暗殺請負い候

暗殺請負い候-1


「ごめんくださいまし。どなたか、いらっしゃいますか?」

 勝手口の側から男の声が聞こえてきた。


「はぁい。いま伺います」

 声を聞いた若い娘は、空の水桶をその場に置き、パタパタ勝手口へと向かう。


 門の外にいたのは一人の老爺だった。

 肩まで垂らした撫で付け髪から、太い眉毛と目が隠れんばかりの長いまつ毛、果ては顔の半分以上を占める豊かな髭まで全て真っ白。


 もはや白髪のお化けと言っても過言ではない老人は、やって来た娘を見るなり破顔してみせた。もっとも、その笑顔も髭のせいでほとんど隠れてしまっていたが……。


「あらま。ノウゼン先生じゃあないですか」

 娘は純朴さに溢れた丸みのある顔に、可愛らしい笑みを浮かべる。

「先生はよしておくれ、シキミちゃん。今のオレは、ホレ。見ての通りの隠居ジジイよ」

 ノウゼンと呼ばれた老人は、陣羽織の端を摘んでおどけてみせる。言葉通り老齢ではあるが、声色にはハリがあり、背中も真っ直ぐ伸びていた。


「いいや、いいや。アタシにとっては、いつまでも町医者のノウゼン先生ですから。それで先生、今日はどうなさったんで?」

 シキミが小首を傾げると、丸みのある短髪も、つられるように、フワリと揺れる。

「なに、フォミカに、ちょいと用があってね。一目会いたいんだがねえ」

「おや。フォミカさんにかい?」

 シキミは大きな垂れ目はパチクリさせる。


「この間の仕事のお礼を渡したいんだ。どうせ今日も部屋にこもって、不景気な面をしているんだろう」

 などと言いながら、ノウゼン老は赦しを得る前に、敷地内へ足を踏み入れた。


 ……ダツラ・ノウゼンは元町医者だ。長らくレドラム市内で医院を営み、市民の治療に専念してきた。その腕は国の御殿医でさえ「一目おく」ほどの技量であると評判で、かつては時の為政者さえもが、お忍びで受診に来た、という噂さえある。


