暗殺請負い候-5


 その頃、フクラは大いに戸惑っていた。

 お使いからの帰り、トウジャク寺の信者たちに声をかけられた。逃げたくても周りを囲まれ、あれよあれよで、寺まで連れて来られてしまったのである。


 そして、更に輪を掛けて、フクラを驚かせる事態が起きた。

 通された部屋で面会した、トウジャク寺の住職。その顔にヒバリは驚いて声を失う。

「住職のサザイです。どうぞ宜しく」

 青い頭巾に包まれた優しい顔は、小雀の女将であるヒバリにそっくりだった。


 目鼻だちや、声色に多少の違いはあれど、容貌は殆ど同じ。

 混乱して目を白黒させるフクラ。そんな彼女に、サザイはゆっくり、穏やかな調子で質問をしていく。

 生い立ちのこと、奉公先のこと、生活のこと。


 最初は擬念の心を抱いてたフクラだったが、サザイの優しく、親身に話を聞こうとする姿勢に、段々と絆されていった。

 そして気が付けば、会話が弾みに弾み、場はだいぶ盛り上がった。


「……あら。いけない、今は何刻なんどきですか?」

 不意に我に返ったフクラが尋ねる。


「急にどうしたんです?」

「お使いの帰りだったんです。早くお店に戻らないと。夜の支度がまだ……」

「帰らなくて良いのですよ」

 サザイがニッコリ顔で言う。この尼僧が何を言っているのか、フクラは理解できずに狼狽うろたえた。


 サザイはすっと、フクラの側に体を寄せる。そして、混乱するフクラの小さな手を、そっと握った。


「あんな所に戻ってはなりません。奉公などという建前で親に売られ、女を売り物に苦労を重ねる。とても辛い目に遭われたようですね」

「あ、あの」

「でもご安心下さい。このトウジャク寺は、女人救済の場。あのような汚らしい夜の街よりも、ずっと素晴らしい生活が送れるよう、皆さんに手を差し伸べているんです。ですから……」

「あの!」

 押されていたフクラが声を張り上げる。サザイはびっくりして口を止めた。


「わ、わたし。今のお仕事が嫌とは思ってません。仕事は忙しいし、嫌な時もある。でも、お客さんのお相手をするの、楽しいです!」

 フクラも内心、びっくりしていた。普段は自分から、ハッキリとものを言わない、気が小さいと自覚していた。


 だが……サザイの話を聞いている内に、ふと弾けた。

(わたしは女将さんみたいに強くない。でも……)

 深呼吸の後、フクラは再び口を開けた。

「サザイ様は丘街が悪い所だと思っているかもですが、小雀は違います。あそこは、わたしが自分らしく居られる。大切な居場所……だから、わたし帰ります」

 そこから先は、サザイは何も反論してこなかった。ただ寂しそうに小さく微笑み、頷いた。


「そうですか、残念です。長い時間、引き留めてしまい、失礼しました。でしたら、帰りの力車を寄越します」

 すんなりと引き下がった。戸惑うフクラに、サザイは尚も優しく語りかける。

「とても意志の強い子ですね。どうかそのまま健やかにお過ごしください。でももし、何か大変な目に遭われたら、この寺を思い出して」

 そう言うと、サザイは部屋を出た。


…………


 ……フクラは人力車が来るまでの間、部屋に留め置かれる事となった。

 しばし時間が経っても、胸の高鳴りは止まらず、緊張で渇いた喉を潤すのに、出された茶も全て飲み干してしまった。


(まだかしら?)

 フクラはソワソワと障子戸を見たり、聞き耳を立てて、長い時間を過ごす。

 いっこうに来ない。待てども待てども、訪れる者はいなかった。

 フクラはやおら立ち上がる。ちょうど外の空気も吸いたかった彼女は、障子戸を開けて、縁側に出た。


「……だな」

 ふと、微かにではあるが、男の声が聞こえた。

(尼寺なのに?)

 フクラはキョロキョロ辺りを見渡す。その内に……。

「足りないなぁ」

 また男の声が聞こえてきた。フクラはつい、声が聞こえてきた方角に足を運んだ。


 もしかして車夫が来たのかしら。などと考えながら、曲がり角に差し掛かる。

「頼むぜ、尼さん。もうあちこちから、次々声が掛かってきているんだから」

「そうは言うがね……」

 話し声は曲がり角の向こうから聞こえてきている。男と話しているのは、尼のサザイのようだった。


 何やら怪しい気配を覚えたフクラは、角を曲がらず、壁に寄って耳をそばだてた。

「あんまりに急いても状況は変わらんよ。むしろ雑になってボロが出るだけ」

 サザイの口調は先程とは打って変わり、非常に粗野で乱暴だった。


「集め方を今一度、見直そう。今の仕事よりも、ウンと好条件だとか、目を惹く話題を前に出さなきゃ」

 チラリと男の姿も見えた。よく肥えた身なりの良い中年男だ。まるで尼僧を説き伏せるように、前のめりになって男は言葉を続ける。

「アンタのことだ、しくじりはしないって信じてるよ」

「おや。ずいぶん買ってくれるじゃないか」

「そりゃあそうだ。女人救済なんて謳ってるアンタが、裏では人買いの片棒担いでる。その意気に応えにゃあな」

 と、さも愉快そうに笑う。


 話に耳を傾けていたフクラは仰天。口を慌てて塞ぎ、驚愕の声を抑えた。

(尼さんが人買い? じゃあ、あの男は……)


