恋活をするのはシキミ!?-10


 ……その日の夜。

 日没前から降り頻る雨の中、一艘の屋台船が河川を下っていた。この街には無数の水路が張り巡らされており、普段は渡し船が盛んに行き来している。


 しかしこの雨の中で、わざわざ船を使うような者など稀であり、河全体がいやに静かだった。街のほぼ中心を流れているのに、両岸からは活気に満ちた声や賑わいの音さえ聞こえてこない。

 まるで船の周りだけが別世界へ迷い込んでしまったようだった。


「地獄ってのはどんな所かな、アシダちゃん」

 炬燵布団に下半身を埋めたノウゼンが、徐に言い出した。

「なんだい急に。変なコトを訊く」

 暗殺代行業「請負人」を束ねる元締、アシダは普段から丸い目を、より丸くさせて驚いた。

 友の動揺をよそに、昔から界隈一の変わり者と云われてきた男の口が言葉を紡いだ。


「この手の稼業を続けていたら、一度は考えるだろう。オレ達が手に掛けた連中は、地獄行きの渡し船で運ばれていく。その時、連中はどんな景色を見るんだろうかってな」

 ふと、背後の小窓を僅かに開けた。

 対岸には幾つか灯りがついているようだが、勢いを増す雨のせいでボンヤリとしか見えない。


「かくいうオレも、いずれ連中と同じく地獄へ行く。そん時になって初めて答え合わせが出来る訳だが……一体いつになったら順番が回って来るのやら」

「そうやって身構えてる奴は、案外後回しにされるものさね。そのことを知らないセンセじゃあるまい」

 アシダは丸い顔に寂しい笑みを浮かべながら、炬燵の上の風呂敷包みを開けてみせた。


 中身は葵の花が描かれた分厚い紙包。葵の花は……暗殺依頼の符号。


「どうしても葵の花を送って貰いてえ奴がいる。申し訳ねえが急ぎでな。相手は……」

「結び茶屋と用心棒たち」

 先んじて標的の名を口にするノウゼン。無論、アシダが急に笑顔を消したのは言うまでもない。


「どっから聞いたよ、センセ?」

「お前さんの依頼人……達とな、ちょいとばかし面識のある奴がいる。そいつが言うには、結び茶屋に近々、防人の手が入るそうじゃあねえか」

 片方の白眉をあげてジロリと見る。戦友の意図を察したアシダは「参ったぜ」とボヤいた。


「さすがは伝説の請負人ノウゼンだ、裏社会のあちこちに顔が利く。こうなったら掟も何もねぇか。ああそうだよ、依頼人は色街の寄合たちだ。しきたり破りの結び茶屋に、を付けさせたいんだと」

「フムン。結び茶屋の奴らがしょっぴかれたら、同じシノギで飯を食っている色街にも捜査の手が及ぶやもしれん」

「商売敵が消えるのは有り難いがその余波で腹を探られるのは、もっと不味い」

「そうなる前にカタを付けたい、という所か。しかし中々の骨だぜ、もちろんアシダちゃんも協力してくれるんだよなあ?」

 ノウゼンの問いに、アシダはしばし苦い顔で沈黙する。


「本当ならオイラん所だけで請け負いてぇんだがね、寄合からはもう一人、別の相手にも葵の花を送るよう頼まれちまったんだ。しかもソイツはとんでもねぇ大物で、仕込みだけでも手一杯」

 ノウゼンは長い白髭を撫でて考える。それから急に、意地の悪い笑みを作った。


「……するってえとお前さん。大物とやらを始末は請け負うってのに、割の少ない雑魚はオレに丸投げしちまおうって?」

「ンな言い方は無いだろう。この通り依頼料はそっくりそのまま渡すんだから!」

 狼狽えるアシダに気をよくしたノウゼンは詫びの言葉を入れながら、笑い飛ばした。


「悪ぃ、つい揶揄いたくなった。まあ良いぜ、実を言うとな、この仕事に関しちゃ是非とも請負いてえと思っているんだ、珍しくな」

 ノウゼンは始末料を手に取り懐に納める。その様を見届けたアシダは、台に額が付きそうなくらい頭を下げた。


「センセよお。オイラが言うのもどうかと思うが。ベタガネ達の無念、どうか……どうか晴らしてやってくれ」

「おう。この仕事、オレ達が請け負った」


 ……


 コウチ家の現当主は、大公府の重職の一つ、書院番頭も勤め上げた大名だったが、政争に敗れて失職。今は故郷のレドラムに戻っていた。かつての栄華は見る影もなく、屋敷は敷地こそ広いが手入れは充分に行き届かず、平垣の汚れやツタはそのまま、瓦屋根も所々傷んでいる有様。


 加えて近ごろは次男が夜の街に入り浸り、堂々と違法な金貸しまで行うなど、一族の評判は目に見えて悪くなっていた。


 そんなコウチ家の寂れた屋敷に、ある晩、大勢の人影が集結した。

 黒い洋装に官帽姿で、六尺棒や刀で武装した彼らは、粛々と準備を進めていく。


 彼らは防人の南番所に属する役人たちだ。近代化改革の一環で、彼らの装備は西洋式のものへ切り替えが進められている。中には制服の支給が間に合わず、旧来の羽織姿に刀を差す者も混ざっているが、皆一様に張り詰めた表情で目の奥は闘志の炎で滾っていた。


「……なんで俺まで前線に出張らにゃあならんのだ。下手人の素性を洗ったら仕事は終わりの筈だぞ!?」

 そんな中、平垣に立てかけられた梯子を登りながら、巡卒のアブノメは不満を漏らしていた。


「口より先に手を動かせ」

 その足元から羽織姿のエニシダが声をかける。

「急げ、正門の部隊が突入を始めたぞ!」

 防人はこの日、市内で犯罪を働く「結び茶屋」への一斉検挙に踏み切った。特にコウチ家の屋敷には、次男をはじめ下手人の半数以上が潜伏しているという情報があった為、多くの人員が作戦に投入されたのだ。


