仇討無用!-2


 請負人は殺しの瞬間さえ見極めれば、昼夜問わず実行に移す。たとえ陽が高く、明るい時間帯であってもそれが好機であれば、逃す手立てはない。


 請負人のエニシダは片方の手を着物の懐に入れたまま、波のように揺れ動く人垣の中を歩いていた。


 ……彼が殺しの場に選んだのは市内有数の寺院だ。今日は大きな縁日があり、大勢の参拝客がこうして敷地内を行き来している。

 彫の深い日焼け顔に厳かな表情を浮かべて歩くエニシダは、周囲の人間達とはまた違う雰囲気を発していた。


 それもその筈、この男は暗殺稼業に身を置きながら、普段は治安維持組織の官憲「防人」という顔を持っていた。

 そんなエニシダは、己の身分を表す黒羽織には袖を通さず肩に掛け、青い着流し姿でいる。今日はいつにも増していやに暑かった。


 秋が終わりを迎えて冬に足を突っ込んだというのに、日差しは強く、立っているだけでもジワリと汗が浮く。おまけに周囲は人だらけで余計に蒸しており、羽織に袖を通すのもつい億劫になってしまう。それを利用して、彼は衣を用いて懐の凶器を隠していた。


 昼間の殺し……特にこのような場は、人目が多く、殺しを目撃される危険性が高い。

 だが同時に往来の雑踏は、身を隠して事を運ぶには絶好の隠れ蓑となる事も、熟練のエニシダは心得ていた。故にこの縁日を殺しに利用しようと考えたのだ。

 一方で彼は(こんな所で殺しとは、罰当たりこの上ないな)とも、心の中で自嘲気味に呟いていた。


 最奥の本堂からは経文を読み上げる僧侶の重苦しい声が聞こえ、肌を撫でる風の中には、お香の煙たい匂いが混ざる。

 神聖な寺院で人の命を奪う。これ以上の背徳を犯せるのは、暗闇でしか生きられない碌でなし……たとえば、自分のような人間くらいだろう。


(いよいよ俺も、まともな死に方は望めなくなったかな)

 そう考えながら、エニシダは人ごみの中で左右に揺れる後ろ頭を見据えた。その頭の持ち主は、周りに比べてひと回り体の大きい男であった。


 歩を進めて距離を詰める間に、男は参道に沿って植えられた木々の鮮やかな紅葉を見渡したり、時折立ち止まっては、腰に差した刀の位置を動かしたりする。


(標的だ……浪人のブマ、元コバ藩の剣士)

 エニシダは懐手に握った武器を持ち直す。

 得物は十手に仕込んだ空気銃。音も煙も出さずに針弾を発射する隠し武器だ。

 エニシダはこのまま標的に近づいて、着物越しから撃つつもりでいた。


 幸い肩に掛けた羽織のお陰で、周囲の者たちは武器を隠している懐の膨らみに気づいていない様子だ。

(距離三間……二間半……)

 エニシダは冷静に距離を計りながら、一定の歩調で進む。じわじわと迫るブマの背中を見据え、懐の内で十手の鉤を半回転。射撃準備に移る。


 正面の人垣が割れて視界が開ける。距離は二間、射線上に障害物なし。エニシダは体の向きをズラして銃口をブマへと向けた……その時だった。


「見つけたぞ、ブマ!」

 喧騒の中でも一際よく聞こえる大声が響き、直後に女たちの悲鳴が続いた。

 エニシダはあちこちから押し寄せる人の波をかわして前進。いつの間にか出来上がった輪の中に入り込む。


 輪の中にはブマの他に剣士が一人、刀を構えて立っていた。

 容貌は三十にも満たない若者で、額にはハチマキを巻き、山吹色の着物に襷を掛け、下には山袴を履いている。

 若者は真っ赤な顔に鬼の形相を浮かべ、言葉を続けた。


「俺の顔を忘れたとは言わせぬぞ! 剣術指南役シザン殿の弟子、ウカル。貴様の卑怯な手に倒れた師の仇討に参上した!」

 ウカルは構えを変えながらジリジリと、ブマとの間合を詰めていく。対するブマは直前で差し方を変えた刀の位置を戻すため、僅かに間が空いてしまう。その隙は剣士の世界に置いて余りにも冗長であった。