「この所のご一新とやらで、工場をバンバン建出ている割に、人手がなかなか集まらん。そういう所にまとめて売り飛ばせば、今は良いカネになる。だからアンタには、もっと身を入れてやって女どもを集めて貰いてえ」

 人買いの男は、ガハハと肥えた腹を揺らして笑う。


「わかってるよ。だからこうして、丘街の阿呆な女どもを集めてやってんじゃないか。高い金が稼げるって吹き込めば、あんな脳足りん共、コロっと騙される」

 対するサザイは丘街の住人……特に女たちに対する、憎しみを隠す事なく言い返した。矛先を向けられているフクラは顔を真っ青にさせ、わなわな体を震わせる。


「しかしアイツらだって、流石にそろそろ不審がる頃じゃないか?」

「心配しないで。そこで役所の出番だよ。丘街の茶屋に遊郭……汚らしい店はみんな、ご禁制、全て潰してもらうの。海向こうの異人どもはそうやって綺麗な街を作ってる……なぁんて言って、袖の下渡せば、役人どもは二つ返事で始めるさ」

「ははは。そうかい、そうかい。なるほど、ご一新様サマだ」


 二人の会話を交わしている傍らで、不意に廊下の床板が軋んだ。音を立てたのは盗み聞きをしていたフクラ。僅かに足を動かした拍子に、音を出してしまったのだ。


「誰だい!?」

 サザイが廊下の角に鋭い声を向ける。

(まずい!)

 フクラは大慌てで廊下を駆け出す。一刻も早く、ここから出なければ。

 履物も履かず、足袋のまま庭に出て、正門を目指してひたすら走る。


 振り返らなくても追手がやって来ているのがよく分かった。

 汗が噴き出た背中に大勢の足音や、怒号がぶつかってくる。


(苦しい。息ができない。でも、止まっちゃ駄目)

 フクラは込み上げてくるものを堪え、左右の足を必死に動かす。

 その甲斐あってか正門まであと数歩の位置まで、捕まらずに来れた。


 あと少し。あと少し。

 ようやく正門を潜った。前方の竹林には街へと続く一本道が奥まで続いている。

 ここを走りきれば……。


 その時であった。


 フクラは背中に大きな衝撃を浴びて、前に倒れた。

 背中から胸にかけて、猛烈に熱く……痛い。

 そっと熱を帯びた胸に手をあてる。


「え?」

 手を汚したのは、ぬらりとした赤い液体。

 血? 血が流れている?


 何が起きたのか。理解できない。近づいてくる追手達の音は、段々と遠のいていき、前方に見える一本道さえ霞んで、見え辛くなっている。


 そんな中、何者かが竹林から出てきて、駆け寄ってきた。顔は……もう見えない。

 視界は殆どが真っ白だ。

 フクラは込み上げてきた血を吐きながら、手を伸ばした。

「お……女将……さ」

 フクラの手は力なく地面へと落ちた。


「どうして撃った!?」

 人買いが怒鳴る。怒りを向けられたサザイは、煙を立ち上らせる拳銃をそっと下ろした。舶来品ではない、昔から広く使われている、先込め式の短筒だ。


「防人に駆け込まれたら終わりだろう」

 さも平然と答えるサザイに、人買いは狼狽しながらも、手下達に命令をだす。

「早くあのガキを寺の中に……」

「待て、親方。誰か来たぞ!?」

 竹林から小柄な人影が飛び出してきていた。顔は頭巾で覆い隠し、野良着を着たその乱入者は、倒れるフクラを目指して、一直線に走る。


「まずい。アイツもろとも消さねえと!」

 人買いの手下達も血相変えて走る。だが、ひと足先にフクラの元に達したのは乱入者。

 乱入者は懐から黒い筒を取り出すと、足元に叩きつけた。たちまち灰色の煙が噴き上がり、フクラの周りに煙の壁を作り出す。


「煙幕!?」

 人買い一味の足が止まる。

 煙は数十秒間、辺りを灰色に染めた後、横風によって吹き流れていった。その頃には既に、乱入者もフクラも消え失せ、地面に広がった血だまりだけが残されていた。


 …………


 トウジャク寺で騒ぎが起きてから、しばし時が経った。

 町外れに住む隠居老人、ノウゼンの邸宅に来訪者がやってきた。


 閉ざされた門戸が激しく叩かれる。ノウゼンは不審に思いながら門へ向かった。

「なんじゃ、なんじゃ」


 近所の農夫が怪我でも負ったか?

 門を開けた老人だが、来訪者を見るなり、白髪と髭で覆われた顔が真っ青になった。

「先生! この子を助けて!」

 シキミだった。彼女は普段の彼女からは想像も付かない、深刻で張り詰めた表情で訴える。


 ノウゼンはシキミが背負っている若い娘を見た。死人のように顔を蒼白にさせ、流した血で、シキミの野良着を真っ赤に染めあげている。

「中に入れ」

 ノウゼンは迷いなく二人を中に迎え入れた。

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