討て!請負裏商売

碓氷彩風

プロローグ


「おや。船に乗りますか?」

 桟橋に腰掛けていた船頭が言った。藁で編んだ笠を目深に被り、唐草模様の合羽ですっぽり体を覆った小柄な人物であった。


「運河の南口、ハタラの桟橋だ。降りる場所は近づいたら言う。ぐずぐずするな、早く出せ!」

 厳つい顔の男が、船頭が案内するより先に小舟に飛び乗った。


 男の格好は近ごろ巷に広まっている、異国の洋装であった。それも上下揃いの黒い官服で、腰には片刃の湾刀まで挿していた。

 この官服は、治安維持を司る公安機関「防人さきもり」の官憲が身にまとう制服であり、襟首の階級章は、警邏を担当する「巡卒じゅんそつ」を示していた。


 ……さて、突然やって来た巡卒の剣幕にも、船頭はちっとも驚く素振りを見せない。先に乗り込んだ巡卒が苛立つのも他所に、のんびりゆっくり、船へと乗り込んだ。

「そんじゃあ、出しますよお」

 船頭がかいを突き立て水底を押す。小舟は、しとしと小雨が降る夜の水路をゆっくり進みはじめた。


 この国の首都……俗に言う『帝都』から東端に位置する、交易都市レドラム。

 この街は大きな汽水湖を起点に、無数の水路が市内各地に張り巡らされている。水路上では、人々の交通を担う渡し船が、盛んに行き来していた。

 厳つい顔の巡卒が乗りこんだ小舟も、市内でよく見かける渡し船の一つだ。


「雨、止みませんなあ」

 船頭は巡卒に呑気な声を掛ける。

五月蝿うるさい。黙って漕げ」

「あいあい」

 剣呑な回答に船頭は肩をすくめてみせた。


 日付をとうに越えて、すっかり夜も更けてしまったこの時間は、水路の両側に連なる街並みでさえ、しんと静まり返っていた。

 時折、微かな嬌声やらが聞こえるが、それも宵闇の静寂に呑み込まれ、すぐに絶えていく。


「もっと速度を出さぬか!」

 巡卒は顔を真っ赤にして怒鳴った。よほど苛立っているのか、腰に挿した刀の柄を、せわしなく指で叩いている。

「急いでおりますとも、旦那。そう慌てなさんな」

 巡卒の怒りもどこ吹く風と、船頭はのらりくらりと答える。その声は男にしては高かった。その温和だがしっとりした声色は、女のようでもあるし、まだ声変わりを経ていない少年のような声質にも聞こえた。加えて笠や合羽のせいで、全体の容姿さえハッキリしない。


 ……もっとも巡卒には、船頭の身なりに注意を向けるほどの余裕は無かった。彼は船首の側に腰掛けて、雨露に体を濡らしながら、前だけを見ていた。

「ところでお客さん。その格好、防人ですか。服が変わってまあまあ経つのに、いやはや、未だ慣れないもんだ」

 また船頭から話しかけてきた。巡卒はチラリと己が着ている洋装に目を下ろした。


 数年前から始まった国を挙げての大規模な改革……またの名を「ご一新いっしん」により、市内を巡回する巡卒達も、旧来の羽織袴姿から、このような洋装に変わっていた。未だに紋付きの黒羽織を着る者も少なくないが、それでも少しずつ、改革は進んでいた。


「そうだ。俺は防人方の巡卒だ。それがどうした?」

 ギロリ。防人の巡卒は、肩越しに船を漕ぐ船頭をひと睨みした。

 一方の船頭は、笠を被った頭を横に傾げて「そんな睨まんで下さいよお」と、困ったように言った。


「実はねえ、さっきも一人乗せたんです。防人のお方を。その人もお客さんのように、何やら酷く慌てていらっしゃった。今日は何か、良からぬ事でも起きてるんですかい?」

「要らぬ詮索をするな。斬られたいのか」

 巡卒は腰の刀を見せつけて威嚇。しかし、船頭はあいも変わらず動じる素振りを見せない。

 肝が太いか、致命的な阿呆なのか。


「……して、そいつはどこで降りた」

 巡卒は船頭への苛立ちを堪えてながら、質問をした。

「ここですよ」

 などと答えた船頭は、櫂を水底へつきたて、小舟を止めてしまった。

「貴様。何をふざけたことを言っている!」

 巡卒は振り返って怒号をあげた。腰の刀には手が伸びている。もはや抜刀寸前だ。


「ふざけちゃいないよ。アンタのお仲間は、ひと足先にイッてしまったのさ。だからアンタも……」

 次の瞬間には、船頭は目と鼻の先にまで近づいてきていた。

「地獄へんだよぉ」

 距離が縮まった事で、笠に隠れていた顔も、ようやく見えるようになっていた。

 その顔は……。


 巡卒は目を大きく見開いた。それは船頭の素顔に驚いたからではない。

 己が鳩尾に、鈍い光を宿した刃が突き刺さっていたのだ。

 たちまち激痛が全身を駆け巡る。あまりの痛さに巡卒は声を上げようと口を広げる。

 しかし、実際に出てきたのは咳と、喉奥からせり上がってくる血液であった。

 急所への一撃。それも刃の先は内臓まで達していた。


 これだけでは終わらない。船頭は突き刺した短刀をぐるりと半回転。傷口を抉り広げながら、剣士を船の外へと押し出す。

 巡卒は力なく、背中から水路へ落ちていった。


 船頭はしばらく水面を覗き込む。そして巡卒が浮かび上がって来ないことを認めると、また船を発進させた。

「……雨、ちっとも止まないねぇ」

 人の命を奪った後だというのに、船頭はさも平然と、間延びした独り言を口にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る