暗殺請負い候-3


 怒鳴り声は女のものであった。

 女中達が気まずい顔を見合わせている横で、フォミカは窓の側にそっと寄る。声は窓下の裏庭から聞こえた。


「何べんも来て難癖つけやがって。いい加減にしな!」

 などと声を荒げるのは、椿模様の艶やかな着物を着た女だ。そんな彼女と相対するのは、頭巾の尼僧やら、一般の女といった集まり。彼女らは門前の周りに群がり、口々に非難の声を叫んでいた。


「女を食い物にするな!」

「性を売り物にする不届者!」

「未来ある娘たちを解放しろ!」


 声をあげる女達。その内に騒ぎを耳にして、表通りにも野次馬ができ始める。

 椿の女が、負けじと「あっち行け」と追い払っている内に、小雀の男衆らしき一団もやって来たが、堅気相手に手を出すわけにもいかず、詰めかけてきた女達の前に立ちはだかるしか術が無かった。


 その最中も議論の「ぎ」の字も無い、それぞれの主張をぶつけ合うだけの騒乱が続く。

「なんだい、アレは」

 フォミカは部屋に顔を戻す。浮かぬ顔の女中達は言葉に迷い、口籠る。やがて意を決したらしいフクラが、重い口を開いた。

「あの人たち、トウジャク寺とか言う、寺院の人たちなんです。ええと、異国の……女性とか……何とか、そういう活動をしていらしてるとか……」

 フクラは目を泳がせて口を動かす。覚えたばかりの話を思い出そうと、記憶を辿っているようだ。


「センセはご存知ですか、あの人達のこと」と、今度はフクラから尋ねる。

「いいや。まあ近ごろは、やれご一新だの、やれ文明開花だの騒いで、何でもかんでも仕組みを変えちまおうって輩がたくさんいる。アイツらも、その類だろうな……もしかして、あの椿柄の女が……」


「女将さんです」

 フクラが答えた。

 フォミカはまた女将のヒバリに目を向けた。大人数に詰られても尻込みする素振りを見せず、堂々としている。なるほど確かにアレは大物だ……フォミカは心の内で納得した。


「女将さん、ここしばらく、トウジャク寺の人たちと揉めているんです。いいえ、ここだけじゃない。近ごろは丘街じゅうのお店や、遊郭に押しかけて、ああして騒ぐんです」

「若い娘を解放しろーって?」

「ですね。汚い仕事をさせて、お金を稼がせるなんてけしからんとか。私達が清く正しい暮らしをさせるんだー、なんて言ってたり」

 そばかす女中は困り眉で話を続けた。

「他の店で奉公してた何人かは、トウジャク寺に行ったみたいです。その後は……どうしてるんでしょう。さっぱり話を聞きません」


 などと話している間に、防人の警邏が数人、騒動の場にやって来た。トウジャク寺の女達は、近づいてくる制服の男たちを見るなり、いそいそと立ち去る。


 フォミカは体をまた室内に戻した。目を細め、しばらく思案を巡らせた彼女は、不意に手を叩く。

「興が冷めちまったな。アイツらのことは忘れて、また飲み直そう……うん、シキミ?」

 フォミカの細面に呆れの色が浮かぶ。

「どうりで静かだと思ったら、コイツ……能天気すぎるだろう」

 シキミは箱膳の横で眠っていた。

「満腹になって眠りやがったな」

 座布団の上で体を丸め、すうすう寝息を立てる様は、さながら愛玩動物のようであった。


 ………


 ……しばらく経ったある日の昼下がり。曇天広がる空の下、シキミは一艘の小舟で水路を下っていた。


 格子模様の野良着はたすきで袖をたくし上げ、裾を山袴の内側に突っ込んでいる。そんな彼女が操る小舟には、フォミカが同乗していた。

 女絵師は男ものの長着に袖を通し、黒い生地に金の刺繍を入れた羽織を、肩に掛けていた。


「今日も小雀に顔を出すんですか?」

 シキミが問うと、フォミカは「この後、な。もうすっかり常連よ」などと、軽い態度で答える。


 これは妄言などでは無かった。

 最初の下見を終えてからも、フォミカは何度か小雀に足を運び、店の者達と知り合いになっていた。

 その中でフォミカが目星を付けたのが、女中のフクラだ。どうやらこの娘、ヒバリの「お気に入り」で、彼女のもたらす情報は、裏の仕事を進める上では、非常に有益なものばかりであった。


 ……ヒバリは小雀の女将として、丘街では名の知れた美人だと云う。

 その前は場末の飯盛女を経て、色茶屋に移った遊女だった。

 その色茶屋に身を置いていた頃は「当代一の美女」などとも謳われ、相当数の太客を抱えていたという。

 その客の一人が小雀の現主人だった。


 熱をあげた彼の一声でヒバリは女将として引き立てられた。当時の店主が色恋で目を曇らせたとしても、結果的に「良い買い物」だったのは間違いない。

 今の小雀の繁盛ぶりは、殆どヒバリの腕に寄る所が大きい……というのが、世間の評であった。


(その分、恨む輩は多いんだろうな)

 フォミカは腕を組んで眉をひそめた。

 辣腕の女将を殺したい誰かがいる。今回の暗殺代行を依頼した者が、正にそれだ。


 珍しい話ではない。怨恨、逆恨み……人が人を殺したい理由は、天上の星より多く、そして星座以上に複雑だ。殺しの標的が成功した人間なら尚更、怨む者は多くなる。

 では、今回の殺しには、どのような事情が絡んでいるのか?


