恋活をするのはシキミ!?-7


 その日の夜。巨大歓楽街『丘街』の店店に、色とりどりの灯りがつき始めた頃、エニシダは『横壺通り』と呼ばれる、静かな裏通を歩いていた。この一帯は表のような賑やかな大店が一つもない代わりに、地元民を相手にした比較的安価で、優良な小店が建ち並ぶことで知られている。


 その通りの突き当たりまで行くと、荒屋同然に古ぼけた建物があった。入口の隣には『テナモン屋』と書かれた木片同然の看板が掛かっており、店の中からは女の上品な笑い声が聞こえていた。


 エニシダはたてつけの悪い扉を、力いっぱい横に動かす。

「遅くなった」

 頭だけを中に伸ばして、ひとこという。

 店内は手狭で卓も座敷もない。調理場との間を仕切るつけ台と椅子が置かれているだけ。そのつけ台に肘を置き、長黒髪を斑模様の簪で結えた女が、面長で平凡な顔の店主と談笑していた。


「遅いじゃあないですか。アタシはとうに始めておりましたえ」

 女は酒で熱った顔をエニシダへと向けた。

 歳は三十の後半辺りに見えそうだし、それよりも若そうにも見える、不思議な美しさと毒花のような魅力を発散させていた。

 造りの良い顔に施した化粧は、派手すぎず上品に仕上げており、蝶の翅のようにゆったり広い着物や唐紅色の腰帯は控えめで落ち着いた意匠のもので揃えていた。


「だから済まぬと言った。オヤジ、俺にも同じものを」

 エニシダはツンと澄ました態度で、女の隣に腰を下ろすと、彼女の前に置かれていた焦茶色の酒瓶を指さした。


「……葡萄酒ですが、宜しくて?」

「葡萄酒?」

 エニシダは眉をヒクリと動かすと、女の前に置かれた瓶を見やった。

 この国では果実酒の製法が確立されておらず、特に葡萄酒は、専ら外国から輸入されていた。それらの多くは滋養強壮を謳う高級な「薬酒」として出回っており、おいそれと手が出せるものではなかった。

 それがいま目前にある。エニシダは、真剣な顔で首を縦に振ってみせた。


 店主は、大事そうに隠して居たのグラスをエニシダの前に出すと、まるでその道の達人じみた手つきで、葡萄酒を注いだ。

 傾けられた瓶の口から、血よりも濃い真っ赤な液体が円柱状のグラスに溜まる。

 エニシダは灯りの下で妖しく光る葡萄酒をじっくり眺めた後、グラスを口へと近づけた。


 ひと口だけ口に含むと、舌を転がしてじっくり味わう。苦味は蜂蜜のまろやかな甘味で抑えられ、未体験の香りが喉奥へ広がる。

 それに……。

「薬草も混ぜているのか」ボソリと呟く。

「あら。本当に何処かの跡取りなのかしら、若殿サマったら。さすがは舌が肥えていらっしゃる」

 女はクスリと微笑み、自らも葡萄酒を口に含んで至福を味わう。

「花街に来て下さってるお客さんが、是非にと贈って下すったの。港の近くで銘酒屋を開いてる方で、この葡萄酒は今度売り出す予定の商品……確か『カミラワイン』というんだったかしらねぇ」

 そこまで言うと、女は「おっと」とにこやかに呟き、舶来のハンケチで口元を覆い隠す。


「これじゃあまるで、若殿サマとお酒を楽しんでいるだけだわ。さあさあ、アタシが話せなくなる内に本題に入って下さらない」

 女は体ごとエニシダに向き直った。


「……単刀直入に問う、ラシャ。貴様たち色街の女衒たちと、結び茶屋との関係は?」

 ラシャと呼ばれた女は、鼻で小さく笑うと葡萄酒の残りをひと息に飲み干した。


「若殿サマは性急だねぇ。まあ、そういう不器用なトコ、昔っから気に入ってますけど」

 レドラムの女衒と揚げ屋を束ねる寄合頭、又の名を「揚羽蝶ラシャ」は、無言で空のグラスを振る。店の大将がお代わりを注ぐ中、ラシャは口を開いた。


「結論から答えましょう。あんな三下と関わりを持つなど、アタシの名に泥を塗るようなもの。フフン、若殿サマは滑稽と思っとるでしょう、人を売り買いする屑の親玉が、同じ事して金を貰う同じ屑を軽蔑しとるなんて」

 ラシャは小首を傾げて笑みを深めたが、対するエニシダはちっとも笑わない。


 ラシャは人買い共のまとめ役だ。そんな彼女が、急速に客を増やす結び茶屋を「良く思っていない」と言う。エニシダは酒を脇に退かして話の続きを待った。


「仕切っているテンダは知らない男じゃあないの。少し前まで色街で客引をしてたが、店を辞めて姿をくらました。そして奴が消えたのと同時期に、あの結び茶屋が色街の外でシノギを始めた」

「見合いの斡旋、結び茶屋はそう謳って客を増やしているようだな」

「今の所はね。でもその内に中身は変わる……いいや、テンダはそもそも見合いの斡旋なんて、続けるつもりはないと思うの」

「興味深いことを言う。では、テンダが本当にやりたいと思っているシノギとは?」

「……売春の斡旋。建物は持たず、女や男だけを方々に派遣して稼がせる。そうさね、夜鷹とその取次ってトコかね」

 長いまつ毛の下で紫色の瞳が妖しい光を放つ。


「色街の連中はテンダの奴を放っておくつもりだったの。外で体の売り買いなんてご法度、お上に目をつけられて、潰されるって」

「だが実際は違った。店を持たず、客以外には実態を掴ませないよう潜み続けて勢いを付けている」

 店主が見慣れぬ酒の肴を置いていくのを尻目に、エニシダは話に聞き入っていた。そして何かを思いついたのか、懐にしまって居た人別帳を取り出した。


「まさか。ここに載っている女たち……」

「いまのところはカタギで占めているようだけども、見知った名前がチラホラ。アーミっていうテンダのイロが繋ぎに入って、客を取らせてるみたい。もちろん店には内緒、困ったものね」

