あんたこの絵札どう思う?-5


 防人の番所はレドラム市の南北二ヶ所の地区に置かれている。

 その一つ、南番所の敷地では新庁舎の建設が進められていた。異国から風変わりな身なりをした亜人の技師まで呼び、洋式の建物を建ており、作業工程は三分の一まで達していた。


 その傍らで、防人の役人たちは日頃の治安維持に忙殺されながら、庁舎建設に伴う引越し準備を進めている。

……のだが、彼らとて一人の人間。気心知れた者同士が集まれば、自然と雑談が始まる。


「ねえ、先輩。今夜あたりどうッスか、丘街?」

 若い巡卒が猪口を呷る仕草をして尋ねる。先輩格の巡卒はニンマリ笑顔で頷いた。

「いいぞ、今日は禄が入る日だ。久方ぶりに羽を伸ばそうじゃあないか」

などと言っている間に同僚たちが集まりだし、今夜の予定を賑やかに決めていく。


 そんな時に誰かが口走った。

「若殿さんはどうします。声をかけます?」

 すると、中年巡卒が呆れ顔で首を左右に振った。

「やめとけ、やめとけ。アイツは付き合いが悪い。誘っても楽しいんだか、楽しくないんだか……」

「ええと、あの……何であの人『若殿』さんなんて呼ばれてるんですか?」

若い巡卒が皆を見回して尋ねる。


「北町にいた頃のあだ名だってよ。見た目が気品漂う見た目とか物腰をしてるからって。そのお陰で女受けはするそうだが、上からは使い走りばかりさせられてるそうだぞ」

「見た目に反してパッとしない人なんスね」

若い巡卒は複雑な面持ちで呟く。


 ……さて、皆に噂されている件の人物は、市内の屯所に居た。

「良いのかい、こんな所で油を売ってさ。番所は引っ越し準備で大忙しなんだろう」

 そう尋ねるのは同じく巡卒で、アブノメという男だった。


「ま、かくいう俺もこの通り、市民の平和と安全を見守るって指名を果たさんと、ココにいるんだけどさ」

などと磊落に笑いながら、畳を軽く叩く。

「野暮用が残っていましてね。それを片したら引き上げます」

 などと、エニシダは真面目な面持ちで相槌を打った。


 ……エニシダ・セツカ。三十歳独身。

 仕事は真面目にそつなくこなす一方、周りからは「イマイチ情熱のない男」と評されていた。

 出世欲も無ければ人付き合いも最低限。特徴も無ければ影も薄い。しかしそれを良しとしている目立たぬ男。

 しかしその一方、上司や同僚たちの目の届かぬ所では、市内各地に情報網を張る、裏の情報屋という顔を持っていた。


 そしてこの男には更に、決して表の人々には知られてはならない「もう一つの顔」があった。


 ……そんなエニシダが持つ、幾つもの顔の事など知る由もないアブノメは「そういえば」と、話題を切り替えた。


「ウチの娘がな。近ごろ妙な札遊びに凝りだしたんだ」

「バケモン勝負ですか?」

「なぁんだ、お前も知ってるのか。その……バケモンだったかな。値段を見たが、ありゃあ何だ。紙切れが何であんなに高い!」

 アブノメが言うには、本屋の軒先に並んでいたバケモン札は、5枚一組で32ゼン。屋台のかけ蕎麦が二杯も食べれる価格が付いていたそうだ。


「娘があんましねだるもんだから買ってやったがよ。コイツによると、珍しい札はこれ以上の値が付いてるそうじゃねえか」

 アブノメが見せたのは一枚綴りの見立て番付。そこには、高値の付けられたバケモン札の札番と名前が金額順に載っていた。


「こいつなんてどうだ。俺らの禄より高い、こんなのを買い求める輩が居るなんて、どうかしてるぜ」

「全てを投げ打ってでも集めたいんでしょう。或いは、これを商品に……」


「転売か。ふむん。これだけ騒がれてんだから、良い商売にはなるだろうな」

 アブノメの言葉にエニシダは無言で頷き、番付表に目を通す。発行しているのは、キラズリ屋という市内有数の書物問屋だった。


(マンテン堂はバケモン札を、このキラズリ屋に卸しているんだったな)

 エニシダはある箇所に目を向けた。


 番号一五二「ニュウ」

 この札が最も高価格で番付に載ってある。

 フォミカが描き、ケワリが掘って、ドウサが色を摺った152番目のバケモン札だ。

(他よりも数が少なく、値段が急激に吊り上がったのか?)

