請負人、転職サイトに求人出す-3

(……はてさて。ちぃと面倒な事になったな)

 その日の夕方、ノウゼンは市内の居酒屋にいた。空腹のあまり飛び込んでしまった初めての店だったが、幸運にもアタリを引いたらしい。


 老人は『奥方』とも呼ばれる、西方産の冷酒をちびちび飲みながら、卓の上に並ぶ料理を食べ進めていった。

 イカ焼きは腹の中に内臓とゲソと生姜味噌で和えた具をみっしり詰めており、食べ応え充分。味も申し分ない。


 加えて、小鉢に盛られた蒸し茄子と大根おろし和え物も、冷酒に良く合った。ノウゼンはこれらを黙々と食べては飲み、飲んでは食べていった。


「爺さん。よくそんなに食べれるな」

 不意に隣席の若者が感嘆の声をあげた。こちらは仲間内で卓を囲み、わいわい賑やかに飲んでいるようだった。

「残り少ねぇ人生だ。最期まで楽しみたかったら、まず食って力をつけなきゃならんからな」

 磊落に笑うノウゼンは若者連中にも酒を馳走しながら、そのままサラリと隣の卓に紛れ込んでしまった。


「なんと。医者の先生でしたかい、こいつはどうも、はじめまして」

 兄貴分の男がノウゼンに酌をする。聞いてみると彼らは近隣で働く鳶仲間達であった。

「よせやい。先生なんざとうに辞めた。今は見ての通りの隠居ジジイだで」

 酒に酔ってすっかり気を良くしたノウゼンは、歳の差をものとせず、気さくに若者達と酒宴を楽しんだ。


 やがて宴がますます盛り上がりを見せた頃、また更に複数人の客が店に入ってきた。

「酒だ! ありったけ持ってこい!」

 崩れた身なりの浪人達だった。彼らが奥の座敷席にズカズカ歩いて行く間、客達はしんと静まり返り、視線を合わせないよう顔や体をズラしてしまう。


「先生も目を合わせねぇ方が良いですぜ」

 最初にノウゼンに話しかけた若者が、そっと耳打ちした。

「なんじゃアイツら?」

「近ごろこの辺りに居着いた浪人達だ。どっかの取り潰しになったお家の家臣だったとか何とか」

「昼間っから酒飲んで暴れて回ってるんでさあ。アレでも刀を差した剣士だ。おっかなくて手出しもできねえ」

「ほう」

 ノウゼンはチラリと横目で浪人達を見た。


 宴を始めた彼らは酒を浴びるように飲み始め、ぎゃあぎゃあと騒ぐ。その内に持ってきた料理には碌に箸も付けずに放り投げるわ、追加の酒を持ってきた店の者にちょっかいをかけるなど、やりたい放題に乱れる。


