恋活をするのはシキミ!?-3
「……すんませんでした」
ベタガネは布団から上体だけを起こすと、心底済まなそうに頭を下げた。彼はノウゼンの邸宅前で気絶した後、診療所に担ぎ込まれていた。
中庭に佇む離れ屋は、患者用の寝泊まりに使われており、ベタガネ以外にも二人ほど各小部屋に入院していた。
「もう良いよ。必死すぎて焦っていたんだろう。いまはホレ、休むことだけ考えろ」
布団の横に腰を下ろしたノウゼンが穏やかに答える。町医者を長らく続けていただけに、弱った患者への応対は手慣れたものであった。
徐に縁側の襖が開き、白い作務衣を着た、偉丈夫の青年が入って来た。顔つきは精悍だが、同時に人好きしそうな穏やかな雰囲気をまとっていた。
診療所の若き長、ジンマである。
「食事だよ。冷めない内に食べなさい」
ノウゼンの隣に座るや、ジンマは持って来た土鍋の蓋を開けた。
中身は粥だ。味噌仕立てで、刻みネギと銀杏切りのカブが入っている。
「二、三日はこの部屋を使うと良い。その間によく食べ、よく寝ていれば体も良くなるだろう」
「で、でも……金なんて……」
俯いて口ごもるベタガネに、ジンマは粥をよそった茶碗を差し出す。
「君の作る下駄はたいそう評判が良いそうじゃないか。実はちょうど何足か欲しいと思っていた所でね。良かったら作って貰えないだろうか」
「そりゃあ良い。そいつで金を工面すりゃあ良い」ノウゼンがこれはしたりと頷く。
ベタガネはしばらく視線を彷徨わからせた後、おそるおそる茶碗を受け取った。そして大粒の涙を静かにこぼしながら、モソモソ食べ始めた。
……その様子を、シキミとフォミカは中庭からこっそり覗いていた。ノウゼンとジンマは、わざと縁側の襖を僅かに開けたままにして、外から見えるよう、とり図っていたのだ。
(ジジイの奴。ジンマに何て説明したのかな?)
手入れされた低木の陰に身を潜めながら、フォミカはふと考えた。あのノウゼンの事だ、請負人のことは隠したまま、上手く言いくるめただろう。
ジンマは長らくノウゼンの弟子であったが、師匠の裏の顔までは知らない。そして親しい仲にある自分やシキミまでもが、人の命を奪う請負人であることも……。
周囲の人間たちが揃って暗殺稼業に身を置いていると知ったら、医師であるジンマは、果たしてどのような反応を返すのだろう。
「うーん」
傍らで覗いていたシキミが怪訝に首を傾げる。
「どうだ?」フォミカが尋ねると、記憶を失くした娘は首を左右に振ってみせた。
ベタガネの顔を見ても、思い出せるモノはないらしい。
この覗きは徒労に終わった。
「どうしますか、フォミカさん。そろそろ帰りませんか?」
元々興味を持っていなかったシキミは、早く帰りたそうにしている。元から興味が無かっただけに、とにかく淡白だ。
(長居は無用かな)
フォミカは小さくため息を一つしながら、世話係の言葉に同意した。
……
「……なぁんで、こんなのに付き合ってるんだろうなぁ」
鍛冶屋のウズは、薄口の整った顔をしかめたまま、歳の近い男たちに囲まれながら、夕暮れ時の通りを歩いていた。
「文句言うな。これも修行だ、修行」
楊枝屋の若者が足取りの重いウズの肩に腕を回して引っ張った。
「何が修行だよ。怪しい店に金を落とすくらいなら、道具とか材料買うのに回したいんだけど」
「かー! 聞いたか、皆んな。このガキ、色気がねぇんだからもう。一番若ぇテメエが、なぁんでそう淡白なんかね?」
時計職人の肥満漢が大袈裟に嘆いてみせると、他の面々は声を大にして笑い合う。それがますますウズの気を滅いらせるのであった。
一行は職人街の若手連中の集まりで、今日は会合という名の馬鹿騒ぎをする為に、市内随一の歓楽街「丘街」に繰り出していた。
この界隈は陽が沈んだ頃から活気づく。左右に軒を連ねる居酒屋や料亭は元より、的当てなどの遊興店から小さな露店までもが、途切れる事のない賑わいをみせるのだ。
(……みんなの目当てはもっと先なんだよなぁ)
仲間たちに囲まれ冷やかしを受けながら、ウズは通りの更に奥を目指して歩いていく。
やがて見えて来たのは大きな門。
丘街の西側、まるで他区画から独立したように門と平垣で区切られた、いわゆる色街である。
若き血潮激らせる男たち(一名除く)は、自らを凛々しく見せようと、胸を逸らして肩で風を切って門を潜り抜ける。
