恋活をするのはシキミ!?-9


 しきみは何を言われたのか理解できず、ポカンと固まった。

 やがて時間が経つにつれ「身請け」という運命を頭が理解してしまった。


 青白い顔をあげて「買い手」の商人を見る。ヌラリと光る脂ぎった顔に浮かぶ笑みは、仮面のように微動だにしない。


「しきみ。テメエはコウチに金を借りておいて、ちっとも返済できていねぇらしいな。身内同士で金の揉めごと抱えやがって」

 テンダが荒い口調で話しかける。客相手に作る愛想笑いは影も形もない。粗暴丸出しの姿こそ、この男の本性だった。


「このまま商売を手伝っても一回に返せる額なんて、たかが知れてる。悠長に待てるほど、おれ達は暇じゃあねぇ。それにこれから手も広げなきゃならねぇんで、まとまった金も必要なワケ」


「そんな……あたし遊女じゃないのに。体は売らなくて良いって話だったのに!」

「そんな話ぃ……したっけ、コウチ?」

「いいや。少なくとも僕は知らない」

 しきみは震える体を必死に動かして後退。その背中をアーミが抱き止めた。


「やっぱりこうなっちゃうんだよねえ、おバカさんってのは、みぃんな!」

 しきみは振り払おうとするが、アーミは見かけ以上に力が強く絡みつかれてしまう。

 アーミは着崩した着物を更に乱れさせながら、しきみの耳元に顔を寄せてきた。


「夢見ちゃったんだよねェ。馬鹿を騙して連れ回すだけで、いっぱいお金が手に入る。ラクして稼げるって……自分こそが他の誰かに騙されてるバカだと考えもせずに……」

 赤色の長い舌がしきみの小さな耳を舐める。たちまち背筋がゾワリと凍った。


 どこから間違っていたの?

 テンダの一味に加わった時から?

 コウチに借金をした時から?

 アーミに連れて来られた時から?


「ではその娘、早速好きに使わせて貰います」

 商人は笑顔の仮面を被ったまま、徐にキセルを一本手に取った。既に葉っぱを詰めて火もつけており、ユラユラと白い煙を立ち上らせていた。


「さあさ、娘さん。そんな怖い顔をしなさんな。コイツをおやりになれば何にも怖がる事はない。何にも考える必要はなくなる」

 大きな体がヌメリと滑るように迫ってきた。アーミに抑えられたしきみは、悲鳴を上げる術すら忘れてしまったように、いやいや頭を振るだけであった。


 ……



 まもなく陽が地平線に沈みきる。橋の周りには街灯がちらほら建っているが、これから広がる夜の闇を照らすには余りに無力だ。

 現に足元は薄暗く、目を凝らしても履物の紐が何色なのかさえ分からない程だ。


 そんな中、ベタガネは娘を探し続けていた。全身が濡れるほど汗をかき、喉が渇れるまで娘の名を呼んでいた。


 どれだけ歩き続けただろうか、どれだけ見回しただろうか。振り返ろうにも疲労で頭の中がボヤけて、上手く考えられない。

 それでも忘れられない名前と顔、諦めたくない存在。


「しきみ……何処だぁ……」

 ヨロヨロと水路沿いの道を歩きながら、ベタガネは娘を探し続けた。

 やがて開けた場所にでた。荒屋ばかりの区画で、解体中の平屋もポツリポツリと見受けられる。その中の一つから複数人の男女がゾロゾロでてきた。


 彼らは酒にでも酔っているのか、足取りが覚束ず、それでも上機嫌に笑い合っている。

(ダメ元で聞いてみよう)

 ベタガネは痛む足を引き摺るように、一団へと近づいていく。やがて向こうもベタガネに気付いたのか足を止めた。その内の一人がゆらりと動いて輪の外へ……ベタガネの死角に移動していく。