 ……さて、エニシダたち別働隊は側面から、平垣を登って敷地内に入り込む手筈になっていた。

 その先鋒役(を押し付けられた)アブノメが、息を切らして平垣の屋根にへばりつく。


 既に屋敷正面では、突入部隊と下手人一派が衝突している。またコウチ家の家臣らしき者達も屋敷から外に出てきて応戦していた。


「まじか。こんな所に降りろっての!?」

 アブノメは震える声で喚く。

「ダメだと思ったら逃げ回れ。俺たちは生き残ることだけ……」

 同じく平垣を登り終えたエニシダが話していると、眼下の庭で爆発が起きた。その拍子にアブノメが体勢を崩して、敷地内へと落ちる。

 どぽん。薄暗闇の中で水の跳ねる音が聞こえた。どうやら運良く庭の池に落ちたらしい。


 同僚の安否を気にしたい所だが、それよりも火急の事態が起きていた。エニシダは慌てて振り返り、味方へ警告する。


「焙烙玉だ!」

 などと叫んでいる間にも、エニシダのすぐ近くでまたもや爆発が起きる。コウチ家勢力が屋敷内から爆弾を投げているのだ。更には複数の銃声まで夜空に轟いてきた。


 エニシダは咄嗟に梯子を滑り降りた。その直感は正しく、瞬く間に平垣めがけて大量の弾丸が降り注いできた。

「無事か!?」仲間が駆け寄ってきた。

「問題ない。だが、屋根に狙撃手がいる」

 息を整えながらエニシダは報告する。


「ここからの侵入は難しいか。他に入り込めそうな場所を探すぞ」

 別働隊の面々が進入路を探すために各方面へと散る。エニシダは移動するフリをして、部隊からそっと離れた。


「若殿」一人になった所で声が聞こえてきた。

「ウズか。とんでもない事になってきているが、首尾は?」

 エニシダは影に潜む請負人仲間に尋ね返した。


「手筈通り裏の勝手口を開けてきた。今から姐さんが派手に暴れる。若殿も合流を急げ」

 声が途切れると共に請負人ウズの気配も、すっと消えていく。


(捕物に紛れて標的を始末だと? フォミカめ、無茶な絵を描く!)

 喧騒絶えぬ宵闇で、エニシダの表情には珍しく焦りの色が浮かんでいた。


 ……


 防人との乱戦がますます白熱する中、コウチ家の次男は手下達と共に屋敷裏へと逃れていた。

「冗談じゃない。あのクソ親父、渡した金を使い込んでいた理由がコレか!」

 次男坊は確かに遊郭で違法な金貸しをしていたが、その稼ぎの殆どは家に入れていた。


 家督を継げない二番目は、いずれ屋敷を追い出される定めにある。それまでに金貸しや結び茶屋が軌道に乗る確証はない。そこで次男は落ちぶれた実家に金を入れる、という条件の下、拠点を確保したのだ。


 しかしその金の使い道がよもや兵器とは……。


「大公の犬どもめ。まだワシの首は繋がっておるぞ!」

 喧騒の中に混じる父の声。

 元から本気で謀反を考えていたのだろう。そうでなければ、奇襲してきた防人と互角に渡り合える筈がないのだから。


「家と心中など真っ平ごめんだ!」

 次男は戦いに背を向けて、裏へ裏へと逃げていく。その後ろに従うのはギフを含む四人の手下たち。


「お前達、もう直ぐ裏口だ。そこから外へ出られる!」

 などと叫ぶ次男。その時、彼らの行く手を阻むように脇の暗がりから細い影が現れた。


 手下の一人が手にした提灯を向ける。薄明りの中に浮かび上がったのは、露草色の羽織に白い長着で身を固めた色白女。

 細顔の下半分は黒緑の布で覆い隠したその女は漆色の杖から仕込刀を引き抜いた。


「貴様ぁ防人ではないな。何者だ!?」

 刀に手をかけたギフが次男の前に躍り出る。


「いや名乗らんでも良い。ここで死ね!」

 三人の手下達が脇差や大刀を手に女へ突貫。しかし彼らの振り回す刃は、舞うように避ける女の衣にすら届かない。

 そればかりか、女が繰り出す斬撃で瞬く間に斬り伏せられてしまった。


「死ぬのはテメエらだぜ、ドブ鼠ども」

 請負人のフォミカは仕込刀を逆手に持ち替えて、不敵に言い放った。


(ここは私が)

 ギフはそっと耳打ちをした後、フォミカへ斬りかかる。二人が鍔迫り合いをしている間に、次男は横をすり抜けて逃げていった。


「やるな。此方も本気を出すとしよう」

 ギフは刃越しにフォミカの顔を睨む。久方ぶりの強敵相手に、剣士の血が騒いでいた。

 女請負人の体勢を崩そうと力をこめようとするギフ。そこへ夜風を裂いてはしるように、紐付きの錘が飛んできた。


「何!?」

 ギフの刀に錘の紐が絡みつく。そして彼が瞠目する中、刀は彼の手から離れて宙を舞った。その瞬間を狙っていたようにフォミカの刃が横にはしり、ギフの首を薙ぎ斬る。


 がくり。ギフの体が前に崩れ落ちていくのを見届けたフォミカは、静かに仕込刀を納刀。それから安堵の表情を浮かべながら、屋根の上を見上げる。


 視線の先に居たのはウズ。若き請負人はカラクリ手甲の紐で奪い取った刀を握り、満足げな顔をしていた。

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