仇討無用!-8


 翌日。

 宿場町を発った一行は、街道ではなく、斜面伝いに続く山道を下っていた。


「本当にこの道で会ってんのぉ?」

 水気の残った土を踏みながら、ウズは不安げに尋ねた。大きな桐箱を背負い、足袋にまとわりつく泥に顔をしかめながら、一番後ろをついていく。


「道は合っております。ご案じ召されるな」

 先導するウカルが自信たっぷりに答えた。ずっも硬い態度を崩さなかったのに、脇本陣を出立した頃から、ヤケに溌剌していた。


(目的地に近付いて気が解れているのかな?)

「この辺りはお師様が拝領された地にございます。某も幼少の頃より稽古の為、何度も訪れておるのです」

「稽古? 外でも木剣を振り回すの?」

 ウズが尋ねるとウカルは「然り!」と、快活に答えた。


「たとえばここから沢に向かって、斜面を全速力で下ります。その最中、共に大きな岩を転がし、走りながら岩を叩くのです」

「へ、へえ」

「そして下りきったら、今度は岩を背負って斜面を登り、足腰の鍛錬を……」

「待った、もう良い。想像するだけで足がクタクタになる」

 更にうんざりするウズに、前を歩くティムスがクスクス上品に笑った。


 異国の旅装に身を包み、頭には毛皮の丸帽子を被っていた。細身で非力そうな見た目に反して、杖をついて進む彼女の足取りは力強かった。


「アヒサさんも、この辺りはご存知なの?」

 と、エルフの女医が前を歩くアヒサニに声をかけた。

「え、ええ。」

 アヒサは戸惑い気味に頷く。

「よく亡くなった母に連れて来られました。ワタシにとっても懐かしい場所です」

 困り顔に薄ら笑みが浮かぶ。こちらも幾許か気が楽になっているようだった。


 ……更に歩いていくと川沿いに出てきた。

 川は緩やかな曲線を描きながら、下流へゆったり流れている。平坦な川原には白い玉砂利が広がっている他、対岸には鮮やかな赤や黄色と、色とりどりの広葉樹林が豊かに生い茂っていた。


「きれい」

 ティムスは丸帽子を頭から脱ぎ、思わず景色に見惚れた。

「地蔵峠はこの時期、綺麗な紅葉を見ることができます。ここはその中でも特に美しい、いわゆる穴場ですよ」

 誇らしげに話すウカル。ウズも「確かに。コイツは凄え」と、放心気味に同意した。


「父も母も、ここの景色が好きでした。それはもう、拝領の機会を得たときは、真っ先にこの地を選んだくらい」

 皆の一歩後ろに立っていたアヒサが言葉を続けた。

 ティムスは彼女の側へ振り返る。その時、アヒサの表情が僅かに変わった事に気づいた。

 ほんの一瞬だけ、内側に抱えている「何か」が、薄ら出てきたような……。

(気のせいかしら?)

 ティムスは疑問を振り払うと、小川に近づき、束の間の休息に入った。


 ……


 しばらくして、一行は川に沿って更に進み、麓の城下町にたどり着いた。

 アヒサの実家兼道場は町のはずれにある、段々畑の最上部に建てられていた。


 正門を潜った一行を出迎える者は居なかった。扉を開け広げた道場内にも人の姿はなく、邸宅内まで静まり返っている。

「おおい、只今戻ったぞお」

 怪訝な顔をしながら、ウカルが人を探しに建物の裏に回っていく。


「アヒサさん。さっそくですが、お父様に会わせて下さい。その為に道具一式を持ってきたんですから」

 ティムスはウズから桐の背負い箱を受け取ると、真剣な面持ちで言った。その迫力にアヒサは思わず息を呑んでしまう。


「こ、こちらです」

 こうして、早速二人は邸宅内の寝室に通されることとなった。

 そして襖を開けるなり、鼻を覆い隠しなくなるほどの腐臭が、廊下に流れ込んできた。


(目がヒリヒリしてきた)

 見ると、部屋の真ん中に敷かれた布団の中で、一人の老人がひゅうひゅう苦しげに喘いでいる。加えて、黄色く浮腫んだ顔や首回りには紅褐色の湿疹が浮き、ダラダラ汗までかいていた。


「ちゃんとお世話頼んでるの? これじゃあまるで、ずっと放っておかれてる感じだ」

 ウズが窓を開けて臭いを逃している間、ティムスはアヒサの父の傍らに座った。そこで彼女は枕元に置かれている紙袋を見つけ、手に取った。

 開けてみると、薄紙に包まれた包みが幾つか入っていた。


「お薬ですか?」

「ええと、以前からお腹の具合が悪かったんです。それで薬売りから買ったお薬を……」

「飲ませていたんですね。アヒサさん、お願いがあるのですが、お水を汲んできてくれますか。その間に診察をしますから」

「は、はき」

 アヒサが退室すると、ティムスは薄い布団を剥ぐ。そしてウズ共々、大いに驚いた。


(四肢の皮疹、それに酷い浮腫みまである)

 ティムスは腫れ上がった老人の瞼を指で広げる。初対面の亜人が体を触っているというのに表情一つ変えず、黄色く濁った目がティムスを虚に見返す。やがてティムスは背負い箱から道具を取る事なく、深く嘆息した。


