仇討無用!
仇討無用!-1
請負人のフォミカは廃寺の境内で一人、静かに座っていた。傍の燭台に灯る小さな燈が、薄ぼんやりと彼女の横顔を照らす。
(また死にきれなかったね)
痩せこけた青白い細面に憂いの表情が浮かぶ。
三月ほど前、彼女は暗殺仕事の最中に吐血した。これまでも病弱な体に鞭打って、大勢の人間を殺めてきた女殺し屋も、いよいよ年貢の納め時だと、自らの最期を覚悟した。
しかし彼女は、こうして生き延びている。
肌を刺す秋風の冷たさを感じることができるのも、延々と続く静かな時間を退屈だと思えるのも、生きていればこそ得られる感覚であった。
(……ちっとも嬉しくないがね)
フォミカは嘆息した後、戸のない出入り口を睨んだ。向こうに広がるのは、一筋の光さえ通さぬ厚い暗闇の壁だ。
アイツが出て行ってから、もうじき一刻が経つ。
アイツは未だに戻ってくる気配はない。これだけ静かな夜更け、近づいてくる者がいれば、足音や息遣いがよく聞こえてくるものだが、その気配さえなかった。
(思惑通り死んだかな?)
……前回の仕事の最中、彼女は不運にも姿を見られてしまった。
目撃者は小さな娘。ボロ布同然の衣を着て、どういう訳か血まみれの短刀を一本握りしめ、荒野に一人で立っていたのである。
一先ず元締が保護をして身辺を調べているそうだが、娘の素性はいっさい分からず、そればかりかこの三ヶ月は、一度も言葉を発しようともしなかった。
なぜあの場にいたのか?
そもそも何処の誰なのか?
結局、全てがわからないまま、裏の世界の掟によって娘は処分される事になった。
……今、フォミカはそれを行っている。
本来ならば直接手を下すのが口封じのやり方である。だが病人の彼女は、得物を持つことさえ難儀な体であった。
そこでフォミカは考えた。娘に請負人の仕事をやらせ、返り討ちにあってもらおう。そうすれば直接手を下すことなく、娘を始末できる。
幸いにも剣士を一人始末する仕事があったので、元締を説得して、娘を鉄砲玉に送り込んだのであった。
……そして、例の娘が帰ってくる気配はない。
(死んでも恨むなよ。アタイの殺しを見ちまった、テメエの運が悪……)
フォミカはハッと息を呑んだ。
暗闇から人の気配が一つ。顔をしかめて、仕込杖に手を伸ばそうとする。
その手が不意に止まった。気配の主が階段を登り、境内に入ってきたのだ。
来訪者は小柄な娘だった。頭に布を巻き、灰色の野良着を着ている。
その幼い顔に表情はなく、赤らんだ頬にはベッタリと血がこびり付いていた。
よく見ると身につけている衣まで血だらけで、手には逆手に持った短刀がひと振り、握られているではないか。
「マジか」
フォミカは悔しそうに唇を噛み、銀色の長髪をわしゃわしゃかく。元々は髪色は黒かったのだが、死にかけた際に色が抜けてしまっていた。
……それはさておき、戻ってきたら娘を睨みながら、フォミカは仕込杖を支えに立ち上がる。
「やいテメエ。随分、キレイなナリで帰って来やがったなあ。つーことはよぉ、期待して良いん……だよな……?」
爪先に当たった重い感触に気づき、フォミカは口に噤む。
燭台の灯を寄せてみると、境内の床には男の生首が一つ無造作に転がっていた。
「マジで仕留めてきやがった」
フォミカは斜めにつり上げた口もとをひくつかせる。目ん玉を飛び出しそうなくらいに見開いた男の頭。それはフォミカが依頼された暗殺対象のモノであった。
「仕留めてきたってのかい、テメエが」
フォミカは杖にしがみつきながら、ゼェゼェと息を吐く。
情けない話だが、立ち上がるだけで体力を消耗する体になってしまった今、フォミカは目の前に立つ新たな請負人に対しても、無力だと認めるほか無かった。
ほぞを噛むフォミカに、件の娘は短刀を手にしたまま歩み寄り始めた。仕留めたのだろう標的の頭さえ蹴飛ばし、一直線にフォミカへ近づく。
(アタイまで処分か)
