暗殺請負い候-終
空を覆い尽くす黒い雨雲の裏で、いつしか太陽は西に傾いていた。古くから「魔が出で始める」と云われる不吉な刻だ。
枯れ木の枝には烏達が羽を寄せ合ってひしめき、乾いた鳴き声を響かせている。そんな中、洞穴の中でフォミカは、烏達の悲しげな声を背に受け座っていた。
視線の先にあるのは崩れ掛けた粗密な祠。屋根はなく、扉にも穴が空き、傾いた柱には朽ちて苔まで生えている。そんな祠の中には一本の杖が仕舞われていた。
フォミカの正体は、金を受け取り、暗殺を代行する「請負人」だ。
遡ること五年前。仕事の最中に体を壊して以来、得物をこの祠に隠した。
正確には引退はしていない。いや、そもそも自分は足を洗えやしない。そう彼女は考えていた。
この稼業を始めて以来、大勢の人の命を奪ってきた。
悪党を始末した。
善人まで消した。
そんな自分が足を洗い、表の世界に戻るなど、許される筈がない。
だから……。
フォミカが腰を上げようとしたその時、後ろから伸びてきた小さな手が、両肩を押して座らせた。
「ダメですよお」
穏やかでほんわかした囁き声。フォミカは振り返ることなく、肩に置かれた手に己の白い手を重ね合わせた。
「考えている事はお見通し。仕事に行こうとしてるんでしょう。体が使い物にならないというのに。ううん、無理をして、そのまま死のうと思っている。ぜんぶお見通し」
「シキミ……」
物言いたげなフォミカに、シキミは尚も優しい声で囁く。
「約束したよね。あたしが貴女の手足になる。貴女の殺しは、あたしの殺し。あたしは貴女で、貴女はあたし……」
シキミは子をあやす母親のように柔らかく話し、両腕を回して優しく包み込む。
フォミカは振り解こうともがき、抵抗を試みるが、シキミは抱擁の力を強めて離そうとしない。
「だから教えて、手足をどう動かせばいいのか。そして命じて。誰を殺すのか」
洞穴の外で烏が一斉に羽ばたいた。雨音さえかき消す無数の羽音が、二人の交わした言葉をも消し去る。
「……行ってくるね、フォミカさん。良い子にして待ってるんだよ」
すうっと、シキミの腕が離れていく。拘束の解けたフォミカは、力なくその場にうずくまった。
「とんでもない奴、拾っちまったね……」
病に倒れて以来、得物を握れなくなったフォミカ。
しかし、請負人・フォミカは裏の世界で、今も殺しを請け負っている。
それは新たな手足が本人の代わりに動き、獲物を仕留めているからだ。
その手足の名は……シキミ。
………
その夜、トウジャク寺では最後の仕事が進められていた。
寺の地下に隠していた女たちを一人残らず出荷する。
寺の勝手口前に馬車を用意させ、人買い一味が大急ぎで、女達を載せていた。
寺の尼僧や信徒たちも、雨が上がるや庭園で焚き火の準備を始めていた。火がつき次第、人買いにまつわる記録を炎の中に投げ込もうというのだ。
フクラの殺しは、これまで効かせてきた鼻薬で有耶無耶にできる。しかし、このまま寺に居続けるのは危険だ。フクラの死体は回収できなかったばかりか、目撃者を逃してしまったのだから。
サザイは自室に篭り、一連の作業が終わるのを待っていた。ほんの僅かに開けた雨戸からは、雨上がりの冷たい夜風が吹いてくる。
(アレは何者だったのかしら?)
目を閉じ、瞑想を試みる尼僧であったが、頭の中は懸念と不安が渦巻き続けていた。
取り逃した目撃者は防人に駆け込んだか?
鼻薬の効果が切れたら、防人は調べの手を向けてくるだろうか?
懐に忍ばせた拳銃が、刻一刻と時間が進むに連れて、重みを増していく。
そんな中、閉ざされた襖の奥から「
「入りなさい」
襖が開かれる。若い下女がちょこんと座り、狸を思わせる丸い顔に、ポヤポヤした笑みを浮かべていた。
「夕食をお待ちしましたよお」
下女の傍らには、湯気立つ椀や皿が載った膳が置かれている。
サザイは一瞬だけ表情を曇らせた。
(こんな娘、ウチに居たかしら?)
