請負人、転職サイトに求人出す-4
……しばらく後、診療所を訪ねたウズは渡り廊下でノウゼン老を見つけた。彼は街の警察業務を担う防人と、何やら話し込んでいる所だった。
「……ん。また何か有れば声を掛けてくれ」
その用件も丁度済んだらしい。彫りの深い顔に、どこか上品そうな雰囲気を持った役人は、ウズの前を素通りして立ち去った。
「よお、若ぇの。今度はお前さんが来たか」
ノウゼンが気さくに話しかけてきた。
「ご隠居。さっきの役人は?」
廊下の奥を振り返りながら、ウズは尋ねる。
「顔馴染みだ。ちょいと野暮用があって寄ってもらったのさ。ホレ付いて来い」
ノウゼンは顎をしゃくって促す。そして歩きながら話を続けた。
「ヒゼンの野郎、どうやら仲間割れを起こしたらしい。財布も刀も盗られた挙句にタコ殴り。まあ骨は折れておらんし、見た目の割には軽傷だ、死にはせん」
(良かった)と、ウズは一先ず安堵した。今でも憎たらしい男だと思っているが、死なれたら、それはそれで後味が悪い。
「カンナさんは?」
「アイツのいる部屋に通した。あれだけボコボコにされたら、流石に手を上げるだけの力は残っちゃいねぇだろう。それに……」
「それに?」
「いや、何でもねえ。ホレホレ、あの奥の部屋だ。どうせなら一目会って笑ってやれ」
冗談なのか本気なのか。老人の剽げた態度にウズは困惑しつつも、部屋に通された。
ヒゼンは布団の上にいた。側に座る姉のカンナに丸めた背を向け、じっとしている。そして因縁あるウズが入ってきても、何一つ反応しなかった。
(今度は不貞腐れてやがんの)
ウズが巻毛頭を掻いて困惑していると、部屋の隅に控えていたジンマがそっと手招きする。
「あの……どうもっス」
おずおず頭を下げながら、ウズはジンマの隣に腰を下ろした。一方で入ってきた青年の顔を見るや、カンナは悲しげに目を伏せた。それに気付いたウズは、ますます居心地の悪さを覚えて眉をひそめた。
「何でい、コイツの面見たら、少しは生意気が戻ると思ったんだがよぉ」
ノウゼンだけが部屋に入らず、戸口からニヤけ面を見せてくる。弟子のジンマは心底呆れた様子で師匠をたしなめる。
「怪我人を相手に馬鹿な真似しないで下さい」
「悪ぃ、悪ぃ」
「誰のせいだと思ってんだ」
ポツリとヒゼンが不機嫌に反論してきた。ノウゼンは肩を竦めて苦笑、ようやく部屋の中に足を踏み入れた。
「ま、今回ばかりは同情するぜ。薬にしちゃあ、ちょいとばかし毒だ。しかし考え様ではどうだ……少し軽くなったんじゃねえの?」
ノウゼンは伝法な口調で語りかけながら、ヒゼンが顔を向ける方角に腰を下ろす。顔を見られまいと反対側に転がろうとするが、途中で動きを止めた。
背中側には姉がいる。その姉は、湿布を貼った顔を俯かせたまま、激しく落ち込んでいた。
「腰にぶら下げてた刀が無くなってよ、剣士のメンツがどうのこうの、考える苦労をしなくても良くなった。下々の連中に舐められねぇよう、無理に威張り散らす必要だってねえ」
ノウゼンは腕を組み、ゆっくり落ち着いた口調で言葉を続けていく。対する若者は丸く踞り、己が顔を隠す。
「これはジジイの勝手な想像だけどよ。昔のお前さんは、剣士の本分だとか在り方だとか、周りよりずっと真面目に考えて、尚且つしっかり地に足着けて頑張ってたんじゃあねぇか?」
老人の問いにヒゼンは答えない。それでも老人は言葉を続けた。
「何があったかは知らねえが、悪ぃことが続いて今のお前になっちまった。何もかも諦めて馬鹿をやるようになった。どうだ?」
「……煩ぇ。テメエに何が分かるってんだ」
「ああ、分かんねえな。上手くいかねぇからって癇癪起こして、大切な身内に手ぇあげるガキの考えなんざ、ちっとも」
ノウゼンはそこまで言うと、徐に腰を上げた。そしてウズに巾着袋を投げて寄越す。
「その姉ちゃんに外で何か食わしてやれ。バカ弟が運ばれてきてからずっと、付きっきりだったんだから」
「う、うん……」
ウズはおし黙る姉弟を交互に見る。姉は相変わらず重苦しい雰囲気をまとい、弟はうずくまったまま。しかし良く見ると、顔を埋める腕が小刻みに震え、微かにではあるが、嗚咽を堪えるような声が聞こえてきていた。
………
診療所を追い出されたウズとカンナは、一先ず近くの茶店へ場所を移した。
「良いのかい、それだけで。ご隠居は多めに渡してくれたんだ、もうちと良いもの食ってもバチ当たんないよ?」
などと言うウズの横では、カンナが供されたところてんを食べていた。
「これで良いんです。あまり食欲ないから」
カンナは小首を傾げて陰のある微笑を作る。その拍子に後ろ頭に挿した髪飾りが、壁代わりの蓑から差し込む木漏れ日に当てられて淡く輝いた。