 ラシャの言葉にエニシダも腕を組んで唸った。


 結び茶屋の目的がラシャの想像通りとなれば色街の遊郭は割を食う。彼らは余計な追求を逃れる為、しきたりという名の手間暇を掛けてきた。だが、結び茶屋は新参かつしきたりの外にいる故、道理を無視して利益だけを追求できる。


 一連の考察を経て、エニシダはまた神妙な顔をして尋ねた。

「ラシャ、なぜ貴様はそこまで敵対相手の身辺を知っている?」

「何故ってそりゃあ、これでも色街ではそこそこ顔が利くの。だから黙っていても、アタシの耳を拝借したいってのが沢山いる」

「それもそうだが、ここまで知っておきながら、手は打っていないのか?」

 エニシダの質問にラシャはこれまで浮かべていた笑みを、ふっと消す。

 そして、裏稼業を生き抜いてきた、容赦ない強者の面が露わになった。


「……打っていたら、若殿サマと飲むこの酒も、もう少し美味かっただろうに」

 ラシャはまたしても、グラスの酒を一度に飲み干す。剣呑ではない気配に、エニシダも厳かな表情のまま酒をあおった。


 ……


 翌朝。

「……み、水ぅ」

 結び茶屋の裏を探る為に、敵対している色街の重鎮に接触する。収穫は大いにあったが、その代償は余りにも大きかった。

 翌朝、防人が市内各所に設けた屯所の一つで、エニシダは二日酔いに苦しめられる事となった。


 若殿と渾名されるほどの気品ある顔は大いに崩れてシワクチャに、肌の色も青を通り越して白に近付いていた。

「お前さんもやはり人の子だったな。うん、大酒飲んだ次の日は、大体こんなもんだ」

 同僚のアブノメが面白がって言う。


「他人事のように言う。後で覚えていろ」

 内側から叩かれるような痛みに苦悶しながら、エニシダは畳の上にうつ伏せになっていた。

「もうしばし待っていろ。裏に住んでる婆さんが飯を作ってくれるとさ。いやはや、近隣住民との触れ合いは屯所勤めの醍醐味よ」

 気楽に笑うアブノメであるが、直ぐに気持ちを切り替えて、エニシダに問うた。

「して、女衒の女大将は答えてくれたんだろうな。結び茶屋に手を出さない訳を」

 エニシダは億劫そうに体を起こしながら「手を出さないというより、出せないのだ」と、答えた。


「テンダの仲間にギフという浪人がいる。コイツが郎党を束ねて美人局の脅しや店の用心棒をさせているんだが、荒くれ者揃いで数も多く、迂闊に手出しできぬようだ」

「ただの浪人がよく組織できるな」

「今でこそ只の浪人だが、かつては書院番頭のコウチ家に仕えた二本差しの剣士、それも直属の家臣だったとか」

「書院番頭のコウチ……ああ、ご一新の反対勢力に回ったせいで『引退』に追いやられた、あの……」

 と、アブノメは記憶を遡りながら言う。


「うむ。そのコウチの家の次男坊が、一味の財布番をしている。奴の口利きでギフも仲間に加わったという訳だが、奴の率いる『実行部隊』の大半は渡りの中間や小者らしい。なけなしの俸給を、雇主の下屋敷で開かれる賭場に入り浸るか、女か酒につぎ込むような輩どもだ」

 勘づいたアブノメが指をパチリと鳴らす。

「先が読めた。ギフはそういう連中の集まる場で、金に困ってる野郎どもを集めた。本業以外で稼げるし、何なら人別帳に載ってる上玉の女も知ってるから後で指名できちゃう。

 悪い奴らって、とことん頭も回るのね」

 日ごろ剽げているアブノメも、この時ばかりは嫌悪感を露わにした。


「若殿、この話を土産に番所へ顔を出さないか。昨日一晩、テンダの奴らを見張ってた別班も帰ってきている頃だ。皆と話を擦り合わせて、次の手を考えよう」

「そうだな。偶には俸給分くらい真面目に仕事をしよう。だがその前に……」

 エニシダはチラリと入口を見る。裏住まいの老婆が小鍋と風呂敷包みを持って入ってきたのだ。


「朝ごはんですえ、剣士サマ方。義理の息子から貝をたんまり貰いましてねぇ。お口に合えば良いんですが」

 小鍋の中は味噌汁だった。それも、浅利のむき身とネギが、文字通りドッサリ煮えていた。というより……。

「あーあ。煮すぎちゃったのね、お婆ちゃん? 汁吸っちゃって、具が七分に汁が三分になってるよ」

 目をむいて驚くアブノメの横で、エニシダが風呂敷包みを開けた。こちらは胡麻を混ぜた握り飯がこれまた山のように納まっていた。


「さぁさ。たんと食べて、お仕事頑張って、偉くなって下さいねぇ」

 老婆が皺皺の顔をさらにクシャクシャにして笑う。エニシダは答えに窮しながら、取り敢えず苦笑いを取り繕った

「……お心遣い感謝、する」

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