仇討無用!-7
馬車は日暮になるまで、緩やかな山道をしばらく走り続けていき、ようやく地蔵峠の宿場町へと辿り着いた。
宿場は峠のちょうど中腹に位置しているにも関わらず、大通りは旅行客達でごった返していた。
「峠の天辺に関所がある。奥方に向かう旅人は、ここで一泊してから関所越えをするんだ」
ウズは両脇にズラリと並ぶ宿屋や店を見渡しながら説明する。宿屋前では仲居や丁稚達が旅行者達に声を掛けて呼び込み、小さな飯屋でさえも、大勢の客でごった返していた。
「女先生、アタイが合図したら馬車を停めておくれ。そろそろ目当ての建物が……ああ、アレだ」
身を乗り出してきたフォミカが前方を指さす。細長い指の先に建つのは、脇本陣とも呼ばれる施設だ。剣士や貴族など身分の高い者が宿泊に利用する、本陣の予備として用いられる宿泊場所であった。
壁は瑞黒一色に染められ、屋根の瓦一枚一枚、余すことなく手入れが行き届いていた。
(これで予備の建物なんだから、本陣はさぞ立派なんだろうな)
ウズが薄ボンヤリ考えているのを尻目に、フォミカは玄関先で家人に挨拶をしていた。
互いに幾つか言葉を交わした後、フォミカは「……お頼み申します」と締めて一礼する。天衣無縫が衣を着て歩いている姿しか知らないウズにとって、一連の行動は新鮮すぎた。
(この人、頭を下げれるんだ)
「ではどうぞ、中へお入りくんなし」
家人の案内で一行はそれぞれの部屋へと通された。その中でフォミカだけが客間へと案内される。中で待っていたのは、眼帯をした中年女であった。
フォミカは座布団に座ると、折り目正しく一礼した。
「初のお見えと心得ます。手前はレドラムの請負人元締、ダツラ・ノウゼンに従います者、姓はモチグサ、名をフォミカに御座います」
「御言葉ご丁寧にござんす。あっしは宿場の寄合頭で『疾風のコマ蔵』と申しやす。以後どうぞお見知りおきを」
眼帯の女親分、コマ蔵が名乗った。顔を上げると青い隻眼が爛々と精力に満ちていた。
フォミカはこっそり息を呑み、決して隻眼から目を離してはならぬと己に言い聞かせた。
(ジジイの言った通り。この婆さんは敵に回したくねぇな)
疾風のコマ蔵と顔を合わせたのは、これが初めてだ。裏の界隈で彼女の名を知らぬ者はいない。これまでに多くの鉄火場を踏み、屍の山を築き上げてきたと噂される女侠客。
(それが今、目の前にいる)と、フォミカは息を呑んだ。
「ひと足先にノウゼンの元締から手紙を頂き、事情は伺っておりやす。件の剣士サマには、思う所がありますが、あの元締の願いとあれば、無碍にはできませぬ」
コマ蔵は青い隻眼でまっすぐフォミカを見返す。
「幸いこの脇本陣はしばらく空いております故、どうぞ隠れ家としてお使い下さい」
「ご好意、誠にありがとう存じます」
フォミカは再び頭を下げた。大物との対面に神経がひりついていく。
そんな中、不意にコマ蔵の目尻が下がり、揶揄うような微笑が浮かび出す。
「……姐さんもまあ、なかなか面白い事に巻き込まれたようで」
予期せぬ発言に、フォミカは思わず目を白黒させる。
「請負人のお噂はかねがね聞いておりやす。金次第でよろづの殺しを請け負うと。人の
コマ蔵は一つしかない青い眼でフォミカをじっと見つめる。品定めをしているような注目ぶりに、フォミカは居心地の悪さを覚えながらも、真っ直ぐ見返す。
「何も、全く。請負人は仕事です。依頼と金を貰って初めて殺しを請け負う。仕事でなければ、いま正しいと思うたことを行うまで」
「それならもし、ノウゼンの元締が旅の途中で二人を始末を命じたら?」
フォミカは迷いなくこう答えた。
「その時は消えて貰います。仕事ですから」
………
……一方、ウカルとアヒサはあてがわれた部屋で休息を取っていた。
「腕の具合は如何ですか、ウカル様?」
心配そうにアヒサが尋ねる。
「痛みは薬のお陰で和らぎました。しかしまだ動かしてはならぬとは。歯痒いものです」
ウカルは暗い面持ちで痛み止めの丸薬と水を口へ含んだ。
「もし追手が来ても、これでは勝ち目は薄い。しかし……」
表情は暗いままだったが、アヒサに向ける視線には、まだ決意の光が残っていた。
「これしきのことでは諦めませぬ。必ずやアヒサ殿を、お守り通してみせます」
アヒサは決意を固めるウカルの片手に、そっと手を添えた。伏せた双眸は涙で潤み、今にも溢れ落ちそうになっている。
「ウカル様。どうかこれ以上は無理をなさらないで。貴方に死なれては、ワタシ一人だけになってしまう。そうなったら、これから先、どうしたら良いの?」
彼女は暗い面持ちのまま言葉を続けた。
「……アタシ一人に出来ることなど、たかが知れているというのに」
「まだ諦めてはなりません」
ウカルが即座に言い返す。そしてアヒサの手を強く握り返した。
