暗殺請負い候-2
数分後。用事も済ませ、たわいの無い雑談の種すら尽きると、ノウゼンはいよいよ座布団から尻を上げた。
「それじゃあ、後のことは頼んだぜ」
などと言っている間に、茶を淹れてきたシキミが戻ってきた。若い娘は障子戸を開けるなり、垂れた目をパチクリさせる。
「あらま、先生。もう帰っちゃうんですか? せっかくお茶淹れて来たってのに」
「うん。用事も済んだし、これ以上絵描きの先生の大切な時間を頂戴するのも、申し訳ないだろう」
「そんな、そんな、大切な時間だなんて。むしろたんまり余っとるよお。この人、いつまで経っても仕事は増えないし、売れないしで……あだ!」
シキミの額にコツンと固形墨が当たる。
「痛いよお、フォミカさん!」
赤くなった額をさすりながら、シキミが抗議する。
「テメエはいちいち余計なコトしか言わねえ。良いかい、アタイはね、しっかり金になる仕事だけを選んでるんだ。量より質!」
怒れるフォミカの手には、既に硯が握られていた。シキミがまた不用意な発言をしようものなら、即座に投げるつもりらしい。
「わ、わかりました。分かりましたからあ。その硯、下に置いて下さい、おっかない!」
シキミが慌てて止める。
「まったく元気な二人だね。それじゃオレはこれで失礼するよ」
二人のやり取りを微笑ましく眺めていたノウゼン老は、そう言い残して退室した。
フォミカは、庭をトコトコ、遠おざかっていく小さな背中を見つめる。
そんな主人の様子に異変を感じ取ったシキミが、怪訝な面持ちを作った。
するとフォミカは、肩を竦めて小さな声で言った。
「あのジジイ、仕事を請け負ってくれと、頼みに来たんだ」
「表?」
「ううん。裏の仕事だ。それも訳のありのな」
………
この世には二つの世界がある。
陽のあたる普段の日常を「表」の世界とするならば、表の陰に隠れて明けぬ夜が延々と続くのが「裏」の世界。
そして、この裏の世界には、表とはまた違う職を持った者たちがいる。
その中に金を受け取り、暗殺を請け負う仕事人集団がいた。
その名も
彼らは直接、依頼人に接触しない。両者の間には、必ず窓口となる仲介者がいる。
仲介者は持ち込まれた依頼を厳しく吟味した後、適任とされる請負人に仕事を振るのだ。
その裏の仲介者の中でも「只ならぬ男」と評されているのが、町医者のノウゼンだ。
彼は町医者として人々の命を救う一方、請負人組織の元締という顔を併せ持ち、長らく暗殺代行の窓口として暗躍してきた。
そんな彼の一味に属するフォミカもまた、絵師として生活を送る傍らで、裏稼業に手を染めてきた古強者であった。
……さて。
ノウゼンが仕事の依頼をしに来てから、しばらく刻が経った。
昼間、空の上でさんさんと輝いていた太陽も、今では西の地平に沈みかけ、レドラムの街を茜色に染め上げている。
この時間になると、街の大通りでは、再開発によって設けられたガス灯の列や、煉瓦造の重厚な建物群が、次々と灯りをつけ始めるようになる。
数年前の政変に端を発する国家の大改革、所謂「ご
大きな汽水湖に面した交易都市として、長らく栄えてきたレドラムにも、時代の波は訪れ、街並みは少しずつ塗り替わっている。
その一方で、市内の東側にある丘の周辺だけは変わらぬ姿のままだった。
地元の人間たちが「
この丘街には高級料亭に茶屋、そのほか大小様々な店が寄り集まっている。この界隈だけが夜が近づくにつれて、だんだんと、賑わいを見せるのだ。
……さて。丘街の中でも、近ごろ特に名を馳せる料亭「小雀」の入口前に、一台の人力車が停まった。
「着きましたぜ、お二人さん!」
若い車夫は愛想良く笑いながら手を添え、客を降ろしていく。
最初の一人は萌黄色の小袖に身を包み、棒縞の入った腰帯を巻いた若い娘であった。
「やっぱし速いね、人力車。お店からあっという間に丘街に着いちゃったよ!」
娘はまるで
「落ち着け、シキミ。そんなに騒いでっと、ずっこけて折角のおべべが汚れちまうぞ」
などと嗜めながら、もう一人降りた。
紅色の長羽織の下には男用の衣。うねり気のある髪は油を塗って形を整え、青白い顔にも薄く化粧まで施している。上背のある容姿も相まって女方の男優にも見えるし、男装した女にも見える。そして何より、昼間の不健康そうな雰囲気は影も形も無くなっていた。
