暗殺請負い候-4
……一方その頃。
丘街にやって来たフォミカは、小雀を目指して大通りを歩いていた。
昼間は昼間で、小間物屋をはじめ、紅や鍋、提灯といった店が開いており、通りにはぼてふりやら小さな屋台やらが出てきて、商売に精を出していた。
フォミカは両手を袖に通さず、長着の懐に納めて、通りを闊歩していた。
「あら。フォミカさん、昼に会えるたぁ珍しい」
「おや、久方ぶりだな、大将。また今度一緒に呑もう」
「女先生。小腹は空いてねえかい、今なら上手いところてんが食えるぜ」
今度は通り掛かりのぼてふりが、声を掛けてくる。
「すまん。今は腹が膨れてる。上等なのは他の客に食わせてやってくれ」
「フォミカ先生、久しいねえ。珍しい紅が入っとるよお、少しくらいで良いからさ。寄っていきなぁよ!」
会話が終わる暇も与えず、小間物屋の女が手を振ってきた。
「珍しいってなぁ、そそるね。よっしゃ、後で寄らせてもらうよ」
フォミカは掛かってくる呼び声の数々に、洒落た素振りや返答で返して行きながら、小雀目指して歩いていく。
絵師としての評判はさておき、丘街に金を落とす客としては、そこそこ名が知れていた。
そのような胡乱絵師が大通りを歩いていると、通り沿いの呉服屋の店頭で繰り広げられる、言い争いが耳に飛び込んできた。
「このまま泣き寝入りしろってのかい!」
若い女の声だ。気になって顔を向けると、呉服屋の店内で、若い娘数人が、初老の男を囲んで怒っていた。
「明日だぜ、明日。ここまで準備したんだよ、わたいらは。それをおジャンにするっての!」
女達は座敷に集まり、男に向かって喚いている所だった。
「待っといてくれ、おヌイ。あんたらが怒るのは分かる。オレだって腹たててるんだ!」
初老の男は皆を宥めつつも、反論を試みる。その双眸が涙で潤んでいるのを、フォミカは見逃さなかった。
「頑張って準備したんだぜ、みんなでよお。それが、お役人共がたった一言、テメエらの催しは認めない……当日は中止しろ、なんて」
男はとうとう嗚咽漏らして泣き出す。それにつられるように、周りの女達も、次々と泣き出していく。
「俺ぁ見たかったんだよ。お前ぇらが作ったオベベ着て、大手を振って魅せる姿を!」
などと話す初老の男に続き、番頭らしき男も頭を下げる。
「みんなには済まねえことした。でもどうか旦那様を責めねぇでやってくれ。この人はお前らが好きにやれるように……最後まで、あちこち頭下げて回ってたんだから!」
「そんな事は言われなくたって……アタシらだって、アタシらだって……柄を描いたり、着付けを勉強したりしたんだ!」
「悔しいよ。どうしたら良いんだっての!」
「みんな悪く無い。みんなここまで頑張って来たのに!」
わんわん喚き泣き合う様を、遠目から眺めるフォミカ。そんな彼女に、一人の男が声を掛けてきた。
「あんなのがほぼ毎日起きている」
声は横の荒屋から聞こえてきていた。
フォミカはサラリと近寄る。よく見ると、建物との隙間に広がる暗がりに、人影が一つ、隠れていた。
「おやおや。恥ずかしがり屋だねぇ、若殿」
フォミカは影に背を預け、不敵に微笑む。
声の主には心当たりがあった。何しろ、ほんの数日前にも、この「若殿」とは情報の売り買いをしていたのだ。
「トウジャク寺に鼻薬効かされた役人共が締め付けを強めて来た。あの呉服屋、明日は新作の衣や襦袢を女達に着せて、この通りを歩かせて宣伝するつもりだった。それが直前に中止を言い渡されたらしい」
若殿はフォミカの皮肉を聞き流して、話を続けた。
「見世物が中止? たかが、店一つの宣伝だろう?」
「たかが小さな店にも、噛み付く輩が出てきたんだ。女の姿を安易に見せびらかす催しはけしからん……そのような申し開きがトウジャク寺を通じて、役所に届いた……と」
声の声は淡々と話す。
「ふうん。役人連中も、小さな声に応えるたぁ仕事熱心だねぇ。普段からそうして貰いてぇトコなんだが。うん、つまりはトウジャク寺の連中……騒ぐだけに留まらず、堅気の商売にまで、ちょっかいかけて来たのか?」
話の途中でフォミカは眉をしかめる。
天下がすっかり一変し、これまでの
これまで当たり前のように続けてきたシノギ、催しの類を取り上げられて、皆は黙って引き下がるものか?
