あんたこの絵札どう思う?-2


「ところで、姉様。さっきのことですけども」

 三人分の茶を淹れてきたモグサが話を切り出す。

「うん?」

「姉様はバケモン札の事、ご存知なんですか?」

「ご存知も何も……仕事で描いた」

 フォミカは冷ました茶を啜る。

 そんな彼女に二人の視線が注がれた。それも異常なものを見るような目つきで。

「あんだよ?」

 不機嫌に訝しむフォミカへ、エモギはおそるおそるこう言った。

「自称絵描きの義姉さんに……仕事を頼む物好きが?」

「やい。喧嘩売ってんのか!?」

 案の定、フォミカは即座に怒鳴り返した。


 フォミカは絵師だ。もしくは自称・絵師。

 つまり知名度も無ければ、売れてもいないのである。


 それでも時折、何の気まぐれかフォミカに仕事を振る客はいたし、経時屋や刷り師の手伝いなどで日銭を稼ぐ時もあるので、全く無職という訳でもない。


 だがしかし、絵師個人としては……ちっとも売れていないのは確かだった。それ故に近しい者たちは彼女の職に「自称」の枕を付けるのだ。

 それはさておき……。


「一年前に一枚だけ描いた。ケチな彫師……ケワリって奴に頼まれてな。だがそいつ、報酬を貰う前にトンズラこいてよ、金を貰いそびれた。珍しい話でもなければ大した額でもねえ。だからテメエらの話を聞くまで、忘れてた」

「それじゃあ……タダ働き?」

 モグサが神妙そうに言うと、フォミカは腕を組んで頷いた。

「まあな。でも、そのバケモンっての? たいそう人気だそうじゃんか。あン時、しつこく探しとけば良かった。そうすりゃあ、アタイの名前にもハクが付いたってのに」


「そうですねえ。今になって代金を要求すると、何だか人気者にたかるようだし。でも売れない義姉さんがそんな事しても、僻みのように見えるから、それはそれで違和感は無いか」

「婿旦那。てめえ、いっぱしの口を利くようになってきたじゃねえか!」

 怒ったフォミカがエモギめがけて飛びかかる。


「あだだだ!? や、辞めてくれ、義姉さーん! 顔を引っ掻くな、首を噛むなあぁ!」

「ふしゃあぁ!!」

「あらやだ。姉様が猫になった!」


 ………


 ……さて。大の大人達が、やいのやいのと騒いでいる頃、下女のシキミは横町の通りを歩いていた。羅宇らう屋に預けていた煙管の掃除が終わり、引き取りにきたのだ。


 煙管の持ち主はシキミではない。ノウゼンという馴染みの隠居老人だ。シキミは親切心から、老人の代わりに、お使いを引き受けたのである。

(ノウゼン先生に煙管を届けた後はいつものお店で買い物……夕飯は何にしようかしら。昨日の豆腐と……こんにゃくもあったかな。田楽とか?)