 一方のベタガネは、ぐったりと男にもたれかかる小さな人影に気付いた。背丈からして若い女だろうか。

「おーい。おーい」

 足を早めながら目を凝らして、相手方の顔を見ようとする。その時、彼は気付いてしまった。


 ぐったりしている女の蕩けた微睡み顔。

 ベタガネはびっくりする余り、途中で足を止めた。そして、呆然としながらも口を動かそうとする。


「しき……」

 ベタガネは娘の名を口にした筈だった。しかし彼の言葉は実際の所、途中で途絶えていたのである。

 ベタガネはポカンとしながら喉に手をあてた。喉が、首が、熱い。それに、掌に生暖かい何かがあたっている。


「へ?」

 放した掌を見下ろす。近くの色さえ見分けが付かないほど薄暗い筈なのに、掌に溜まった赤色は、不気味なほどに鮮明だった。


 いつの間にか、ベタガネのすぐ近くに男が一人立っていた。着流し姿の浪人、手に握った刀の刃も、ベタガネの掌……そして首同様に赤く濡れていた。


「あ」斬られた事にようやく気付いた頃には、ベタガネの意識は遥か遠くへ飛ばされていた。視界は一気に暗闇へと落ち、間近にいる浪人の顔すら殆ど見えない。


 そんな中、ベタガネの手が前へと伸びる。口から血を吐きこぼしながら、ほんのひとかけら残された、最後の力で声を絞りださんとする。


 しきみ。


 ……ベタガネの声は音にもならず、倒れ行く彼の命と共に潰えていった。

「誰だそいつ?」

 テンダは地面に転がるベタガネの骸を、蔑むような目で見下ろす。


「知らん。だが、ここで声を掛けられては、お前達もマズかっただろう」

 ギフは冷静に返しながら刃の血を紙で拭う。コウチも同意するように頷いた。


「ギフ、そいつの始末はお前に一任する。終わっても俺たちの所には合流するな、指示があるまで……いつもの場所で待っていろ」

「承知した」

「それじゃあ、あーしらは先に行きましょう」

 アーミはテンダの細い腰に腕を回して促す。直ぐにテンダは客の男へ目配せをし、また歩き出した。


 そんな中、商人の腕の中に囲われていたしきみは、生気のない目で、死に果てた父親を見下ろしていた。

 あう……。

 娘の小さな口が微かに動いた。父親同様、言葉はおろか声にすらなっていない。


「どうしたのですかなあ?」

 商人がテカテカした顔をしきみに寄せた。甘だるく湿った吐息が頬に掛かっているというのに、しきみは嫌がる素振り一つみせず、尚もベタガネを見ていた。


「あんなモノは放っておきなさい。あんまりワタシの大切な時間を無駄にさせるんじゃあ有りません」

 商人は、コココと笑いながら、しきみの肩を抱いて歩く。その内側で、しきみはまた口を動かした。


 一行のはしゃぎ声によって、かき消えたも同然であったが、それでも辛うじて言葉として、彼女の口からこぼれ落ちていた。


 おとうさん。


 ……翌日。

 街裏の用水路でベタガネの死体が見つかった。

 それから更に数日後、娘のしきみも、死体となって発見された。


 ……


 ……しきみの死体が発見されてからちょうど一刻後。町医者のジンマのもとに、師のノウゼンが訪ねてきた。遺体を収容したのと同時に、使いを走らせたのである。


「父親に次いで娘もかい。可哀想に……」

 ノウゼンは白い長髭をさすりながら、暗い面持ちで言う。

「寄せ場の近くで苦しんでいるのを、人足達が見つけたそうです。診療所に運び込まれた時には既に息を引き取った後でした」


 ジンマもまた強張った顔で報告を続ける。

「先生。もしかすると彼女は、阿片にやられたのかもしれません」

「阿片……薬物か」

「ええ。それも大量接種による急性中毒ではないかと。先生もご存知でしょう、我が国最大の貿易港『ミジヶ崎』では、以前から阿片の違法な売買がされている。そこから国内に流れ、多くの中毒者を生み続けてきた」


「まあな。オレが修行していた若い頃から、その話はゴマンと聞いた。しかしまさか、遠く離れたレドラムにまで、なあ」

 二人は口を閉ざしたまま、互いに視線を虚空へ彷徨わせた。


「結び茶屋がらみ、かな」

 ノウゼンがポツリと言う。

「娘はそうかもしれません。父親は……どうなんでしょう、何とも言えません。我々は捜査の専門家ではありませんから」

 また二人は口を閉ざす。


 考え得る限り最悪の事態があの親子を襲った。こうなる前に防ぐ手立てはあったのか。それとも、避けられぬ運命であったのか。


 ノウゼンは腕を組んでそっと目を瞑る。

 これまでに多くの死を見てきた。表の世界では救えなかった命を、裏の世界では自ら奪ってきた命が、目の前で消えていく様を。


(それなのに。オレはまだ生きている。いや、敢えて生かされているのか? オレのような屑にしか出来ねぇことをやる為に)

「先生」と、ジンマが声を掛けてくる。

 ノウゼンがゆっくり目を開くと、ジンマは居住まいを正すだけでなく、何やらこわい顔をしていた。


「どうした」

「何をお考えになっていたんですか?」

「何も。ちょいと気が滅入ってたんだ」

「わたしには先生が分かりません」

 突然、ジンマがこう言った。


「急に何を言うのかと思われるでしょうが、言わせて下さい。私は長らく先生の弟子としてお仕えしてきました。あなたの一番弟子だと胸を張って自負できます。しかし、時折妙な錯覚をしてしまうのです。目の前にいるノウゼン先生が、誰とも知れぬ別人に見えてしまう」


 ノウゼンは小首を傾げて軽く笑う。

「何だい、そりゃあ。オレはオレだぜ?」

「現にこうして話している間も、私の目の前には得体の知れない者がいます。今は薄ら笑みを浮かべているようですが、目に光を感じられない。いいえ、一筋の光さえ通さぬ闇を宿している」

 ノウゼンは視線を外すことなく、ジンマを見返す。しばし二人は無言のまま見合った。

 最初に沈黙を破ったのは、ノウゼンだった。


「お前さん、読本書きになったらどうだ。それとも講談師とか? カカカ……」

 膝を叩いて大笑い。対するジンマは一笑さえ溢さない。


「そう怖い顔すんな。他人の事が分からねぇのは当然だろう。どうやっても他人の腹の奥なんざ、覗けやしないんだから」

 などと笑いながら立ち上がり、部屋から出て行こうとする。ジンマは体ごと向き直り、老人の小さな背中へ追求の言葉を掛けようとする。その前に、老人は振り返らずに答えた。


「お前さんの質問には、こう答えるとしよう。『オレは全てひっくるめてダツラ・ノウゼンって人間だ』とな。話はこれで終いだ」

 軽く手を振って出ていくノウゼン。その足音が遠ざかるや、ジンマは体を崩してため息を吐く。


(言いたいことは山ほどあった。しかし……)

 ジンマは雨具の隙間から垣間見える黒い空を見上げる。厚い雲が太陽はおろか青空さえ覆い、今にも雨を溢しそうな空模様だ。

 ジンマはノウゼンが座っていた場所を、疲れた顔で見た。

(これ以上は踏み込むな。先生の背中はそんな風に語りかけてきた気がする)

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