(深入り厳禁。余計な事を考えるな、阿呆)

 フォミカは目を瞑り、己に言い聞かせる。

 請負人は事情に深入りせず、ただ正確に殺しを実行するのみ。それが殺しの掟だ。

 依頼人がどこの誰で、どうして標的を始末したいのか。このような背景は、基本的に請負人には知らされないものだし、請負人も深入すべきでは無いとされている。


 しかし……。

 腕を組んで眉間に深い皺を刻む。

(この仕事、裏を取らずにすんなり請けて良いのか?)

 自問している所に、シキミが朗らかな調子で訊く。

「本当に仕事をするんですか?」

(今それを考えてんだっての)

 フォミカはモヤモヤした感情を燻らせて、口を閉ざす。


 今は普段通りの工程で、下準備を進めている所だった。仲介屋のノウゼンから催促が無い以上、無闇に工程を弄りたくはない。

 一瞬の出来事、些細な失敗が破滅をもたらすのが請負人の世界。差し迫った状況で無いのなら、慎重に事は進めたかった。


「フォミカさん?」

 思案するフォミカに、シキミは再び声を掛けた。

「あんだよ」

「気が進まないって感じです。今回の仕事、断っても良いんじゃないんですか?」

「……うん。ジジイが仕事を持ってきた時、アイツは何か隠しているようだった。ソイツを見極めないで、この仕事を請け負うのは危険だと思ってな。だがよ……」

 フォミカはせっかく整えた銀の長髪を、わしゃわしゃ掻きだす。


「それが何なのか分からねえ。ジジイと依頼人の間で取り決めがあったか、それとも、的のヒバリに何か秘密があるのか」

「もしくは依頼人に問題がある?」

 シキミも後に続いて言う。フォミカは「その線も有りだな」などと言い結ぶと、別の話題へ切り替えた。


「そうだ。小雀にやって来た女達の事、覚えてるよな」

「トウジャク寺ですか?」

「うん。アイツらのこと、ちと気になったもんでよ。仕事のついでに聞いてみたんだ」

 フォミカはそう言って、ここ数日で仕入れた情報を話し始めた。


 ……以前のトウジャク寺は、郊外にひっそり佇む、普通の尼寺であった。

 しかし昨年、長らく住職を勤めていた尼が病に倒れて別の者が跡を継いだ。以来、寺の様子が一変したという。


 尼の名はサザイ。彼女は異国で急速に広まっているという『新しい女人救済』とやらを国内に持ち込み、広めて回っているそうだ。


「新しいって、例えば?」

「さて。流行り物には疎くてな」

「正直に知らないって言えば……わー! 船を揺らさないでえぇ!」

 慌てふためく相方に機嫌を取り戻したフォミカは船を揺らすのを止めて話を再開。


「異国の流行りを取り入れて騒いじまえば、今は何でも新しく見えるもんだ。サザイのやり口も、その手の焼き増し、何かの二番煎じの類だろう。にしても、裏の連中は噂好きで助かる」


 裏稼業の事情通達たちの間では、様々な情報や噂が売り買いされる。

 請負の標的になっているヒバリや、サザイにまつわる様々な噂も、裏稼業者にとっては大事なだった。


「お陰で色々と面白え話も入ってきた。サザイは役所の重鎮どもに鼻薬効かせて、遊女を取締る法律を作るよう働きかけている。丘街から『如何わしい店』を追い出す、その監視役の席を寄越せ、活動資金を回せとな」

「うへえ……」

「鼻薬の手前、役所はトウジャク寺の半ば言いなり。中には気を利かせた年寄が、防人方にまで根回しを始めてきたってよ。コイツは我らが『若殿』からの情報だから、信用しても良いだろう」


 などと言っていると、前方に桟橋が見えてきた。丘街のすぐ真下にある船着場だ。

 ここから丘を上っていくと、繁華街に出られるので、夕方は大勢の客でごった返す。


 反面、陽が最も高いこの時間は、賑わいから最も遠い為、非常に静かであった。シキミは最も手前に位置する桟橋に小舟を横付けする。

「今日は軽く顔を出すだけ。すぐ戻るつもり」

 フォミカはそう言って桟橋へと上がる。

「それなら船着場で待ってます。気をつけて」

 遠ざかる主人に手を振ると、シキミも船から離れようとする。



 その時だ。ふと、対岸の様子が視界の端に入った。見慣れた顔の女が居た気がする。

 おや?

 もう一度、今度は真っ直ぐ見る。

 いた。小雀の若い女中、フクラとかいう娘だった。

 その娘が、複数人の女に囲まれ、何やら話している。対岸ではよく聞こえず、シキミは動きを注視するしか無かった。


 しばし後、フクラは一行と共にその場から立ち去っていく。

(どうしよう?)

 シキミは丘の上と、フクラ達の後ろ姿を交互に見た。

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