非常な裏の掟を知るフォミカは、己の最期を期待して、そっと目を瞑る。
どすっ……。
二つの体がぶつかり合った。
「うん?」
違和感に気づいたフォミカはそっと目を開けた。件の娘は小さな体でフォミカに抱きつき、倒れないよう支え始めたのだ。持っていた短刀も放り捨て、力強く抱きついている。
「なにやってる?」
フォミカの問いに娘は答えない。無言のまま痩せこけた顔を上げてじっと見返す。
表情は無く、大きな垂れ目は光を通さぬ底なし沼のように暗い。
「おい。離せってんだ、糞ガキ」
忌々しげに吐き捨てる。体が無事なら振り払うこともできただろうが、今は指一本動かすのも辛い。
そんなフォミカに対して、娘はようやく口をきいた。
「シキミ」
「あん?」
「ヒゲ言った。シキミって名前使えって。だから、あたし、シキミ」
これが娘……シキミが初めて言葉を発した瞬間であった。
………
数年後……。
老舗荒物屋「モチグサ屋」は今日も朝から賑わっていた。客の多くは近隣住人達で、店に並ぶ商品も、彼らの要望に応えるように、生活雑貨が中心に置かれている。
そんな中、主人のエモギは瓜顔に渋い表情を浮かべ、ぼんやり明後日の方角を見ていた。
「どうしたんです?」
主人の様子に気付いた番頭が声を掛ける。するとエモギは嘆息まじりに答えた。
「昨日の晩、義姉さんが丘街で派手に騒いでいたらしい。今朝がた小雀って料亭の丁稚が、店で寝ていると伝えに来たんだ」
エモギは入婿であり、先代主人から次女モグサと店を譲り受けた。これに加えて、半ば無理やり受け継がされたのが、離れ間に居候する長女フォミカの世話だった。
フォミカは絵描きを自称しているが、真面目に仕事をしている素振りが殆ど無く、いつも自由気ままに暮らしていた。
「ああ、フォミカお嬢さんのことでしたか。あの人のYOASOBIを一々気に病んでいたら、キリがありませんぜ?」
番頭は「なんだそんな事か」と言わんばかりの面持ちで答える。
モチグサの家人や古株達はすっかり慣れっこなのか、フォミカの自堕落ぶりにいっさい苦言を呈さない。そればかりか妹のモグサは姉を甘やかし、甲斐がいしく世話を焼く始末……。
しかし、これをよく思わないエモギは「だけどねぇ」と食い下がる。
「あの人の体が弱いこと、まさか知らん訳でもないだろう。現に一度、血を吐いてしばらく寝込んだりもした。それなのに夜遅くまで出歩いては酒をたくさん飲んで。心配だな、ホント」
……
……エモギが義姉の振る舞いにボヤいてる頃、一人の若い娘が丘街の料亭「小雀」を訪ねた。
狸を思わせる可愛らしい丸顔の娘は、顔馴染みの女中の案内で奥の間へと通された。
「フォミカさーん。迎えに来ましたよー」
娘は自ら声を上げ、座敷部屋の襖を元気よく開けた。
目当ての人物……女絵師のフォミカは、布団の上で丸く蹲り、苦しげに唸り声を上げていた。男ものの派手な着物を辺りに脱ぎ散らかし、襦袢は大いにはだけて裸同然。
「昨日は女将さんまで混じって、飲んで騒いで大はしゃぎ。本当に凄かったんですよお」
案内をした女中は、そばかすのある顔に、苦笑を浮かべて娘に話した。
「お陰でアタシも体があちこち痛くて……あ、ええと……」
話している途中で女中は頬を赤く染め出した。娘が大きな垂れ目を不思議そうにパチクリさせると、女中は「そ、そんな事より」と言ってフォミカの傍に寄って起こしにかかる。
「ほらフォミカさん。起きて下さい、シキミちゃんがお迎えに来ましたよ」
揺すられたフォミカは枕に顔を押し付けながら、獣の如き唸り声をあげる。
「フォミカさぁん。朝ですよお」
そこへシキミも加わって、左右からユサユサと、痩せ細った体を更に強く揺らした。
「や……やめ……胃が揺れ……吐くぅ……」
ようやくしわがれた声で、フォミカは人間の言葉を発した。
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