フォミカの疑問に答えるように、声の主は言葉を続けた。
「丘街の寄合は御立腹だ。彼らは呉服屋の催しにも心づけを渡していた。それが土壇場で中止を言い渡され、出費の回収をどうするか、誰にケジメを取らせるのか、裏の方は大騒ぎだ」
「……面白い話だが『若殿』よ。ロハでこんな話を聞かせて良いのかい?」
フォミカは口の端をつり上げて皮肉っぽい笑みを作る。
「代金なら、元締から先に貰っている。お前に是非とも聞かせてやれとな」
「元締が?」
「話しは全て伝えた。じゃあな」
すうっと、声が遠ざかっていく。フォミカは若殿の気配が完全に消えるまで、しばらくその場に佇んだ。
「あのヒゲ。仕事と関係ない話を聞かせるたぁ、どういう事だ?」
彼女は不機嫌に頭をかいた。
(いや、ヒバリ殺しにトウジャク寺は噛んでいる。だから元締は若殿を経由して遠回しに伝えにきた。でも何のために?)
フォミカは考えを巡らせる。今のところ両者に明確な接点は無い。もし有るのだとしたら、よほど「込み入った事情」が絡んでいるのだろう。
請負人が依頼主を探るのはご法度。これ以上、不用意に探るのは得策ではない。しかし……。
(釈然としない)
フォミカは、納得いくよう調べ尽くしたいという、欲を抱いていた。
(……いや、それがジジイの魂胆だ。アタイに調べさせようと仕組んで……クソ、回りくどいんだよ)
フォミカは大きな掌の上で踊る己を想像し、仏頂面になった。
……
その後、また大通りをしばし歩き、料亭小雀に到着した。瀟洒な店頭は、陽の光をたっぷり浴びた昼間であっても、落ち着いて洗練さが衰える事は無かった。
フォミカが裏口へ回ろうとした時、店の中から声が掛かった。
「フォミカさんですか?」
「はい」
返事をすると、女が一人、暖簾を潜って出てきた。
「やっぱり。フクラからお話、伺っとります。確かに格好いい女の人、一目で分かった。初めまして、小雀の女将でヒバリと申します」
柔らかい訛りのある口調で挨拶する。
女将を近くで見たのはこれが初めてだった。負けん気の強い女だとは思っていたが、確かに顔つきは凛々しく、猫のような大きい双眸は、精力的で強い光を宿していた。
「うん。初めまして」
フォミカは片手を軽く挙げて応える。
「ちょいと近くを通ったついでに、フクラちゃんに会えたら、なんて思ってさ」
「あら、左様でしたか。申し訳ございませんが、あの子は使いで外に出ておりました」
するとヒバリは茶を馳走すると言い出し、フォミカも好意に甘える事にした。
………
応接用の客間で、フォミカは茶をすすりつつ、ヒバリとの当たり障りない世間話を交わす。
その内に、どういうキッカケなのか二人も意図しない内に、フクラの話題となった。
「あの子は初め、油屋の下働きだったんです。それを偶然見かけて引き抜いた」
「良い買い物だったな。あの子はちゃんと育ててやれば、丘街でも一等の女になれる」
「そりゃあそうですとも。ワタシが見込んだ娘です、フクラはワタシよりも、ウンと良い女になれますとも」
ヒバリは他人の事だと言うのに、さも誇らしげに言う。フォミカは引き寄せた腰掛けに肘を載せ、気取った笑みをつくる。
「まるで自分の娘みてぇに誇ってら。ずいぶん買ってやがんだね」
「あら。これは失礼。つい熱が入っちまいましたね。でもそれだけ、ワタシはフクラを買っとるんです。ヨソの方々は、色茶屋あがりの商売女が、若い娘の操まで売り物にしとる、なんて吹いとるそうですが……」
ヒバリは真っ直ぐフォミカを見て言う。
「ワタシはね、『芸は売っても体は売るな』とハッキリ、店の者達に言い聞かせてます。
だからあの子には、安心して前に出て、たくさん自分を磨いて、輝いて……」
徐にヒバリははっとして、口元を袖で覆う。
「あら。すいません、またつい話しすぎちゃった」
「いや、いい。この様子だと、あの子も大変だな。アンタのでっかい期待に応えにゃならん」
フォミカは姿勢を崩して座り直す。そして、噛み締めるように、ゆっくり口を動かした。
「……色茶屋あがり、ね」
「軽蔑されますか?」
「いいや。ワケがあったんだろう」
するとヒバリはうっすら苦笑いをつくる。
「特別な話じゃありませんよ。貧しくて水しか呑めん家が、子を奉公に出した。よくある話です」
「家族は知ってんのか、今のアンタのこと」
「いいえ。ワタシ、家を出てから一度も戻ったことないんです。だから両親も、あの頃は小さかった妹も、今どうしているかさっぱり知らない。ううん、知らない方が、お互いの為かもしれません」
ヒバリはそう言うと小窓の外を細めた目で見やった。フォミカは黙って茶を口に含む。
「あら、やだ……ごめんなさいね、今度は湿っぽい話。どうしてかしら、今日はヤケに口が滑るようで」
「そういう時もある。でもアタイは、アンタのことを知れて良かったと思ってる。話してくれて有難う」
礼を言うフォミカ。穏やかな態度で振る舞うその裏で、女絵師は考えを巡らせていた。
この女を始末するか、しないか。いよいよ最後の判断を下す時が、すぐそこまで迫っている。
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