恋活をするのはシキミ!?-6


 ……一刻後。若殿以外の請負人一味は、表の顔を使ってカサゴ屋に集まった。

「んで、娘はどうなった?」

 あらましを聞き終えたフォミカが質問する。


「そのまま逃げられた。父親をそのままにしておけなくてさ」

 ウズは肩を竦めながら、襖の閉じられた隣部屋を見やった。

 しきみに逃げられたベタガネは、放心の末に気を失ってしまった。そのまま放置する訳にもいかず、一先ずカサゴ屋に運ばれたのであった。


「それにしても、あの嫌い様は凄かった。母親の死のこと、よほど根に持っているんだ」

 ノウゼンも困ったように白い眉をひそめる。この老人もベタガネに付き添う形でウズを尾行していたのだ。


「ベタガネには何も伝えるなと死に際に遺すくらいだからな。そんだけ強い思いは、なかなか消えないもんだろう」

「ああも拒まれたら、二度目はまず無いと思った方が良い。ベタガネには申し訳ないが、諦めてもらう他ないだろう」

 フォミカとノウゼンが話し合っている所に、ウズが口を挟む。


「なあ二人とも。父親にはその方向で行くとしてだ。娘はどうする、しきみは何か企んでた感じだったぜ。このまま放っておくと不味いんじゃあない?」

「確かにお前さんを人気のない所へ誘い込んだのは気になる所だが、確たる証拠がない以上、どうする事もできんよ」

 ノウゼンが宥めるように言った。


「仮にしきみが悪事に加担しているとしても、アタイらにどうこうできる話じゃあない。犯罪は若殿……防人の領分だからな」

 フォミカもノウゼンの後に続いて言う。ここまで言われてしまうと、ウズも食い下がるつもりはなかった。


 ……一方、隣部屋では、シキミが寝込んだベタガネの介抱をしていた。

 気を失って以来、ベタガネは顔を苦しげに歪ませて「しきみ、しきみぃ」と、娘の名をうわ言のように繰り返している。よほどの悪夢を見ているのか、玉のような汗まで浮かべる始末だ。


 そんな男の額を、シキミは機械的な動きで汗を拭いてやる。その表情は全くの「無」だった。喜怒哀楽の欠片もなく、無言無表情で仕事を淡々とこなしているようだ。

 そんな中、フォミカが襖を開けて中に入ってきた。


「この人、ずっと娘さんの名前を口にしてますよぉ」などと、先ほどとは打って変わり、同情的な口調でフォミカに言う。丸い顔にも困った様な微笑みを浮かべていた。

 フォミカは腕を組んでしばらくシキミを見つめる。


「どうしたんですか、おっかない顔をして」

「……結局、ベタガネはお前の親父では無かったな。別人だったという訳だ」

「そのようですねぇ。まあ、その娘さんもご健在と分かっただけでも、良かったんじゃないですか」などと、シキミはいつもと変わらぬ態度で答える。フォミカは相棒の底抜け無しの笑顔を、真剣な目でまっすぐ見返した。


 女絵師はシキミが時折、無表情なカラクリ人形のようにしている姿を目にした事があった。今も部屋に入る時、ほんの僅か見えた。

 驚きはしない。何しろこの娘は急に人間が変わるのだ。


 人畜無害で能天気な町娘として振る舞う一方、ひとたび裏の仕事となると、冷酷無比な殺し屋へと姿を変える。幾人もの標的達は表の顔で近づくシキミに油断して隙を作り、そして裏の顔を持つ女殺し屋の餌食となる。

 人間そのものを変えるような表裏の使い分けは、熟練のノウゼンでさえ「おそろしい」と評するほどだった。


 そんなシキミに対して、フォミカはある仮説を立てていた。

(シキミは、人間の真似をしているんじゃあないのか?)

 表の顔も裏の姿も、過去に見て来た人間達をそっくりそのまま模倣しているだけ。たまに見せる、造りモノのような無表情と、機械のように淡々と振る舞うその姿こそ『本当のシキミ』ではないかと。


(……根拠のねぇ妄想は嫌いなんだがね)

 やれやれと、フォミカは心の内で辟易するのだった。


 ……


 その頃、ウズのもとから逃げたしきみは、再び一方橋のたもとに戻っていた。彼女は痛む胸をギュッと抑えながら、軒を連ねる家屋の一つに入った。

「……ごめん。遅くなった」

 しきみは先に集まっていた面々へ、済まなそうに詫びる。


「尾行はしっかり撒いてきただろうな?」

 そう尋ねたのは昼間ウズを案内した客引の男だった。親しみ易い爽やかな雰囲気は影も形もない。暗い面持ちを作り、心底冷めきった双眸で、しきみを睨みあげていた。

「……たぶん。言われた道を通って居たら、見えなくなったから」


「それなら良い。おれとした事が、下手打ったもんだ。防人が手先を使って探り入れに来たってのに、気づけねぇでいた」

「悔しがる気持ちはわかるけどさ、テンダ。遅かれ早かれ、お上の手が入ってくる事は予想できていただろう。これ以上の下手は打てない、予め組んでいた通りに動いてやり過ごそう」

