あんたこの絵札どう思う?

あんたこの絵札どう思う?-1


 暗殺代行業「請負人」の元締でもあるノウゼンは老体に鞭を打ち、町外れの荒地を走っていた。

 長い総撫で付け髪を風になびかせる老人は小脇に革袋を抱えている。中には治療に用いる医療器具をこれでもかと詰め込んであった。


(遅かったか!)

 老体に鞭打って目的地にたどり着いたノウゼン。暗さに慣れて来た目に飛び込んできたのは、おびただしい数の骸だった。


 乾いた地面に飛び散った血には、まだ瑞々しさが残っており、動かなくなった骸もまた、死んで間もない様子である。


(どこにいる、フォミカ!)

 尚も荒野を走って仲間を探す。やがて元締は、禿山の斜面に穿かれた洞穴を見つけた。

 地面に目を向けると、洞穴に向かって、点々と血が続いているようだ。


「フォミカ……いるのか!?」

 ノウゼンは洞穴に向かって呼びかけながら、穴の中へと入っていく。

 洞穴の中には燭台がいくつか置かれており、弱々しい灯りで、穴の中を照らしていた。


「よう。遅かったじゃねえか、ジジイ」

 燭台の灯と同じく弱った声が穴の奥から聞こえてくる。ノウゼンは燭台を一つ手に取り、奥へ灯を向けた。


「……片はついたぞ。全員……殺ってやった」

 灯に照らされた長黒髪の女は、血だらけの顔に力ない笑みを浮かべた。口から吐いた血は乾いて肌に張り付き、身につけていた男用の青い衣まで、血で真っ赤に染まっていた。

「どれがアタイの血で、どれが奴らの返り血か、ちっとも分かんねえ。斬って斬って、斬りまくったんでな」


「喋るな、フォミカ」

 ノウゼンが鋭く制する。

「すまねえが、そいつは無理な相談だ。眠気が酷くてな……喋んねえと、眠っちまう」

「……それなら出来るだけ口を動かせ。いま体を診てやる」

 そう言ってフォミカに近寄ろうとするノウゼン。だが次の瞬間、裏稼業で培った感覚が、危険信号を発した。


(殺気!?)