 エニシダは考え込む。もし再販が行われれば、この札の値段も下がるだろう。幸い原板はマンテン堂が預かり、再作成の手筈を進めている。その間にケワリを見つけ出したい。


 彼の家を探ってから、今日でちょうど一週間。以前として行方はつかめていない。

 ドウサはマンテン堂の下に身を寄せつつ、心当たりのある場所を探して回っているようだが、こちらも進展なし。


(もはや死人……という線を考える頃合いかもしれんな)などと考えている最中、何者かが戸を叩いた。

 思案を中断したエニシダが戸を開けると、カサゴ屋の丁稚のハナ坊が、肩で息をしながら立っていた。


 エニシダの言っていた野暮用とは、この少年との待ち合わせであった。

 しかし……。


「約束の時刻よりずいぶん速いな、ハナ坊。いやそれよりどうした?」

 少年は息も絶え絶え、興奮しながら言った。

「若殿! 例の彫師が見つかった!」


 ………


「こんな所にケワリさんが?」

 ドウサが不安げな面持ちで言った。

「ハナ坊によると、半年前からこの界隈に、似たような男が流れ着いたそうだ」

 エニシダは風乗って運ばれてくる腐臭に、顔をしかめて説明する。


 二人が居るのはレドラムの外れもはずれ、地元の人間たちが「墓線」と呼ぶ貧民窟の入口だ。

 名前の由来とおり、この一帯の前には寂れた墓地が、まるで市街地と貧民窟を隔てる境界線のように広がっている。


 この「墓線」には、様々な経緯から街には居られず、かといって他所へ移ることもできぬ者達が集まり、世間の目から逃れるように、ひっそり暮らしていた。

 廃屋じみた平屋の隙間や、うず高く積まれたゴミ山の陰からは「招かれざる客たち」への奇異のこもった視線が向かってくる。


「ここから先は防人の管轄外だ。己が身に何が起きても責任は取れぬ」

「ええ、ええ。ですがケワリさんが中に居るのでしょう。あの人の顔を知っているワタシが付いて行かないと、確認……とれないでしょう」

 語尾を萎ませるドウサ。


「……なら付いてこい。なるべくお前の身は守るようにするが、万が一の時は一人で逃げろ」

 エニシダは嫌そうな顔で腰に帯びた刀の鯉口を切った。


「なんでそんな嫌な顔してるんです?」

「刀が嫌いなんだ」

「剣士なのに?」

「剣士が皆、剣術好きだと思うな」

 などと言い合いながら、二人は墓線に足を踏み入れた。


 道と呼ぶには粗末な地面を歩き、板切れを適当に重ね合わせたような建物の隙間を進む。

 時折、ボロきれ同然の布を被った住人と目が合うが、彼らは目を逸らしたり、逃げるように立ち去っていく。

 エニシダはこの時ばかりは、防人の羽織の効果を有り難く感じた。


「先んじて俺の知り合いが待っているそうだ。言われた通りの道を辿れば……ああ、居た」

 目星をつけたエニシダが不意に目を瞬く。


「待ってたぜ、若殿」

 荒屋の前で手を振る少年が一人。

「ハナ坊?」

 驚くエニシダだったが、よく見てみると衣は屯所に着た時と違うし、顔つきも似ているようで微妙に違う。


「ちぇ、若殿でも見分け付かねえのか。オイラはマル。これでもハナのアニキだ!」

 マル坊は胸をそらして誇るように名乗った。

「ふ……双子?」

 目を丸くするエニシダにマルは言う。

「説明は後。それよりこの荒屋、若殿の言ってたおっさんが居るんだ。眠ってるみてえでよ、オイラ達が中に入っても、ピクリとも動かなかったぜ」

 マルは申し訳程度に、提がっていた入口のむしろを、チラリとズラしてみせた。


 言葉通り、薄暗闇の奥で人影が一つ横たわっている。表で一行が話していたにも関わらず、微動だにしない。

 しばし覗いていたエニシダは、静かにむしろを戻す。そして、険しい顔でマルに向き直った。


「……マル。お前は奴の顔を見たか?」

「いいや。でも、後ろ首の刺青が見えるトコまでは近づいたぜ」

 それがどうしたと怪訝な顔をするマル。

「あの。周りが酷い臭いだったから気付かなかったんですが。この荒屋、特に臭いません?」

 ここでドウサが鼻を摘みながら尋ねる。


「いいか、マル。いま直ぐに帰るんだ。そして今日見たことはいっさい忘れろ、決して思い出すことも許さん。マルにもそう伝えろ」


 エニシダは駄賃をマルに握らせると、有無も言わさずに帰した。不安げな面持ちのドウサに、エニシダは静かにこう言った。

「お前には済まないが、辛い役目を負ってもらう」

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