彼らを出迎えたのは歓楽街とはまた違う、色鮮やかな色と装飾で彩られた建物に、艶やかに着飾った遊女たちだった。
あちこちの建物からは、様々な香の匂いが漏れ出て混ざり合い、通り全体の空気を毒々しい桃色に染め上げてしまっていた。
「わぁ」
ウズは眉間に皺を寄せた。この強い香りは合わないと、体が自然と拒んでしまう。
「みんなコッチだ、コッチ。この店はなかなか良いんでねぇの?」
職人仲間の一人が早速、近くの遊郭まで近づくと、部屋の中で客待ちをしている遊女たちの品定めを始めた。
遊女たちは化粧をした白い顔に、妖しくも美しい微笑を造って手招きをしたり、艶っぽい声で呼びかけてくる。
早々に決まった。職人仲間たちは吸い寄せられるように建物の中へと消えていく。
仲間たちの注意が遊郭に集中した所を狙って、ウズはコッソリ逃げた。
「付き合ってらんないよ」
声かけをしてくる下男や娼婦たちを躱し、ガヤガヤ賑やかな雑踏の中を歩いて門へと向かう。
そんな中、脇の色茶屋から出てきた一人の男と鉢合わせになった。
紋付きの黒羽織に赤い着流し姿。長身で彫りの深い顔には厳かで硬い表情を浮かべていた。
「若殿?」
ウズは思わず足を止めて彼の渾名を口にする。
「ふむん。こんな所で会うとはな」
若殿こと、防人のエニシダは意外そうな口ぶりで返した。
「貴様も隅に置けない男だ。亜人の女先生と良い仲になっておきながら、女遊びとは」
エニシダは表情を真面目そうに硬くしたまま、茶化すように言う。
「あの人とは何もないんだっての。何だよ、ここン所、みんなして俺とティムスさんのこと冷やかしてサ。それにここにだって遊びにきた訳じゃ……」
不機嫌に言い返すウズに、エニシダは漸く表情を和らげて、クスリと小さく微笑んだ。
二人は店の脇に場所を移すと、手頃な箱を椅子代わりにして腰を下ろした。
「若殿こそ。こんな所で何してんの。いつものサボり?」
「仕事だ。市中の見廻は防人の基本だからな」
そう言うと、エニシダは腰に挿した十手を指で叩いてみせた。彼は街の治安維持を司る『防人』に身を置いている。若殿などと大層な渾名であるが、実際の役職は下級役人の巡卒であった。
「丁度よかった、お前に会いたかったところでな。実は頼みたい事がある」
エニシダは一瞬で微笑みを消すと、真面目な調子で切り出した。
「貴様には、とある茶屋で遊んで貰いたい。もちろん金は我々防人が負担する」
「ちょいと若殿。さっきの話し聞いてた? 俺は女遊びなんて興味は……」
口を止めたウズは怪訝な顔をした。
「……遊ぶ金を防人がもつって?」
「ある店を内偵する事になったんだが、どうにも脇が固くてな、潜り込むのに難儀している」
「それで、客として出入りすれば怪しまれない一般人を密偵にって? おいおい、仕事でも無いのに危ない橋は渡りたく無いぜ」
「店の裏まで探れとは言わん。ただ一度だけ遊んでもらうだけで良い、先ずは店の業態を知りたいのだ」
「その言い振り。普通の茶屋とは違うの?」
エニシダは静かに頷くと、懐から小さな冊子を取り出してみせた。
薄桃色の表紙には『結び茶屋人別帳』という題名がつけられていた。
「結び茶屋というそうだ。盆屋とか出会茶屋とか、男女が逢引に使う店があるだろう。その手の仲間らしい」
「ふうん。これこそ興味も縁もない場所だし、そもそも誘う相手すら居ないんだけど?」
「それについてだが、どうやら客たちは皆初対面の状態で会うらしい。この人別帳に登録した男女を指名した後、指定場所で互いに初めて対面する。そこから仲が進展する者もいれば、その逆も然り……という仕組みだそうな」
「見合いの斡旋か」
ウズは人別帳を借りると、パラパラと頁をめくる。紙面には男女の名前や年齢に凡その見た目、互いを識別する目印や合言葉などが記載されていた。
「ふむん、出会いの機会を提供して仲介手数料を取る。仕組みとしては貴様の言う通り、見合いの斡旋だな。これ自体に違法性は無いのだが、この仕組みを悪用する輩が出始めて対応に追われ……」
エニシダは言葉の途中で、ウズが頁を開いたまま固まっている事に気付いた。
「良い娘でもみつけたのか?」
などと言いながら、エニシダも横から覗き……そして固まった。
意外かつ身近すぎる人物の名前が、そこに載っていたのだ。
『しきみ』……と。
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