「某がおります。某がこれからもずっと、貴女をお支えします」
「ウカル様……ありがとうございます。ワタシは果報者だわ、貴方のような方がお側に居てくれるなんて……」
アヒサは静かに涙を落とすと、口を閉ざしたまま、ウカルの懐にそっと抱きついた。
二人はそのまま言葉を交わす事なく、しばらく互いを抱擁し合った。
……
……一方その頃。遠く離れたレドラムの丘街に店を構える料亭「小雀」では、男二人による密会が開かれていた。
一人は材木問屋のマルトイ屋、もう一人は砂色の紋付羽織を着た初老の男だった。
深いシワの刻まれた顔は面長で、長い顎はまるで岩石のようであった。
「その殺し屋は使えるのか?」
灰色の双眸がギョロリとマルトイ屋を睨む。恰幅の良い体格も相まって、放たれる雰囲気には凄味があった。
「腕は保証致します、ブガシラ様。しかし、些か気難しいといいますか、慎重と申しましょうか。とにかく依頼に些細な粗があるだけでも用心し出して、仕事を降りようもするのがちと難点」
「殺し屋風情が仕事を選り好みとな。結構な身分だ。いざという時は分かっているな、マルトイ屋?」
留守居役のブガシラが低い声で質問を重ねる。
「勿論です。ええ、ええ全て抜かりなく掃除致しますとも」
マルトイ屋は臆する事なく丁寧に答えると、ブガシラの猪口に酒を注いだ。
「それにしても、ウカルは良くやってくれましたなあ。仇討など古臭いやり口で、勝手にブマの口を封じてくれた。いやはや、あの者は磨けば化けますぞ。何せ一人の男の義憤を焚きつけ、刺客に仕立てあげたのですから」
マルトイ屋の言葉にブガシラは鼻で笑い、猪口の酒をひと息に飲んだ。
「全くだ。後で褒美を取らせてやるとしよう。しかしあの猪男も痛快じゃ。ブマがただの案山子だった事にも気づかずに……馬鹿な男ほど思い通りに動きよる」
彼らの密会は、人払いの済んだ奥座敷で行われていた。予め積んでいた心づけによって、店の者達も座敷はおろか棟を丸ごと閉ざして人を寄せ付けぬよう、とり計らっていた。しかし大勢の注意を掻い潜り、密会の始終を覗く者が一人いた。
請負人一味のシキミだ。彼女は狭い床下に小さな体を潜り込ませて、マルトイ屋達の企てを盗み聞きしていたのである。
やがて、マルトイ屋が話題を切り上げて、女中達を呼び戻しに行った所で、シキミも闇の中へ消えるように離脱した。
……
同時刻、丘街の路地裏。
ノウゼンとエニシダの二人は、蕎麦の担い屋台の前で肩を並べ、湯気だつ蕎麦を立ち食いしていた。屋台の店主は裏稼業にも通じる者であり、今は見張りのため屋台から離れていた。
「へえ。マルトイ屋の材木は、コバ藩の領内から流れてるのか」
エニシダの説明を聞いていたノウゼンが、箸を止めて言った。
「あの地は古くから木材の産地だ。
エニシダが声を低くして話す。彼は請負人であり、同時に裏の情報屋でもあった。
「コバ藩は藩主が代替わりして日が浅く、しかも先代の頃に起きたお家騒動の後始末に追われている。そんな中で莫大な利益をもたらす両者の影響力は大きく、表立って逆らえる者も居ないと聞く」
「ブガシラもマルトイ屋の側か。ウカルを追いかけていた奴の家臣共も、言ってしまえば奴らの私兵かい」
そこまで言うと、二人は思い出したように蕎麦をたぐる。どちらも具材なし、質素な掛け蕎麦で腹を満たして暖を取っていた。
「……もう一つ知らせておく話があった」
エニシダが、思い出したように話を再開した。
「ウカルの師匠でコバ藩の剣術指南役。確かブマによって寝たきりにされた、という話しだったな」
「それでウカルは仇討でブマを斬った」
「両者が不仲であったのは周知の事実だし、それを原因だと申す者は多い。一方でな……指南役はブガシラとも揉めていた」
ノウゼンは「続けろ」と言葉少なく言い、熱いそばつゆを音を立てて飲み始める。
「コバ藩は河川の再開発を進めている。その一環として、木材の搬出場所も整備しなければならぬのだが、ブガシラは多くの浪人を雇い、大掛かりな地上げをしているのだが……」
エニシダは隣に立つノウゼンを見やる。鋭い鷹の目には、真相を逃さんとする強い光が宿っていた。
「ブガシラは指南役の土地にも売却交渉を持ちかけ、突っぱねられていた」
ノウゼンも器から顔を離すなり、熟練の裏稼業者らしい、真剣な面持ちを作っていた。
「……若殿。お前さんには、もっと話して貰いたい事が山ほどあるんだが、少し待て」
急にノウゼンが制する。同時にエニシダも勘付いたようで、丼を下に置きながら腰刀の鯉口を切った。
「こんな夜更けに何の用だ。隠れてねぇで、出てきな」
ノウゼンは夜の深い暗闇に向かって声を掛けた。
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