恋活をするのはシキミ!?-8


 一方、船宿カサゴ屋では……。

「結論から言わして貰う。今は娘に会うな、そっとしておいてやれ」

 フォミカは腕を組んでぴしゃりと言い放つ。冷たい言葉の矛先を向けられているのはベタガネだ。意識を取り戻すなり、別室で控えていたフォミカ、そしてノウゼンの二人がやって来たのである。


 ベタガネは何を言われたのか理解できない、といった具合に目を白黒させる。そんな彼に、フォミカはしきみが犯しているかもしれない罪を隠して、突き放す。


「嫁さんの両親と会ってきた。酒が原因で仲が拗れたとは聞いていたが、ありゃあダメだ。テメエがどれだけ改心したと言っても、二人は娘と会うのを認めるつもりはないな。それに娘だって、テメエを見るなり逃げ出したんだろう」


「で、でも」ベタガネが口を開くや、直ぐにフォミカが手で制した。

「いまは、と言った。時間を掛けて、わだかまりが溶けていくのを待つ他ねぇ」

「へ、へぇ……」

 ガクリと肩を落とすベタガネ。


「無粋も承知で訊くがよ、ベタガネさんや。酒はもう絶ったのか?」

 徐にノウゼンが尋ねてみたが、ベタガネは黙って何も答えない。その沈黙が何よりの答えだった。


「だったら尚更、会わせる訳にはいかねぇぞ。そもそもの原因すら解決しねぇで娘に会いたいだなんて、ムシが良すぎる」

「……やっぱり、そう思いますか?」

「当たり前だろうが!」

 フォミカに怒鳴られたベタガネは、ますます体を小さく縮こませる。そこへノウゼンが「まあまあ」と宥めに入ってきた。


「物は考えようだ。アンタはまたしばらく娘さんと距離を置かなきゃならん。だったらその間にキッパリ酒を辞めて、それから娘さんに会うってのはどうだ。そうすりゃあ、娘さんも義理の両親も今度こそアンタを認めるだろうて」


「そ、それが出来りゃあ……」

 苦労はしない。悔しげに声を絞るベタガネを見て、ノウゼンは「分かっているじゃあないか」と頷く。

「だからこそやる価値がある。ここは一つ、ジジイの口車に乗ってみな」

 逡巡した後、ベタガネは小さく頷いた。


「そうと決まりゃあ診療所へ行こう」

「診療所?」

 怪訝な顔をするフォミカに、ノウゼンが説明する。

「酒が手放せなくなるのは、言ってしまえば病の一つだ。となれば、病を治す医者の手伝いが必要になるのさね」


 ……


 しばらく後。

 ベタガネは大水路を上る小舟に乗っていた。一通の手紙を大事そうに抱え、遥か前方を不安げに眺めていた。

(なぁんで誰も付いて来てくれないのかしら?)

 船を操るシキミが心の内でボヤく。ベタガネを診療所まで連れて行くよう、フォミカに言い渡されたのだ。


 一時は彼の娘に間違われた事もあって、気は進まなかった。だが主人の命令には逆らえない。

 フォミカはモヤモヤを抱えながら、急ぎ気味に診療所のある地区へ船を進ませていた。


「あ、あの……コウノキさん」

 徐にベタガネが振り返ってきた。一先ずの混乱を避けるため、シキミはベタガネの前にいる時だけ、偽名を使う事になったのだ。

「はい?」

 コウノキ、もといシキミは小首を傾げて返事する。


「コウノキさん。あんた、親御さんは?」

「居ませんけど」

 それがどうしたと言わんばかりの素っ気なさに、ベタガネはキョトンとする。


「ええと、済まねえ。悪いこと聞いちまった」

「謝らないで下さい。だって居ないものはいないんだから」

「死んじまったのか?」

「さあ。気がついた時には一人だったので。生きているのか、死んでいるのか、どっちでも良いんですけどね。フォミカさん達がいるから寂しくないし、今は不自由なく生きてるし」

「それじゃあ会いたいとは……」

「考えた事もありません」

 シキミの回答にベタガネは大いに落ち込んだ。


「参考にならねぇや。他の家は、どういう風にしてんのか、知りたかったんだがな」

 ふと河岸に目を向けると、ちょうど散歩中の親子連れが視界に飛び込んだ。母親におんぶされたまま、スヤスヤ寝息を立てる幼子。その姿を緩んだ顔つきで見守る父親。

 見てるだけでも居た堪れなくなったベタガネは、慌てて視線を外した。


「俺の娘。いや、向こうは親父とは認めちゃいないんだろうな。アイツは俺の顔を見た途端、逃げていった」

「嫌われてるんですね」

「そりゃあそうだ。昔、俺はアイツに手を挙げちまった……その事も酔っ払っていたんで覚えてないんだから。父親失格だ」

 シキミはベタガネへの対応について考えていた。これまでの経験から、人が口にする愚痴や嘆きに対する応答手段は「沈黙」が最適だと学んでいた。故にシキミはひとまず沈黙する。