 そんな町医者も、老いには勝てないと考えたらしく、一昨年に医院を弟子達に譲って引退。今は町外れに小さな邸宅を構え、一人隠居生活を送っていた。


 さて、そんな老人が面会を希望する相手は、街の荒物屋「モチグサ屋」の裏庭に建つ、小ぶりな離れ屋に住んでいた。


 シキミは離れ屋の縁側まで近づくと、室内に向かって声をかけた。

「フォミカさん。先生がいらっしゃったよお」


 しいん……。


 五秒、十秒、待てども待てども、障子戸の向こうから声は返ってこない。

 シキミとノウゼンは顔を見合わせた。


「はて。留守かな?」

「いえいえ、これはですね……」

 徐にシキミは縁側に上がる。そして、元気よく障子戸を開けた。


「フォミカさん。お客さんだあよぉ!」

「どわあっ!?」

 座敷中央にうずくまっていた女が、素っ頓狂な悲鳴をあげて飛び跳ねた。その拍子に、持っていた筆やら紙やらも、放り投げてしまう。

「ででで、デッカい声を出すな!」

 女は畳の上でドタバタ取り乱した末、ようやく縁側に顔を向けた。


 腰まで垂らした長い銀髪は、寝癖によって激しくうねっており、伸び放題の前髪も目元を覆い隠している。

 そんな彼女の体は、浴衣の下からでも分かるくらい痩せぎすで肌は病的に青白かった。


「主人の心臓を止める気かい、アンタ!?」

 女は畳に這いつくばったまま吠える。その姿は、人に向かって威嚇する野犬じみていた。


「そんなに大きな声は出してなかったですよ。ホント、毎度のこと大げさなんだから」

 宥めながら、シキミはフォミカの背後を窺い見る。彼女が蹲っていた場所には、描きかけの美人画を始め、丸めた紙やら画材やらが、無秩序に散乱していた。


「ほらね。この人が返事をしない時は、大抵、絵を描くのに熱が入り過ぎて、周りの音も聞こえなくなってるんですよね」

 得意げに説明するシキミの後ろで、ノウゼンは「なるほど」と、にこやかに相槌あいづちを打つ。


 客人の存在に気付いた絵描きのフォミカは、不機嫌に唸りながら頭を掻いた。

「良い所だったのに。邪魔しやがって」

「ほう、そうだったか。せっかくの仕事に水を差して済まないが、上がらせてもらうよ、フォミカ

 ノウゼンは悪戯っぽい口調で言い、縁側へと上がった。


 ………


 その後、下女のシキミは茶を淹れに一度退室した。散らかしっ放しの部屋に残されたフォミカとノウゼンの二人は、来客用の座布団に腰を下ろして、互いに向かい合った。


「……まずはコイツを。前に頼んだ絵を礼だ。防人の巡卒二人の分、受け取ってくれ」

 ノウゼンは懐から紙包を取り出して、フォミカの前に置いた。

 フォミカは無言のまま、目の前の紙包を静かに取り、浴衣の袖の内へ納めた。

「アンタは支払いが早くて助かる」

 などと言いながら、着古した長着を、袖を通さず肩に掛けた。


「今日も冷えるな。何日か前、夜中に雨が降ったろう。それ以来、日中も晴れてやがるのに風が冷たく感じる」

 女絵師は、ピッタリ閉じられた障子戸へ目を向ける。

「このレドラムの街は、初夏に入ると急に冷え込む。山から吹く冷涼な風のせいだな。それはまあ、言い換えれば、徐々に夏に近づいている証のようなものだろう」

 ノウゼン老は長い髭を指で弄りながら、何度か頷いてみせた。


「……とはいえ、あまり夜風は浴びすぎないこった。昔に比べて持ち直しているとはいえだな、お前さん。あいも変わらず死人同然の顔つきをしておるぞ」

「何を言ってんだい。この死相が生まれつきなのは、お産に立ち会ったアンタが、一番良く知ってるだろうに」


 今のフォミカは、前髪は左右にかき分けて、痩せ細った白い顔に軽薄な笑みを作っていた。

 目鼻の造りはいいはずなのに、顔色の悪さと目つきの鋭さが、不健康な印象を強めてしまう。


 それはさておき……。


「それにしたって、今日はどうした、ジジイ。まさか、金の支払いの為だけに来たワケじゃあねぇんだろう?」

 唐突にフォミカが尋ねた。浮かべていた笑みは一瞬で消え、冷たい光を帯びた細い目が、真っ直ぐ隠居老人を睨む。


 対する老人は、フォミカの視線に動じる素振りをみせず、ゆっくり言葉を紡いだ。

「ひと仕事を終えたばかりで済まねえがよ、フォミカ。もう一枚だけ、

 直後、外で烏が鳴き声をあげながら空へと羽ばたいた。

 バタバタと忙しない羽音が、影と共に舞い上がる。


 フォミカは細い後ろ首に手を置き、深いため息をついた。

「……話ぐらいは聞いてやる。どこの誰に絵を送りたい?」

「丘街に『小雀こじゃく』という名の料亭がある。そこの女将で、ヒバリってえ名前の女に、是非とも絵を送りたい輩が居てな」

 そこまで言うと、ノウゼンはまた懐から紙包を取り出した。包紙には、淡い紅色の花が描かれていた。

 漏斗型の花びらを満開に咲かせた、昼顔の絵である。フォミカは腕を組んで背中を丸める。その表情は険しく不機嫌であった。


「期限の指定は、ハッキリとは言われちゃ居ない。だが、出来るだけ急いで欲しいとさ」

「昼顔の額で急ぎの仕事だと? こういう時の相場は夕顔だろうに。それとも爺さん、アンタ、とうとうモウロクして忘れちまったのかい?」

 上目遣いに睨むフォミカ。


「お前さんのことだ。そう言うと思った。ま、気が乗らねぇんなら断ってくれても良いぞ。たしかにコイツは、割に合わねえ仕事だ。安請け合いで危ない橋を渡る必要もない」

 などと、ノウゼンは飄々と言う。

 この老人、顔全体が白髭に覆われているせいで、日頃から表情の機微が分かり辛い節があった。


 しかしこの時ばかりは、フォミカにも察するものがあった。

(さてはジジイ。何か隠していやがるな?)


 フォミカは腕を組み、渋い面持ちで紙包とノウゼンを交互に見比べる。

 女絵師が黙考に掛けた時間は、さほど長くなかった。答えを決めた彼女は、徐に紙包に手を伸ばす。


「もし途中で筆が乗らなくなったらよ、この金まとめてアンタの所へ返しにいく。それでも良いかい?」

「まあ……今回くらいはそれも良かろう」

 老人が譲渡したことで、仕事の話は、ひとまずの区切りが付いた。

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