 ウカルは吠えながら地面を蹴って前に踏み込む。

「キアエェヤッ!!」

 刀を大ぶりに振り下ろす。刀身はブマの肩に抉り込み、そのまま肉をへし斬った。

 ウカルの振り下ろした刀の切先が、地面スレスレまでに達した頃には、ブマの上半身は秋の空に舞い上がっていた。


 肉の断面から噴き出る血が、暴れる蛇の尾じみてうねり、飛沫となって飛び散った。

 顔に赤黒い血を浴びた女が悲鳴をあげ、臓物の破片にぶつかった男が絶叫する。たちまち場は阿鼻叫喚の騒乱に包まれ、大勢の人間たちが縦横へ逃げ惑う。


 エニシダは舌打ちを一つして撤収を試みる。だが、後方からやって来る防人の連中にその退路も阻まれてしまった。

「若殿! 丁度良いところにいやがった。貴様も手伝え!」

 一行の中に運悪く同僚が混ざっていたのだ。渾名で呼ばれたエニシダは、渋々と防人の仕事へ戻る事にした。


 ……さて、一連の騒動を遠くから見張っていた者がいた。

 その男は通りに面した物見櫓の屋根に立ち、エニシダの動きから、予期せぬ刃物沙汰まで全てを目撃していた。

 男の名はウズ。彼もまた請負人である。

「面倒な事になったな……」

 若き請負人は、混迷極まる事態に美しい顔を曇らせながらも、雇い主に事の次第を報告すべく、屋根から地上へと飛び降りた。


 ………


 しばらく後。

「さて。この金は返させてもらうぜ」

 ノウゼンは紙に包まれた金貨の束を前に置く。元町医者の隠居老人、しかしその正体は請負人の元締だった。


「俺も長らくこの仕事やってるが、こんな事は滅多にねぇよ。目前で無関係の野郎が獲物を横取りするなんて」

 撫で付けた総髪から顔の半分以上を占める長い髭まで全て白。そんな白髪のお化けは目の前に座る中年女へ、困ったように肩を竦めてみせた。


「あんたからしてみれば、始末料が浮いて良かったのかもしれんがね、コマ蔵の親分さん?」

 コマ蔵と呼ばれた中年女は青い片目を細めた。もう片方の目は黒い眼帯で覆っている。

 容貌を見る限り、ノウゼンほどではないが、それなりに歳を重ねているらしい。だが体つきは崩れているようには見えないし、後ろで結えた下げ髪も艶だっている。そして何より、最も目を引く隻眼には生命の強い光が宿っていた。


「元締もつまらない冗談を言いなさる。あっしは銭の損得なぞ、ハナから考えておりやせん」

 コマ蔵は声を低くして言い返した。

「おっと悪かった。そうだよな、本来ならお前さんらでケジメを付けるつもりだったもんな。横取りされたら、そら我慢ならねぇか」

 ノウゼンは苦笑いをしながら頭を掻く。それから、開け広げていた縁側の景色に目を向けた。


 隠居に際して構えた邸宅の周りは、色鮮やかに彩られていた。垣根越しに見える枝垂れ柳も黄色くなり、雲一つない空には温暖な地へ向かう渡り鳥達の、小さな影が見える。


「そうだ。地蔵峠の紅葉はどうだい、親分。今年もさぞや綺麗なんだろうな?」

 ノウゼンは柔らかい口調で尋ねる。

「ご生憎さま、今年は色が付くのがちぃと遅ぇようで。だからあっしはね、この手でブマを八つ裂きにして、奴の真っ赤な血で山じゅうを赤く染めてやりたかったんでさ」

 ギラリとコマ蔵の隻眼が鋭く光る。


(あ、コレは本気でやるつもりだったな)

 女の怒りを垣間見たノウゼンは、肝が瞬時に凍りつく感覚に襲われた。


 このコマ蔵という女、別名『疾風のコマ蔵』とも渾名される、その筋では名の知れた女侠客だ。現在はレドラムの北にある「地蔵峠」の宿場町で、寄合頭を務めている。

 若かりし頃から幾多の荒事をくぐり抜け、目玉を一つ失う代わりに、百人の命を奪ってきたとも噂されている。


 そんな裏の大物が、わざわざ縄張りを越えてブマ殺しの依頼に来たのは勿論、ただならぬ事情があってのことだった。


 ……先月のこと、宿場町で刃物沙汰が起きた。その下手人が標的となったブマだった。彼はコバ藩に出仕していたのだが、半年前に揉め事を起こして逃亡していた。暫くは雲隠れしていた彼が、どういう訳か地蔵峠に現れたばかりか、ここでも騒動を起こしてコマ蔵の手下に怪我を負わせてしまったのだ。


 コマ蔵はケジメを付けさせるため、逃げるブマに追手を差し向けた。しかし、彼はレドラムで材木問屋を営む知人の元へ逃げ込み、そのまま匿われたのであった。


「流石のコマ蔵親分も、他所のシマに乗り込んで堅気相手に手は出せねぇわな」

「それで他ならぬ貴方さまにお願いしたんでしょう、元締。身動きとれねぇよそ者のあっしらに代わって、どうかあのブマを始末してくれと」

 そこまで言うと、コマ蔵は煙管に口をつけた。


「他ならぬアンタの頼みだと思って、オレも張り切ったんだがねえ。どうしてこうなっちまったか」

 コマ蔵が不味そうに吐きだす紫煙をボンヤリ見ながら、ノウゼンはこの数日の徒労を振り返る。


 癖者ばかりの一味全員に指示を飛ばして準備に駆け回らせ、ノウゼン自身も裏の繋がりを駆使して、各方面への根回しに苦心する日々……。

 今日はこれまでに費やした全ての苦労が実を結ぶ……筈だった。


「ま、結果的にブマは死んだ。迷惑かけた野郎に、それ相応の天罰が下った……ってな風に考えるとしようや。そうじゃねえと、やり切れねぇ」

 ノウゼンは広袖の中に両手を入れて腕を組む。対するコマ蔵も、これ以上の感傷を良しとせず、渋々と金を受け取った。

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