「これはヤベェな。先生、巻き込まれねえ内に店を出ましょうぜ」

「……そうだなぁ。だがその前に、アイツらを先に追い出してやろう」

 ノウゼンはぐい呑みに残った酒をひと息に飲み干すと、懐から取り出した財布を兄貴分に預けた。

「支払いはコイツで適当にやってくれ」

「へ?」

 目を白黒させる兄貴分をよそに、ノウゼンはちろり片手にトコトコ座敷に向かう。酒をだいぶ入れたというのに、顔は平然とし、足取りも乱れていなかった。


 皆が狼狽え、浪人達が鋭い目つきで睨む中、ノウゼンは座敷の端にそっと腰を下ろした。

「何だ、ジジイ?」

 一人の若い浪人が声を掛ける。昼間会ったウズとかいう鍛冶屋と同じか、少し若い。強面に剃刀じみた鋭い目つきをしていた。


「いやなに。威勢の良い兄ちゃん達だと思うてな。もしかしたら、お前さん方なら知ってるんじゃあねぇかと思うてな」

「何をだ?」

「ヒゼンって名前のクソガキの事をよ」


 ヒゼンの名が出た途端、浪人連中の間に殺気がはしった。

「……誰がクソガキだって?」

 剃刀目の浪人が低い声で尋ねる。この男がヒゼンだと見当を付けたノウゼンは、剽げた態度を崩さずに言った。


「へえ、お前さんかい。なるほど、確かに女に手ェあげる輩ってツラしてやがる」

 白髭の下でヘラヘラ笑うノウゼン。

「ちょいと先生! 危ねえから辞めろって!」

 若い職人達が真っ青な顔で声を掛けるが、ノウゼンは無視して、真っ直ぐヒゼンを見据える。


「先生……そうか。テメエさては医者か」

 ヒゼンが片膝を上げて腰の刀に手を伸ばす。これから起きるやもしれぬ事態に他の客達は、どよめきながら席から腰を浮かせた。


「姉さんを隠したクソ医者なら、今すぐここに連れてこい。今すぐ!」

 しいんと静まり返った室内に、鯉口を切る音が響く。

「俺たちが脅しだけしか出来ねぇと思ってるようだがな。ジジイ一人の命なんざ、どうにでも出来るんだぜ?」

 凄むヒゼンに、ノウゼンは片方の手で顎から垂れる白髭を弄り、しばし黙する。それからどうした事か、急に「ガハハ」と笑い出した。


「……いやはや、ここまで怒るとは。済まねぇな若ぇの。飲み過ぎちまって、つい要らん出しちまったようだ」

 などと笑いながら謝罪の言葉を口にする。


「詫びと言っちゃあ何だが。テメエらの勘定、俺がもつよ。ホレ若ぇの、杯をこっちに寄越せ」

 と、ノウゼンはちろりを顔の横まで掲げてみせた。

 ヒゼンは訝しむような面持ちで刀から手を離し、自分の杯を突き出す。そこにノウゼンが酒を注ぎ始めた。


 ここでヒゼンの視線は手元の杯に移り、ほんの一瞬だけ注意が逸れた……その瞬間にノウゼンはちろりをヒゼンの顔に投げつけた。

 顔に当たった衝撃で中の酒がこぼれ出る。視界を塞がれたヒゼンは、怒号をあげながら再び刀を抜こうとする。


 だが……抜けない! 鞘から抜こうと引いた手が、上から押されてピクリとも動かないのだ。


「クソ……」

 酒で沁みる目を何度か瞬かせたら、視界が元通りになる。

 そして真っ先に映り込んだ、折れた箸の切先に、浪人は激しく動揺した。

 ノウゼンは視界を塞いだ一瞬の間に、ヒゼンの横へ動いていた。そして扇子で抜刀する手を押さえ込み、もう片方の手に持った箸を、相手の眼前に突きつけてたのである。


「奇遇だな。オレもよ、テメエみてぇな屑の命なんざ、どうにでも出来るんだぜ?」

 ノウゼンが両眼を大きく見開く。その瞳は底無しに暗く、ぞっとするほど冷たかった。


「く、クソ……」

 ヒゼンが仲間達に号令を発しようとした、その時である。

「やいテメエら。それ以上、先生に指一本触れてみろ!」

 後ろから大声が飛んできた。


 皆が振り返ると、若い鳶達が角材や椅子を構えて臨戦態勢に入っていた。

「喧嘩だってんならよお、喜んで相手になってやらぁ!」

「そうだ、刀持ちなんざ屁でもねぇやい!」

 店主らしき男も出刃包丁を手に鳶の横に立ち、他の客達も「帰れ、帰れ!」と罵声を浴びせ始める。


 この場で刀を抜く事の不利を悟った浪人達は、柄に手を掛けたまま動かない。彼らは不利を悟っていたが、このまま逃げては体面に関わる。去る口実が欲しいのだ。

 剣士は恥を偲ぶ。仮に波風立たせず、出て行かせてやれば、これ以上の争いは避けられるだろう。それを理解した上で、酔いの回っていたノウゼンはこう挑発した。


「兄さん達。情けねぇ面を並べて居座るより、さっさと帰って、馬鹿な頭を冷やしたらどうだい?」


 ………


「……ってな風に言ったらよ、連中は逃げるように引き揚げた」

 翌日。ノウゼンは朝から診療所を訪れていた。


「な、なんてことを……」

 話を聞いていたジンマが渋面になる。

「どうして、そんな危ない輩に自分から突っかかって行ったのです!?」

「酒が入ってたもんでな、つい」

 などと釈明したノウゼンは、冷ました棒茶をひと口含む。茶請けには井戸で良く冷やした胡瓜の浅漬けが添えられており、ノウゼンは箸を手に話を進めていた。


「しかしだな、もしお前さんもあの場に居たら、きっとオレと同じく怒っていたぞ。それだけだらしない連中だった」

「そうかもしれませんが……」

「気持ちは分かる、懸念しているのだろう。怒ったヒゼン達が診療所にちょっかいかけに来るかもって」

「そりゃあそうですよ」

「その為の彼らだ」

 ノウゼンはニンマリ笑って庭先に顔を向けた。


「やいテメエら。もう浪人どもの好き勝手にはさせねぇ。もし奴らがやって来たら、刺し違えてでも、ぶちのめしてやれ!」

 鳶の兄貴が仲間たちに発破をかけると、周りの若者達が一斉に鬨の声を挙げた。


 彼らは居酒屋に居合わせた鳶の若者達だ。腹にサラシを巻き、それぞれの手には棍棒や鳶口、大槌を持って武装していた。


「見なよ、あれほど心強い用心棒は見たことがない」

 感心するノウゼン。反対にジンマは、ますます浮かない顔になっている。

「先生。それじゃあ俺たちは、表を見張っておりやす!」

 そう言って鳶の若者達は表門へと向かっていく。

「おう、気をつけてな。怪我したらすぐ戻ってこい。そん時ぁ、キッチリ治してやっからなぁ……ジンマが」

「その時になったら、先生にも腕を振るって頂きますからね!」

 などと二人が言葉を交わしていると、若者の一人が慌てて戻ってきた。


「来たのか?」

「来ました!」

「人数は?」

「一人……ひとりだけ怪我をしたのが!」

 思いもよらぬ返答に二人はキョトンと顔を見合わせた。


 ……


 若者達によって部屋に担ぎ込まれて来たのは、ヒゼンだった。全身にアザや傷を負い、衣は破れてボロ布同然。そして剣士の証である腰の大小は鞘ごと無くなっていた。


「そっと布団に寝かせるんだ。あと、急ぎ湯を沸かして、道具の用意を!」

 テキパキとジンマが指示を出していく。

「何があった?」

 ノウゼンの問いに、鳶の兄貴分が戸惑い気味に答えた。


「通りの向こうからヨロヨロ近づいてきたんです。俺達は手出しはしちゃいませんぜ」

 ここへ来るまでに痛めつけられたのか。ノウゼンは仰向けにされたヒゼンに目を落とした。

「姉さん……姉さん……」

 ヒゼンは血の滲んだ唇を動かし、うわ言のように繰り返す。

「先生」

 ギュッと、ジンマが真剣な面持ちでノウゼンを見やる。

 ノウゼンは大きく頷いた。

「おう。今のコイツは患者だ」

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