暗殺請負い候-6

 ……次の日。この日は明け方から大粒の雨が降り続いており、時折、くぐもった雷鳴の音まで聞こえてきていた。


 そんな雨の中、ノウゼンの邸宅に、フォミカが使用人のシキミを伴って訪れた。


「悪い。朝メシの最中だったか」

 部屋に上がるなり、フォミカは軽く詫びた。ノウゼンの前には食べかけの麦飯が入った椀や小鉢に、湯呑が並んであった。


「気にすんな。いま食い終わるとこだ……座って待ってろ」

 老人は麦飯の入った椀に漬物や湯呑みの茶を混ぜ入れると、一息に口へ流し込んだ。


「……さて。待たせたな」

 などと言いながら、椀と箸を置く。

「ウチの者が世話になった」

 フォミカが切り出すと、シキミがペコリと頭を下げた。

「その節はありがとうございました」


 するとノウゼンは困ったように頭をかく。

「辞めておくれ、シキミちゃん。こっちが逆に礼を言いたいくらいだ。あの娘が連れて行かれるのを、見かけてくれなかったら……」

「フクラちゃんは行方知れずのままだった?」

 先回りするようにシキミが問う。

 ノウゼンは小さく頷き、残念そうに言葉を続けた。


「しかし結局……助けられなかった」



 ……娘女中のフクラは、ノウゼンのもとに運ばれて来た時点で既にだった。僅かな可能性に賭けて治療に挑もうとしたノウゼンの前で、フクラは息を引き取ったのである。


「直ぐに小雀の女将が娘の遺体を引き取りに来た。見てらんなかったな、半刻は娘の体にしがみついて泣いておった」

 ノウゼンが言うには、付き人が長い時間かけて説き伏せ、ようやくひき離したそうだ。


「あの涙は本物だ。心の底から娘の死を悲しんでいた。悪党が繕う、芝居の涙じゃない」

「そりゃそうだ。自分のガキみてえに可愛がり、特に目を掛けてたんだから。そしてジジイ、テメエはそんな女を殺せと、アタイらに言ったんだぜ?」

「そういう依頼だったからな。薄情だと軽蔑するかい、このオレを?」


「するかよ、今更。テメエにはいつもガッカリしてばかりだ」

 フォミカはヒルガオの花が描かれた紙包を取り出すと、ノウゼンの前に投げた。

 ヒバリ殺しの依頼金である。


「この仕事は降りる。安心しな、一枚も手は付けてない」

「そうかい」

 ノウゼンは眉一つ動かさず、紙包を懐に納めた。


 ……それから二人はまっすぐ相対したまま押し黙る。無言の時間はしばらく続き、聞こえてくるのは外の雨音ばかりだ。

「……あの、ノウゼン先生。これからどうなるんです?」

 不意にシキミが困惑した面持ちで尋ねる。


「どうって?」

「あたし、トウジャク寺で、あの人達が裏で何をしているのか見て、聞きました。それにフクラちゃんが撃たれたのも、しっかりと。だからこの事を防人に伝えれば……」


「無理だ」

 急に重くて低い男の声が遮ってきた。

「若殿様? いらっしゃったんですか?」

 シキミはピッタリ閉ざされた、奥の襖に目を向ける。情報屋の若殿は彼女達が来る前から、一人で別室に居たようだ。


「おい、何が無理だって?」

 フォミカが挑むような目つきで問う。

「今朝がた上から通達が出た。トウジャク寺には一切手出しするな、と」

「そんな!」

 口元を押さえて驚くシキミ。その横でフォミカは怒りを押し殺した低い声を絞りだす。

「サザイが袖の下握らせたのは役所だぞ。テメエら防人は……そうか、そっちにも居たか、甘い汁を吸っちまったのが」


「そういうことだ。お陰で俺たちは動きたくても動けない。こうしている間にも、サザイは人身売買に繋がる証拠を処分して、罪を逃れる。共犯の人買いも、これ幸いと雲隠れできるだろう。悪どい者ほどツキがよく回ってくるものだ」

 そこまで言うと、若殿も黙ってしまったらしい。

 再び場が静まり返る。


「……そのサザイだがよ」

 今度はノウゼンが口を開いた。

「つい昨日のことだ。どこぞの誰かが、アイツの為に絵を描いて欲しいって、オレに頼んできた。描いて欲しいのは……」

「葵の花」ポツリとフォミカが呟く。


 葵の花。それは請負人の間で使われる、殺しの隠語である。

「そういうこった。なあ、フォミカ……テメエはたった今、体が空いたばかりだ。引き受ける気は無いか?」

 ノウゼンは長い白髭を撫で始めた。

 対するフォミカは腕を組み、じっと目を瞑っている。


「フォミカさん?」

 シキミがそっと身を傾けて、相棒の様子を不安げに覗き込んできた。

 しばらく時間が経った後、フォミカは答えを出した。

「その仕事を請け負わせたければ、条件がある。ヒバリ殺しの依頼人が誰なのか教えろ」


 飛び出した答えにシキミは「ぎょえ!?」などと、素っ頓狂な悲鳴をあげる。若殿も驚いて取り乱したらしく、向こうの部屋でドタバタ音を立てた。


「おいおい。何てバカを言い出す、テメエ?」

 ノウゼンまでもが、白まつ毛を蓄えた目を開け広げて瞠目した。


 請負人が殺しの背景を仲介屋に尋ねるのはご法度。ましてや依頼人の名を聞き出すなど、もってのほか。フォミカの問いは暗殺代行の掟破りだ。


「アタイは女将殺しを袖にした。今はもう部外者で掟の外に居る。噂好きな裏の者としては、是非とも興味深いネタは仕入れておきたい所なんだがねぇ」

 ニヤニヤと不敵に微笑み出すフォミカ。狼狽えるシキミをよそに女絵師は続けて言う。


「それによ。ヒバリ殺し、手を挙げる奴が誰も居ねえんだろう。だからジジイ、テメエはアタイが降りると言っても止めなかった。ハナから断られると分かっていたから。そうだろう?」