 小さな足で敷石の地面を軽やかに踏み、通りを進んでいく。


 レドラムの街並みは、この頃のご一新によって再開発が進んでいる。しかしそれは大通りや主要施設、港といった一部だけの話だ。

 例えばこの横町のように、大通りから外れた区画の殆どは再開発の手が及んでおらず、これまで通りの景観を保っていた。


 そんな古風な雰囲気に包まれる横町は、普段であれば閑静な場所であるのだが、今日はやけに賑やかな声が聞こえてきていた。

 それも、たった一箇所の商家からである。


 シキミはつい足を止めて、狸を思わせる丸い垂れ目を向けた。

 どうやらその店は大店らしい。広い店先にまで幌の屋根を広げて催しを開いていた。

 そして幌屋根の下では、小さな子どもから大人までもが卓を囲み、わいわい賑わっていた。

「何かしら?」

 興味を持ったシキミは、煙草道具を入れた藁カゴを胸に抱え、引き寄せられるように近づく。


「勝負開始の宣言をしろ!」

 白い長着を着た青年が叫んだ。すると、卓を見下ろしていた男が、腕を伸ばして高らかに声を挙げる。

「勝負開始ぃぃぃ!」


「し、しまった。雷獣は水に弱いんだ!」

「そういうこと。んじゃあ、そういうことで、この場はオイラの勝ちってことで」

 卓の上には何枚もの絵札が並べられ、皆が口々に話し合いながら、遊戯を進めているようだ。


「わあ……なんだろう?」

 シキミは口元を袖で覆いながら場を見渡す。そんな中、店から一人の男が出てきた。

 黒羽織に赤い詰襟シャツ、下は洋袴に雪駄という出立ち。加えて腰には士分の証である、大小二本の刀を挿していた。

 そして日に焼けた顔の彫は深く鼻も高い。そして鋭い目は猛禽じみていた。


「何か分かったら知らせよう」

 男は如何にも実直そうな態度で、店の主人らしい老人に言った。


「旦那、どうかお願いしやす」

 老人は曲がり気味の腰をさらに曲げて丁寧にお辞儀、羽織の男を送り出した。

「あら……若殿様!」

 不意にシキミは羽織の男に手を振った。主人と別れたばかりの男は、シキミを見るなり、訝しげに目を細めた。


「こんな所でどうした。まさか貴様も、バケモン勝負を?」

 若殿と呼ばれた男は幌の外に出て尋ねる。知り合いに会ったというのに、険しく厳かな表情はピクリとも動かない。


「お使いです。それより何ですか、バケモン勝負って?」

「目の前でやっているだろう。流行りの札遊びなんだそうだ」

 若殿ことエニシダは、背後で行われている催しを顎でしゃくってみせた。シキミは相変わらず袖で口元を覆ったまま、熱狂渦巻く卓を見やった。


「札に描かれた化物同士を戦わせて勝敗を決める。さわりだけ聞いてみたが、頭を使わねばならないし、遊び方も非常に奥深い。それに賭け事では無いから、表で堂々とできる札遊びと来れば、こうも熱中する者が増えるわけだ」

 腕を組み、感心するように話すエニシダ。その一方でシキミは何故か神妙な面持ちでいる。


「どうした?」

「その……皆さんがとても楽しそうに遊ばれているのは分かったのですが……ええと」

 何やら申し訳なさそうに振る舞う娘に、エニシダも怪訝な目を向けた。

「その……生乾きの野良犬みたいな臭いが、そこはかとなく……漂ってきていて」

 エニシダはようやく合点がいった。

 異臭……というより悪臭。生乾きになった布が発する酢い臭いが風に運ばれてやって来ていた。これを嫌がって、シキミはずっと袖で口元を……というより、鼻を塞いでいたのだ。

 臭いの原因は隅の卓を囲む男女数人だろうと、エニシダは見当をつけた。彼らの着ている衣は見るからにくたびれているし、容貌は無頓着の極みを突き詰めた姿形をしている。この調子では、ろくに風呂にも入っていないだろう。


 エニシダは目を泳がせたのち、言葉を選んで言った。

「彼らは着の身を犠牲に高みを目指しているんだ。それはそれで……高僧のような禁欲で究極な……ううむ」

「無理に取り繕わなくて良いと思いますよ、臭いのは変わりないし」

 シキミがあっさりした態度で言うや、手前の卓で絵札を並べていた男達が一斉に体の臭いをあらため出す。どうやら、シキミの声が聞こえたらしい。


「それはそうと。若殿様こそ、どうしてこんな所にいるんです?」

「この店……マンテン堂の主人に、人探しの相談を受けてな」

エニシダは先ほどの老人を横目で見る。それから思い出したように尋ねた。

「そういえば、お前の主人は絵描きの真似事をしていたな?」

「そうですね。正確には絵描きごっこでお小遣いを稼ぐ無職ですけど」

 本人不在を良いことに口を滑らせるシキミ。そんな下女に、エニシダは懐から出した冊子を見せた。


「バケモンの絵札作りに関わった彫師が、しばらく姿を眩ましている。絵描きの繋がりで知っている事はないか、フォミカに……」

「あれ?」

 唐突にシキミがうわずった声を挙げる。


「フォミカさんの絵だ」

 シキミは最後の頁の端に載っている、一枚の札を挿した。描かれているのは、ネズミと子猫を混ぜ合わせたような、変わった姿の生き物……もといバケモンだった。


「本当か?」

 エニシダも驚きを隠せなかったようで、表情には狼狽の色が浮かんでいる。

「間違いないです。確か去年だったかな、こんなのを描いていた気がします。あの……どうしたんです、若殿様?」

 シキミが顔を上げて問う。深刻な面持ちをしていたエニシダは、ゆっくりと答えた。

「その絵札を手がけたのが、姿を消した彫師だ。名前はケワリと言うんだが……」




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