 メガネを掛けた若者が宥めるように言う。上物な羽織に袴まで履き、大小二本の刀を差している。どうやら剣士のようだった。

 テンダと呼ばれた客引はため息を一つすると、側に侍らせていた若い娘に猪口をつき出した。


「それじゃあ仕事はしばらく休みかな。もう少し稼ぎたかったんだけども」

 軽い口調で若い娘は言う。着物は着崩して、白い肩まで見えてしまっている。着物や身につけている小間物はどれも高級品、本人の顔立ちも文句なしの美人だった。


「ワガママ言うな、ここはコウチの言う通りにするしかねぇ。ようやく次の仕事に移れそうなんだ、着実に進めなきゃあならねぇ。ねえ、旦那?」

 テンダは部屋奥の暗がりに座る男へ声を掛けた。

「ほとぼりが冷めるまで、美人局の仕事はできねえ。旦那と手下の皆さん方はしばらく休んで下せぇ」

「この仕事は貴様の仕切りだ。俺は口出しせぬ」暗がりから男の声が返ってきた。若者だらけの空間において「旦那」の声は年季の入った渋い声色をしていた。


「助かる。仕事を頼むときはまた、アーミに声を掛けさせるからサ。それまではまたいつものように好きにやっといてくれ」

「ヨロシクネ、旦那ぁ」

 テンダに酌をしていたアーミが艶っぽい声で言う。彼女は手が空くなり、棒立ちになっていたきみに抱きついた。

「今日は怖かったでしょう。ごめんねぇ、代わって貰ったばっかりにぃ!」

「い、いや……」

 首筋から漂う、ふんわりと甘い匂いにしきみはドギマギする。

(この前より柔らかい匂い。またお香を変えたんだ)


「テンちゃんのハナシは聞いてたでしょう、当分こっちの仕事はお休み。また声掛けるまでサ、しきみチャンは店に戻っていて頂戴ネェ」

 そういうと、アーミはしきみの手に小さな布袋を渡す。掌に感じる重み、そしてジャラリという擦れた音……中身は金だった。

「全部ってワケにはいかないけどサ、今日のお駄賃ネ。しきみちゃんには期待してるんだヨ、これからもいっぱい稼いでネ!」

 しきみは肯定も否定もできず、布袋を握らされたまま固まっていた。


 ……


(どうしよう……)

 しきみは受け取った金を大事そうに懐へ仕舞うと、テンダ達と別れて帰路についた。

(このままじゃ、わたしはもっと悪い人になってしまう。このまま防人なんかに捕まったら……)

 今のしきみは、横を素通りする通行人の影にさえビクリと驚き、慄いている有様だ。

 ……思えば、何処から歯車が狂ったのだろうか。しきみは歩きながら考える。


 働いていた薬種問屋は事業が立ち行かなくなり、店を畳んだ。しきみを含む奉公人連中は、僅かな手切金だけしか受け取れず、追い出されてしまったのだ。


 そのまま田舎の祖父母のもとへ帰って終えば良かったのだろう。しかし田舎では、行くアテのない若い娘は、別段好きでもない男の家へ嫁入りに出されると相場が決まっている。しきみはそれが嫌で、わざわざ都会へ働きに出たのだ。


 帰るくらいならと、次の勤め口を探して居た所に声を掛けて来たのが、アーミだった。

 彼女はしきみと同じ薬種問屋に勤めていた。しかし、店側と悶着を起こして追い出されていたのである。アーミとは険悪でもなければ、親しくもない間柄だったのだが、事情を聞くなり「寝泊まりくらいなら、あーしの部屋貸したげる」と快く申し入れ、しきみを今の住処……丘街の最奥に店を構える遊郭へ案内したのである。


「大丈夫ぅ。裏方のお手伝いをしてくれるだけで良いから。次の目処が付いたら、直ぐ出てけば良いし」

 遊女に身をやつしていたアーミに流されるまま、しきみは遊郭に身を置く事となってしまったのだ。

 最初は金を貯めて直ぐに出て行こうと考えた。だが、しきみは本人さえも気付かぬ内に夜の街の蠱惑的な雰囲気にあてられてしまっていた。


 昼間の世界では決して見ることのできない光景、足を踏み入れなければ得られなかっただろう体験。そして仲間達から教えて貰った遊びの数々は、彼女をジワジワと暗い沼底に引き込んでいった。


 気づいた時には、なけなしの俸給を夜遊びに注ぎ込んでいたし、遊郭の人間相手に金を貸しているコウチにも、大きな借金をしてしまった。


 もう戻れない、と危機を覚えた矢先、またアーミが声を掛けてきた。

「あーしの仲間が店を開くのヨ。上手くいけば、結構なお金が入ってくるんだけど」

 ……追い込まれたしきみがテンダ一味に混ぜて貰う事になったのは、ごく自然な流れだった。


(どうしたら良いの?)

 テンダに言われるまま、何度か出会った男を騙して脅しの場まで誘い出してきた。

 分け前を貰うたびに、大事な何かが腐り落ちていく感覚に、しきみは今この瞬間も悩まされている。


 助けて欲しい……でも、誰に?

 優しい祖父母は巻き込みたくない。思いつかない。

 まもなく日が沈む中、しきみは薄暗闇に向かってトボトボ歩く。

 その後ろ姿を物陰から伺い見る、複数の人影があった。


「俺はこのまま、あの娘の尾行を続ける」

 官帽に黒い洋装姿の男が静かに言った。エニシダとは別に見張りについていた、防人の別働班である。彼はしきみの後ろ姿を見やりつつ、チラリと背後にも気を向けた。彼の他にも、一般市民に扮した巡卒達が複数人控えていた。


「他の者達もそれぞれの見張りを続けろ。絶対に気取られるな、このまま『尾行は全て撒いた』と思わせ続けるんだ」

「応」

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