にバケモン札の原板ですよお!」
覗き込んでいたマンテン堂がうわずった声をあげる。
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