「いやはや、なに着てもサマになるんだねえ、フォミカの
「けっ。下手な
フォミカは不機嫌に言いながら、車夫の手に心づけで割増した代金を押し付けて、雑に立ち去らせた。
遠ざかる人力車を、横目で追いかけるフォミカ。そんな彼女の袖を引っ張り、シキミが急かす。
「フォミカさん。早く早く、中に入りましょうよ。あたし、お腹がぺっこぺこ!」
「……お前さん。目的は忘れんなよ」
フォミカは呆れ半分に言いつつ、古風な意匠を凝らした料亭へと入っていった。
………
二人が通されたのは建物の奥側、ちょうど丘の下を見渡せる角部屋であった。
歳若い女中たちが、色鮮やかな料理や酒をテキパキ運んでくる間、フォミカは部屋の中を見渡す。
正面の店構え同様、部屋の造りも派手より侘びに寄った、古めかしい雰囲気があった。
だがよく見ると畳の表面はなだらかだし、柱や壁にも色艶がある。
日々丁寧に手を入れ、良い状態を維持している証だ。
加えて、女中達も所作の一つひとつが洗練されている。これは女将の腕が良い証だ。上手く教え、上手く管理している。どうやら、なかなかの「やり手」らしい。
これが暗殺の下見でなければ、素直に手腕を称賛できただろう。
(さて。標的の女将……ヒバリだっけな。一体どこの誰に恨まれているのやら)
フォミカは猪口に酒を注いでくれた若い女中を一べつする。彼女はシキミよりずっと若い、まだ娘といっても良いくらいの、あどけない顔立ちだった。
「如何されました?」
視線に気付いた女中が尋ねる。
「いや、なに。歳の割にしっかりしてると思ってね。まったく、ウチの奴にも、爪の垢煎じて飲ませてやりてえくらいだ」
と、意地の悪い微笑をシキミへ向けた。
湯葉で具を包んだ巾着煮を頬張るシキミは、食べる手を止めて丸い頬を膨らませた。
「なんてコト言うんですか。あたしだって、毎日毎日、フォミカさんのお世話、しっかりやってます! というか、家事一つもできないフォミカさんが言えるクチですか。そんなんだから、いつまで経っても、男が寄り付かないんです」
「え? あの……」
女中達が白黒させた目でフォミカを凝視する。彼女らの言いたいことを察したシキミが、愉快そうに話す。
「この人、女性なの。男みたいな恰好してるけども」
シキミの発言に続いて、フォミカもニヤリと笑う。
「ま、そういうこった。よろしく頼むわ」
……一連の会話をきっかけに、フォミカは女中達との距離を縮めることに成功した。
これはしたり。フォミカは彼女らから、ヒバリの素性を聞き出そうと試みる。
「女将さんの話ですか?」
尋ねられた娘女中……フクラは、案の定小首を傾げた。
「ああ。こんな立派な料亭を上手く回しているんだ。さぞや器量の良い御人だろうと思ってな。なあ、シキ……」
シキミに同意を求めようとしたフォミカ。
しかし、肝心のシキミは、本来の目的を忘れつつあるようだ。
貝の佃煮、鶏と水菜の塩鍋、ふわりと膨らんだ卵焼き、胡瓜のなめ味噌和え……。
並べられた沢山の料理を、幸福そうな顔で食べており、全く話が届いていない様子だ。
「……この食欲魔人め」
呆れるフォミカ。相方に付いていたそばかす顔の女中が、苦笑いを浮かべながら、代わりに口を開く。こちらは、フクラより一回り歳上のようだった。
「今の女将さんは、そりゃあもう、良いお人です。お客さんほどじゃないけど、恰好良いし、気立も良いし。少し負けん気が強くてびっくりする事もあるけど……」
「へえ」
「この間も、酔って暴れ出した二本差しの尻を蹴飛ばして、店から追い出したんです!」
などと、フクラが興奮気味に続きを言う。
「そいつは傑作だ!」
それからフクラには茶を、もう一人のそばかす女中には酒を飲ませて、彼女たちから話を聞き出していく。
緊張のほぐれた二人は、ヒバリの人となりや、料亭での振る舞いなどをフォミカに話す。
適度に相槌を打ち、親身に耳を傾けるフォミカだったが、内心は疑問符で溢れていた。
女中達から見たヒバリは、明らかに「善人」だ。
この手の標的の中には、善人を装う悪党もいるが、話を聞いた限りでは、その可能性も薄い。
ではどうして、ヒバリは標的にされている?
フォミカが思案をしていると、不意に外から怒鳴り声が聞こえてきた。
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