 ノウゼンは包みを置いて身構える。シワだらけの手に暗殺用の長鍼を握り、フォミカの背後を睨んだ。


「一人じゃねぇようだな」

 と、ノウゼンは小さく言う。豊かな白髭に覆われた口を真一文字に結び、気を集中させた。

 暗がりに潜むかは、老練な裏稼業者でさえ、思わず背筋を凍らせる程の殺気を向けてきていた。

「さすが。医者やりながら、殺しをやってきたジジイだ」

 フォミカは手元の蝋燭をすっと持ち上げた。

 揺らめく灯に照らされたのは、崩れかけた小さな祠と……その後ろに隠れる小さな影。

 目を凝らして正体を見定めたノウゼンは「まさか!」と、声を漏らす。


 フォミカはもう片方の手で影を手招く。

「仕事は終わらせたんだがよ……ヘマをやっちまった」

 影がゆらりと動き、灯りの下に姿を晒した。

 背の低い、見窄らしい身なりをした娘だ。

 痩せこけた顔は真っ青で、虚な目でフォミカをじっと見つめ返している。そして、娘の小さな手には、血のこびり付いた短刀が握られていた。


 フォミカは乾いた咳を繰り返した後、こう言った。

「すまねえ、ジジイ。このガキに……仕事を見られた」



 請負人。金を受け取り、人を始末する裏の暗殺代行業者。彼らは厳しい掟を課せられながら、闇に紛れて仕事を遂行する。

 その掟の一つに次のようなものがあった。


「請負人は、殺しを目撃した者を速やかに排除すること」



 ………………


 ……数年後。


 交易都市レドラムには、今日も国内外から多くの船舶が、汽水湖に面した港に入ってくる。

 昨今は国を挙げての「ご一新」なる大改革が進められ、古くから貿易で栄えて来たレドラムの街並みも、日に日に変わってきていた。


 そんな街で店を構える荒物屋「モチグサ屋」の奥間では、主人夫妻と番頭が、揃って顔を付き合わせていた。


「コイツは売れ筋なのかもしれないがね。それでも遠慮したいよ」

 そう話すのはモチグサ屋の主人、エモギ。瓜ように滑らかな顔をした細い壮年男は、目の前に並べられた絵札の一つを手に取った。


「荒物というよりおもちゃだろう、コレは。ねえモグサ、お前さんはどう思う?』

 優しい表情をした瓜顔が横に座る妻に向く。

「うーん。賭博で無いんなら、少しくらいは置いても良いのかしら」

 そう話すのは西瓜のように丸い顔をした、女将のモグサ。彼女も丸々と太った体を曲げて、絵札を一枚手に取った。

「なんだか可愛いし」

「お前産は何でも受け入れるねぇ。フムン、しっかし……こんなものが近頃の流行りとは」

「はあ。どうやらそのようで、あっしも長いこと生きておりやすが、こんなモンは初めてでさぁ」

 初老の番頭も、梅干じみたしわくちゃ顔に困惑の色を浮かべる。


 そんな三人の前には、数枚の小さな絵札が並べられていた。

 大きさはカルタや花札と同程度。

 描かれているのは雷をまとったネズミやら、炎を吐くトカゲ、大筒を背負った亀、球根を背負った緑色の猫。

 そのほか奇々怪界、珍妙な姿の生き物達が札の中に描かれていた。


「ええと『バケモン札』と言ったかな、この絵札は」

 エモギの問いに番頭は頷く。

「さいです。店の若ぇ奴らが話すには、古今東西あらゆる化物を題材にした、この……バケモンってのが描れた札を使って一戦興じる『バケモン勝負』が流行りだそうで……」

 番頭はここまで言うと息継ぎを一つ。


「実を言いますとね。ウチの丁稚にも何人か、夜中にこっそり武家屋敷まで足運び、中間どもとバケモン勝負をしとるそうで」

 ここでエモギが良からぬ想像をしたらしく、瓜顔を真っ青にさせた。

「ま、まさか。良からぬ賭けなんかして、店の金を持ち出してる……なんて言うんじゃないよね?」

「あんた! ウチのひと達に限ってそんな事!」


「ええ。奥様の言う通り。今の所は賭けとか、金の持ち出しとかの気配はありやせん。しかし、ちょいとばかり熱を入れ過ぎちまっている奴もいるのは確か。このままですと、仕事にも差し支えが出るやも」

「そうかい。それならもしこれ以上、差し障りが出るようなら、私からも一つ言うことにしよう」

 ここで三人は揃ってため息をつく。そんな時に廊下に面した襖が開いた。


 振り返ってみると、うねった長い銀髪の女が、うつ伏せになって転がっていた。

「まあ!」

 モグサが女に駆け寄って抱き上げる。はだけた浴衣に包まれた体は、病人じみて痩せ細り、肌も病的に青白い。

 おまけに痩せ細った顔も死人じみて青白く、目鼻立ちの良さを台無しにしていた。

 そんな女が末期の老人じみた、擦り切れた声を発した。

「……って言ったか?」

「姉さん。何と言ったんです?」

 モグサが神妙な顔で尋ねると、女は声量をイチ段階上げて、こう言った。


「バケモン札……って言ったか……?」


 ………


 ……モチグサ屋は、規模でいえばさほど大きな店では無かったが、四代も続く老舗の荒物屋だった。

 当代主人のエモギはいわゆる婿養子。得意先の大店で番頭をしていた彼を、先代が半ば誘拐同然に引き抜いてきたのだ。

 当初は婿養子に難色を示したエモギであったが、先代夫婦の次女、モグサに会った途端に態度が一変。いわゆる一目惚れの勢いそのままに『婿殿』として荒物屋を継いだのである。


 ……さて。こうしてモチグサ屋は、めでたく次代に引き継がれた訳なのだが、たった一つだけ問題があった。

 長女が未だ家に居座っているのだ。


「……お願いですから、義姉ねえさん。せめて廊下は歩いてください。這って進むなんて犬猫じゃあ無いんですから」

 エモギは困り顔で抗議する。

「メンドい」

 モチグサ屋の長女フォミカは短い言葉で一蹴する。この長女、自室の離れ屋から妹夫婦がいる本宅まで、床を這い進んでやって来たのだ。

 理由は単純明快、今しがた彼女の言った「面倒くさい」のただ一点に尽きた。


 そんな姉に膝枕をしているモグサは、困りつつも優しげな微笑を作っていた。

「こうなると岩みたいに動かなくなっちゃうからね、姉様ったら。そうだわ、乳母車を用意しましょう、姉様はそれに乗って屋敷を回れば良いんだわ」

「自分の姉を赤子扱いかよ、お前さん。いったい誰が乳母車を押すっていうんだい」

「シキミちゃんはどうかしら。あの子って意外と力持ちなのよ」

 シキミはフォミカが雇った下女である。近所の長屋に住む若い娘で、長らくモチグサ屋に出入りしていた。そのシキミは今、野暮用で外に出ている所だった。

「勘弁しておくれ。コレじゃあますます、義姉さんが歩かなくなってしまう」

 心底呆れた様子でエモギは話を切り上げた。


 義理の姉に対する妻の溺愛ぶりは、側から見ると、少々行き過ぎていた。

 それはフォミカが、幼少の頃から病弱で、床に伏せてばかりだった事に起因しているようだ。加えて何年か前には出先で喀血をし、しばらく生死の境を彷徨ってもいた。そんな身内を心配せずにはいられない。

 その辺りの事情や心意気を、エモギはある程度、理解を示しているつもりだった。

 だが、何事にも限度というものがある。


「義姉さんを大切に思っているのは分かるけど、少しは自立というものをだね……」

「モグサー。喉が渇いたー」

「それじゃあ、お茶を淹れてくるわね。あなたもお飲みになります?」

 今度は姉妹が話の腰を折ってきた。

「……頂きます」

 これ以上は何を言っても聞いてくれない。エモギはガクリと肩を落として項垂れた。

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