「……ご隠居はどうして、こんな俺にも親身なってくれたんだ。コウノキさんは、あの人とは付き合い長いんだろう?」

 今のは「質問」の系統だ。シキミは機械的に頭を切り替えて答える。不自然に見えないように、流れるように。


「ノウゼン先生は昔からそういう人なんです。困ってる人は放っておけない性分で。だからあたしも、こうして生活できてる」

 予め記憶していた文句を口に出しながら、シキミは舟の速度をまた一段上げた。


 ……やがて舟は診療所のある区画まで辿り着いた。シキミは舟を桟橋に横付けして、先にベタガネを下ろす。


 シキミも舟を固定して降りようとするが、前にいたベタガネが急に止まっていた為、大きな背中に顔をぶつけてしまった。

「みぎゃ!」

 声をあげて舟に転がり戻るシキミ。


 対するベタガネは、シキミとぶつかった事にも気づかず、呆然と上を見ている。

「……しきみ?」

「へ?」

 顔を上げたシキミは、直ぐに自分が呼ばれたのではないと気付いた。

 桟橋の上、階段の直ぐ側に、シキミと同い歳くらいの娘が背を向けて佇んでいた。どうやら目の前に停まった人力車に乗ろうとしている所らしい。


 ベタガネは血相を変えて階段へ走りだした。それでシキミは理解した、上にいるのがベタガネの娘なのだと。

「しきみ! 俺だ、父ちゃんだ!」

 ドタドタ昇ってくるベタガネに気づくや、しきみは顔を青くして、慌てて乗り込む。


「は、早く出して。一方橋まで、急いで!」

 乗客のただならぬ様子に驚いた車夫。下の桟橋から物凄い形相で駆け上るベタガネを見た車夫は、哀れな女が追われていると、誤解したらしい。


「しっかり掴まってろ!」

 人力車が動く。車夫の健脚は凄まじく、瞬く間に遠くへと走り去ってしまう。ようやっと道路に上がったベタガネは、ぜえぜえ肩で息をしながら、小さくなっていく人力車を恨めしく睨んだ。


「行かないでくれ」

 そして、うわごとのように言いながら、彼も走り出した。

 ……さて、一人残されたシキミは困り顔で深いため息をついていた。


「困ったなぁ。あの人、一人にしておくと危ないのに。かと言って、追いかけても止まってくれないよねぇ……」

 シキミはやれやれと、杭に括り付けていた縄を解く。人力車の行き先なら耳に届いていた。

 一方橋。


 ……


 どうして今さら?

 人力車に揺られながら、しきみは青白い顔を両手で抑えていた。

 心臓が不快な間隔で拍動し、彼女の胸をきつく締める。


 今でもふと思い出してしまう。酒に酔った父親の真っ赤な顔。何を言っているのか分からないし、どうしてかわからないけど腹を立てて大声で騒ぐ姿。そして、気まぐれのように頬を叩いてくる厚い手のひら……。


 母はわたしを守るために実家へと逃げて、直ぐに死んでしまった。

 あいつのせいで母さんは死んだ。もしこのままあいつとかかわれば、今度はわたしが……。


「お客さん。もう大丈夫ですぜ、一方橋だ」

 車夫の呼び声でしきみは顔を上げた。倉庫街に通じる二つの大きな橋が、確かに見えてきた。


「ありがとう。ここで下ろしてください」

 人力車から降りたしきみは、いつもの隠れ家へと向かう。


 アーミから仕事の呼び出しが掛かったのだ。前回、防人に怪しまれているという理由で、いつもの仕事は控える事になっていた。

 では何か、以前から話していた、新しい仕事でも始めるのだろうか?


 などと考えながら、隠れ家の戸を開けた。

 ぬらりと、思わず顔をしかめたくなる匂いが漂ってきた。熟れ過ぎた果物の甘だるくて酸い臭い……。


 原因は部屋中にたち込める煙のようだ。そして小上がりには、いつもの見慣れた面々と、初めて見る中年絡みの男が一人、座っている。


「あらぁ。遅かったじゃんね」

 アーミがヨロヨロ覚束ない足取りでしきみの下へ歩いてくる。

「あーんまし遅いもんだからさぁ、始めちゃってたよぉ」

 トロンと締まりのない笑顔でアーミは言う。その口から語られる言葉は気だるげで、呂律も回っていなかった。


「な、何してるんです?」

「何って、お客人からの土産だ」

 テンダが体ごと向き直ってきた。こちらは一見すると、いつも通りに振る舞っているようだが、目を異様なまでにギラつかせ、造りの良い顔も熱って赤らんでいた。


「こちらのお客人はな、ミジヶ崎で亜人相手に商売されてる、それはもう……」

 ガクリと力が抜けたようにテンダの頭が落ちる。傍に座っていたコウチが抱き止める。


「おいおい、しっかりしとくれ」

 コウチが顔をしかめていると、テンダはやおら頭を上げ、にかっと笑い返す。

「冗談だよ。いやしかし、こいつぁ上物ですなあ、旦那サマ」

 テンダは上機嫌に中年男へ顔を向ける。

 風貌は五十路あたりで、後ろに撫で付けた頭髪はすべて真っ白だ。肉付きの良い顔は脂でテカテカ艶だち、分厚い唇を横に広げた笑みを浮かべていた。


「左様ですか。そんなに喜んで頂けるなんて。わざわざ骨を折ってレドラムに運んできた甲斐があるというもの」

 それに身につけている衣も、上から下までシワ一つない上物だ。


(大店の主人サマかしら?)

 アーミに絡みつかれながら、しきみはこの不可思議な状況に当惑する。

「座ってくれ、しきみ。お前が居てくれないとハナシが始まらないんだ」

 コウチは他二人と違って冷静だ。しきみはおずおず、コウチの隣に座る。コウチは表情を変えないまま、まるで世間話を始めるように、しれっと言った。


「こちらのお客人が、お前の借金を肩代りした……つまり身請けだ。お前の身柄は、この場をもって、お客人のものになる」

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