「手遅れ?」ウズがおそるおそる肩越しに声を掛けた。

「ええ、余りにも遅すぎました……そうですね、アヒサさん?」

 やおら顔をあげるティムス。その顔つきは温和な彼女にしては珍しく、怒りに溢れていた。


 廊下にはアヒサが佇んでいた。怒りを向けられてるにも関わらず、不気味なくらい落ち着き払っている。

(まさか!?)と、ウズは二人の女を見比べた。

「やっぱ分かっちゃうか、本職は」

 と、アヒサは気怠げに答えた。


「お父上に毒を盛りましたね。それも一度に大量に飲ませると怪しまれるから、少しずつ薬と偽って飲ませ、時間をかけて弱らせた」

「御名答、よく分かりました。それで……あと何か言いたい事は? 最期に一言、聞いてやっても良いよ」

 吐き捨てるようにアヒサが答える。ついさっきまで折り目正しく、気弱に振る舞っていた彼女からは想像もつかない変わり様であった。


「どうしてこんな事を!?」

 するとアヒサは舌打ちを一つして、明らかに苛々した態度で答えた。

「なにさ。つまんない質問しちゃって……お金よ。そいつ殺せばお金が入る。それだけ」

 などと言っている内に、見慣れた顔が部屋に入ってきた。モチグサ屋を見張っていた剣士、カカエザキである。


「来ていたんなら一声掛けろっての」

 顔をひきつらせるウズは、軽口を叩きながら、嫌な予感を覚えていた。

(ウカルはどうした?)

「威勢の良い小僧だ」

 カカエザキが勝ち誇ったように笑う中、彼の仲間である双子剣士も揃って姿を見せる。

 その内の片方は、赤い血に濡れた刀を握っていた。


(こいつら、やりやがった!)

 ウズは歯を食いしばり、込み上げてくる怒りを抑える。

「片付いたか?」

「ええ、ウカルの死体は井戸の中に」刀を手にした方の剣士が訥々と報告する。

「上出来だ。では、残りコイツらだけか」

 カカエザキが刀を抜き、大上段に構えを取った。ウズは咄嗟にティムスを庇うように前へ出る。そして、口の端をひくつかせ、早口に捲し立て始めた。


「俺はともかく、こっちのエルフの美人さんはやめといた方いいよ。ガイコウ問題になって雇い主共々、仲良く切腹だぜ?」

「そこの亜人が指南役に怪しい薬を与えて殺した。それでやむなく斬り捨てる他なかった、とでも答えるさ。良い筋書きだろう」

 高速で拍動する心臓に鈍い痛みを覚えながら、ウズは神経を研ぎ澄ませた。

「確かにお涙頂戴の大傑作だ。でもそこに、もう一幕追加してくれないかな……『三馬鹿は美しい姫様と、その親愛なる友人を取り逃した』ってさ!」

 ウズは隠し持っていた炮烙玉を畳に叩きつける。次の瞬間、割れた球の中から、黒い煙が噴き上がった。


「ちょこざいなぁ!」

 煙幕で視界を封じられて激怒するカカエザキ。それでも彼は二人が居た位置へ刀を振り下ろす。


 斬撃が空気の壁もろとも煙を吹き飛ばす。しかしその時には既にウズ達の姿は無かった。


「カカエザキ殿。奴ら外に!」

 双子の片割れが甲高い声で叫ぶ。カカエザキは舌打ちを一つすると、手にした刀に目をやる。

 刀の切先には、ヌラリと赤く光る一筋の血が着いていた。


 ……


 その日の夕方。地蔵峠の宿場町に、如何にもよそ者らしき浪人達が大勢やって来た。目を光らせ、町中を練り歩く彼らは、総じて物々しい気を放っている。町の住人達は、目を付けられたら面倒だと、何処もかしこも暖簾を仕舞い、家の中へ隠れてしまった。


 そんな中、コマ蔵親分は脇本陣の二階から、静まり返った宿場町を見渡していた。

「とんだ騒ぎになっちまったようで」

 などと曖昧に笑いながら振り返ると、請負人のフォミカが、憮然とした顔で腕組みしていた。その隣ではティムスを連れて脱出に成功したウズが、不機嫌に胡座をかいている。


 無駄な肉のない細い身体に包帯を巻き、半纏をその上から掛けていた。カカエザキの一太刀で背中を斬られ、傷を負ったのだ。


「すまねえ親分さん。アイツらの裏ぁ見抜けなかったせいで迷惑掛けちまった」

 フォミカが素直に謝って頭を下げる。


「姐さんが謝る事じゃありやせん。あっしも同じ立場なら、騙されておったでしょう」

 励ますコマ蔵だったが、フォミカの細面は暗いままだ。

「こうなっちまったら、いつまでもここには居られない。アタイらは今夜にでも宿場を出ます。一宿一飯の恩義は……」

「そんなに急く事ぁないでしょう。ご逗留頂いてるお客人を無下に帰したとあっては、あっしの名が廃る。亜人の娘さんも帰ってくるなり気ぃ失って寝込んでいらっしゃるんだ。下手には動かせねぇ」

 フォミカの言葉を制したコマ蔵は、何か考えがあるのか、不敵に微笑んでみせた。


「それに、あなた様方はあっしの客人にござんす。ならば指一本、髪の毛一本たりとも害を与える訳にはいかねえ。そうでしょう?」

「お、親分さん?」

「席を外させて貰いやす。どうやら久方ぶりに腕を振るわにゃあならんらしい。そうそう、先ほどお客人が来ておりやしたので、通しますぜ」

 そう言い捨ててコマ蔵は部屋を出ていく。彼女と入れ替わるように入って来たのは、請負人の『若殿』こと、エニシダであった。

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