「……けっ。勝ち誇ったように言いやがって。あいも変わらず腹のたつクソガキだぜ」

 長い嘆息の後、ノウゼンは半ば呆れた様子でため息をついた。


 それから「仕方ねえ」と、フォミカの要求に従い、こう言った。

「ヒバリ殺しの依頼人は、サザイだ」

 出てきた答えにシキミは絶句。軽く腰を浮かせてのけぞる。一方のフォミカは微動だにしない。黙って元締が続きを言うのを待つ。


「若殿にアイツの素性を探ってもらった。奴は食いつめたふた親に捨てられた後、尼寺に拾われたそうだ。確か……姉も先に売られたって話だよな、若殿?」

「そうだ。妹は清貧を是とする寺院で修業の末、尼になった。対する姉の方は奉公先を変えながら、やがて料亭の女将に昇り詰めた。ここまで言えば、依頼人と標的の繋がりが分かるだろう」

「ええと……トウジャク寺のサザイは妹で、小雀のヒバリさんがお姉さん?」

 シキミが小首を傾げる。

「血の繋がった姉を殺すか。よほどの理由があるのか?」

 若殿が疑問の声を発した。そんな彼にフォミカは「どうだろうな」と返す。


「大した理由は無いかもしれんぜ」

「……と、いうと?」

「少しでも食い扶持を減らしたくて、姉は売られた。なのに結局は家族全員で食い繋ぐ事もできず、自分は捨てられて贅沢とは無縁な尼寺行き。一方の姉は売られたってのに、今じゃ夜の街で贅沢に、かつ煌びやかな生活をしている。そんなの知ってみろ。アタイだったら……」


「妬ましいと思う、ですか? まさか嫉妬で暗殺の依頼を?」

 信じられないと目を丸くするシキミ。

「珍しい話じゃないだろ、この稼業ではな。ま、こいつはあくまでアタイの想像のハナシ。本人に聞けば、一晩中語ってくれるだろうぜ。そんなの願い下げだがね」

 フォミカは呆れ半分に言う。


「そして姉の命を狙った女が、今度は自分が別の人間に狙われる事になった訳だ。どうだ、これで満足か?」

 元締に水を向けられたフォミカは、うねった長髪をワシワシ掻き回す。


 サザイ殺しの依頼人はヒバリだ。大方、見兼ねたノウゼンがそれとなく請負人の噂を伝え、依頼するよう仕向けたのだろう。


 それにしても、生き別れの姉妹同士が同じ殺し屋を使って殺し合う事になるとは……。

 フォミカは複雑な気分を抱えたまま話す。

「若殿を使ってサザイの噂を聞かせに来た辺りから予想はついてたが。にしても、やり方が回りくどいぜ」

「まるで、根に暗に教えているようなものじゃないですか」

 フォミカに続いて、シキミも抗議の声をあげた。次の瞬間、彼女は何か思いついたのか、ポンと手を叩く。


「あ、分かった。フォミカさんにトウジャク寺を調べさせて、依頼を降りるように仕向けたかったとか!?」

「そういうこった。まったく、これだから年寄りは!」

 女たちが騒ぎ出したので、ノウゼン老は「待て、まて」と宥める。


「オレは元締だ。建前上、お前ら請負人には掟を守らせる務めがある。だから遠回しにするほか無かったんだ」

 ノウゼンは心底、困ったように説明する。


「ヒバリ殺しの依頼は別の仲介人の所に舞い込んできたんだ。ソイツが持て余して他所に回した末、オレの所に流れて来た。仕方ねえからフォミカに声を掛けながら、若殿にあちこち探りを入れて貰ってたのよ」

「もしアタイがこの仕事を請け負ってたら、どうしていた?」

「ヒバリが死んで金が入る……それだけだ。だがお前さんは、そんな女じゃねえだろう。でもな……」

 一度、ノウゼンは深くため息をついた。


「一方でオレはヤキが回った。手前の面子メンツ可愛さに一人死なせちまった。今さら悔いた所でもう遅いが」

 老人の声がだんだんと鉛のように重く、そして落ち着いた声色に変わっていく。

 それに併せて場の空気も一変していた。ほんの一瞬まで姦しかった女二人も居住まいを正し、いつの間にか真剣な面持ちになっていた。


「だからこそ、今度のサザイ殺しは俺たちで請負いてぇのさ。世の為、人のためとか、高尚なモンじゃあない。生かしてはおけぬ外道を、俺たちのやり方で消す。そんだけよ」

 


 老人も双眸を開け広げる。その目は光さえ通さぬほどにどす黒かった。

「出番だぜ、請負人」

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