訝しむサザイをよそに、能天気な下女はパタパタと膳を運びこむ。
つや立つ菜飯に、色合い鮮やかな野菜と焼豆腐の煮合わせ。そして、白味噌仕立ての汁物。どれも出来立てで、暖かい湯気を立ち上らせていた。
「さあさ。冷めないウチに召し上がって下さいな」
「……そうですね。頂くとしようかしら」
戸惑った末、サザイは箸に手を伸ばそうとする。すると不意に下女は口走った。
「あれ……庵主サマ。お召し物に何かツイていますよ」
サザイは首を回して法衣を確かめる。
「見たところ何も付いておりませんが?」
「ホントですって。しばし動かないで下さいまし。アタシが取ってあげますから」
下女……に扮した請負人のシキミは、スルリとサザイの背後に回る。そして、腰帯の裏に忍ばせていた短刀を、音もなくスルリと引き抜いた。
「ああ。やっぱりツイてた、ツイてた」
「一体、何が付いているというの?」
不審に思って尋ねるサザイ。彼女が振り返ろうとした次の瞬間、シキミは逆手に持った短刀を、サザイの首元に突き刺した。
刺された瞬間、サザイは目玉をこぼしそうなくらい大きく見開く。そんな標的にシキミは、ゾッとするほど冷たく、しっとりした声で言った。
「憑いていたのは……死神だよぉ」
ギリギリギリ……柄を捻って刃を回す。刺し傷を広げられたサザイは、甲高い断末魔を挙げながら前に倒れ、絶命した。
シキミはケロリと澄ました顔のまま、刃についた血を、サザイの法衣で拭い取る。
僅かに空いた雨戸の向こうからは「ひぃっ!?」という押し殺した悲鳴が聴こえてきた。シキミが雨戸に目を向けると、姿が見えない代わりに、忙しない足音が聞こえた。
「あら、いけない。見られちゃった」
シキミは短刀を鞘に戻すと、足音を追うように部屋を後にした。
………
「畜生……サザイの奴。殺されやがった!」
人買いは、バシャバシャと泥だらけの一本道を走っていた。
商品を積み込んでいる最中に、下女からサザイが呼んでいると言われて向かった。すると何と言う事だ。先回りしていた下女が、サザイを殺していたではないか。
「もしアイツが……そうだ。きっとそうだ! つまり俺は……ああ、何てこった!」
その内に、前方から歩いて来た男と鉢合わせた。男は赤い詰襟シャツの上に黒羽織、そして洋袴を履いていた。
足を止めた人買いだったが、勢い余った拍子に転んでしまう。
「大丈夫か?」
黒羽織の男が手にした提灯をかざしてきた。灯りに照らされた持主の顔は彫りが深くて鼻が高い。濃い眉毛の下では、猛禽じみた鋭い双眸がギラリと光っていた。
しばし言葉を失っていた人買いだが、羽織の紋を見た途端に、大いに取り乱した。
「その羽織。さ、防人の旦那ですかい!?」
男が無言で首を縦に振ると、人買いは急ぎ立ち上がって縋り付く。
「助けてくれ。人殺しに追われているんだ」
「人殺し?」
「そうだ。噂には聞いたことあるだろう、旦那。請負人が出たんだ!」
「なんだと?」
眉を顰める防人の巡卒。彼は人買いに提灯を持たせると、彼を庇うように前へ出た。
「……請負人に追われていると言ったな。貴様、何をしたのだ?」
巡卒は背中越しに尋ねながら、懐に忍ばせていた十手を取り出す。
「何もしてねえ。ただ……見ちまったんだ」
ゼエゼエ息を切らして人買いは答える。
「見た?」
「請負人が人を殺す所だよ。アイツらは、自分の仕事を見た奴も、口封じに消すって話しだ。だから……請負人は俺を殺しに……」
話を聞きながら、巡卒は十手の鉤を半回転させる。カチリという小さな音がして、鉤は逆さになったまま固定される。
「だ、旦那?」
「ずいぶん詳しいようだな。ああ、その通り。貴様は……生かしておけない」
そして自らも体ごと振り返り、十手の切先を人買いへと向けた。
「え?」
巡卒が鉤を指で押し込んだ。その瞬間、十手の先から針状の弾丸が発射された。
針弾は微かな高音と共に夜気を裂いて人買いの胸に命中。そのまま心臓を貫き、背中を突き抜けていった。
「え……えぇ……」
人買いは糸の切れた人形めいて膝から崩れ落ち、頭から地面に倒れた。
巡卒は空気銃を仕込んだ仕掛十手を、また懐に戻した。
(終わったな)
人買いの死を確かめた後、下に落ちた提灯を拾い上げる。
狙いはあくまでサザイ一人。共犯者である人買いの親分は、本来ならば標的とはならない。たとえ悪党であろうとも、殺しの依頼が無ければ手を出してはならない。
だが、人買いが言ったように、請負人は正体がバレるのを防ぐため「暗殺の目撃者」を即座に取り除かねばならなかった。
人買いはサザイ殺しを目撃した。ここで彼は、自動的に「殺しの標的」へと繰り上がり、生かしておけぬ者として始末される。
(どちらも決して逃さず、尚且つ掟を破らずに始末する。請負人フォミカ……見事な『殺しの絵』を描いたものだ)
来た道を戻り、脱出する巡卒。そんな彼を待つように、小さな影が道端で佇んでいた。
「若殿さん。そっちも終わったんですね」
シキミだ。サザイを仕留めた後、ここまで退却して来たようだ。
「終わった」
若殿と呼ばれた巡卒……エニシダ・セツカは、静かに頷く。公僕にして情報屋、そして請負人。三つの顔を持つ男は静かに、そして厳かな態度のまま言う。
「撤収だ。防人の警らがトウジャク寺に向かっている」
「あれ? 防人は手出しできないように釘を刺されてるって……」
「つい先ほど投書が届いた。先ほどサザイが殺されたかもしれん……とな。悪戯だろうが、現地に赴き、真偽を確かめねばなるまいだろう」
仏頂面でエニシダは言う。
「まあ」シキミは小さく声をあげ、そしてクスリと微笑んだ。
投書を送ったのはおそらく……。
「行くぞ」
仕事を終えた二人の請負人は、来た時と同じく、また闇の中へと消えていった。
請負人。
悪の力で悪を討ち、金次第でよろづの殺しを請け負う、口外法度の暗殺稼業。
ただしこの仕事、どの求人サイトにも載っていない。
(了)
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