「気になってだんだけど。その髪飾り、すごいキレイだ」
カンナはふと食事の手を止める。そして、遠くを見るように目を細めた。
「ありがとうございます。これ、弟がくれたんです。ずっと昔に、貯めたお金で買ってくれて……大切な思い出の品なんです」
やがて微かに浮かんできた優しい笑みも薄れだし、また陰が差すようになった。
「また皆様にはご迷惑を掛けてしまっていますね。一つもお返しできていないというのに」
「はいはい、そこまで。返す返さないは、後で幾らでも話し合って決めれば良いんだから。今はさ、その顔のアザと弟の怪我、早く治りますようにって考えるのが先だよ」
「ごめんなさい」
「うーん。カンナさん、謝りすぎじゃない?」
「でも皆さんに迷惑を……」
「むしろ掛けてもらって上等。それに俺たちが欲しいのは、泣き顔で『ごめんなさい』より笑顔で『ありがとう』なんだから」
ウズは口の端を両手で摘み、笑顔を作ってみせた。彼をしばし見つめていたカンナは、ふっとため息を漏らした。
「もっと早く貴方達に会えていたら。弟も悪い仲間とつるまなかったのに」
「あー……その、カンナさん達……何があったのさ。いや、言いたくないなら言わなくても良いし。ただその……たまには愚痴を言って楽になるってぇことも大事なのかなぁ……なんてね、はは……」
しどろもどろなウズをカンナはしばしの間、陰鬱な目で見上げる。
(わぁ。目がキレイ)困惑しながらも、長いまつ毛の下で赤く濡れ光る双眸に、ウズは心をかき乱されていく。
やがてカンナは、またそっと目を伏せて答えた。
「…….わかりました。お話します」
……
カンナとヒゼンは、地方の小藩に仕える剣士の子であった。母親はカンナを産んだ直後に亡くなり、程なくして後妻が連れ子と共に嫁ぐ。その連れ子こそがヒゼンだった。
やがて成長したカンナに上役の家への嫁ぎ話が持ち上がり、ヒゼンの仕官も目前になった所で事件は起きた。
「父が……藩の公金に手を付けていた事が、明るみになったんです。昔は真面目で公正を良しとする人だったのに。密かに懐を肥やす術を知って、辞められなくなったんでしょうね……」
カンナは長屋に場所を移し、ウズに身の上を打ち明けていた。
室内にあるのは最低限の家財道具ばかり。畳も壁もくたびれて、終始物悲しい空気に包まれていた。
「父は腹を切って家は取り潰し。母も後を追う様に命を断ちました。私たちだけは死にきれず、逃げるようにこのレドラムへ移ったんです」
カンナはふと、小さくため息をつく。一方のウズは口を閉ざし、話に黙って耳を傾けていた。
「私は、本当に偶然だったのですが、お仕事にありつく事ができたのですが、弟は……あまり上手くいかなかったみたい。何度も職を探して、でも上手く出来なくて辞めて、仕事を変えて。その内に何もかもを諦めてしまった」
そっと湿布を貼った顔に手を添える。伏せた目は潤み、今にも涙の粒がこぼれそうになっていた。
「あの子がおかしくなったのは、その頃からでした。理由は何となく想像がつきます。これまで順調だった日々が急に終わって、代わりに上手くいかない事ばかり続く。人ってキッカケ一つで簡単に変わってしまうんですね。父上はとても尊敬できる人だったし、弟も夢がたくさんあって、ひたむきに頑張っていたのに……」
カンナは両手で顔を覆い隠すと、静かに嗚咽を漏らす。ウズは彼女の側に寄ろうと腰を浮かしかけるが途中で辞める。そして、しとしと雨の降り始めた外へ、暗い顔を向けるのであった。
……
「……よく、話してくれた。ありがとう」
ジンマもまた布団の側に座り、ヒゼンの生い立ちを真剣に聞いていた。
「何で俺ばかり……こんな……」
暗い顔でブツブツ不満を口にするヒゼン。
「そうだな。間が悪かったという所か。私は治すのが専門で、導くのは門外漢だから、上手く言葉で言い表せない。だからこれを……」
ジンマは衣の片袖をめくりだした。肘から下に、腕をぐるりと周る黒い墨が二本、彫り込まれていた。それは罪人を示す入墨だった。
ヒゼンが困惑する中、ジンマは気恥ずかしそうに話す。
「かつての私は、墨を入れられるほどの碌でなしだった。それでもこうして変わる事ができる。周りに何と言われようと、困難が続いても、いずれ暗い夜は明ける。大事なのはその瞬間まで諦めないことだ」
ジンマはヒゼンの肩に手を置く。その力は強く、そして暖かった。
「できる、のかな……今さら」
「今さらじゃない。これからだ。お前はまだやれる」
ジンマはヒゼンに逞しい笑顔を向ける。やがてヒゼンは医者を見返すと、力強く頷き返した。
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