恋活をするのはシキミ!?
恋活をするのはシキミ!?-1
「うう……寒い」
若い男がブルブル肩を震わせながら、早朝の薄暗い冬道を歩いていた。
上衣の上に半纏を羽織り、首にも襟巻をしているのだが、それらを淡い努力とまるであざ笑うように、鋭い寒風がうっすら雪の積もった地面から吹き上がってくる。
男は剣士に仕える奉公人、いわゆる中間であった。長子ではないだけで家督を継ぐことができなかった彼は、口入れ屋から斡旋された剣士の屋敷で臨時雇いの奉公人として食い扶持を稼いでいた。
(ついでにこっちの具合も寒い訳だが……)
と、中間は懐に偲ばせた紙入を摩る。金が入るには時間も手間も掛かるというのに、出ていく時だけはほんの一瞬で、跡形もなくなる。
だが、と彼はつい先ほどまでの温もりを思い出し、フフンと薄く笑みをこぼした。
(さっきのは悪くなかったじゃあないか。これまで高い金を払って茶屋娘を引っ掛けてきたのが馬鹿馬鹿しく思えちまう。また使おうじゃあないか)
目的ができると金を稼ぐ苦労も少しは和らぐというものだ。うかうかしていられない、次の為にまた、例の仕事で稼がなくては。
ホクホク顔で、中間はなお冬道を歩き進んだ。
それからしばらくすると、彼は痩せた枯れ木ばかりが並ぶ水路沿いの道にたどり着いた。桟橋の小舟は全て繋ぎ止められ、渡守の姿さえ見当たらない。道路にしても人力車すら走っていない有様だ。
こうなっては屋敷まで歩くほかない……などと考えていると、前の方で若い娘が蹲っているのが見えた。
「おい。どうしたんだ?」
中間は声を掛けて直ぐに後悔した。娘の身なりは平凡で、別段怪しさは感じられない。
だがこんな朝早くに、女一人で居るのは不可解だ。声をかけるべきではなく、無視して通り過ぎるか、引き返した方が無難だっただろう。
「待ってたの」
もう遅い。娘は両腕の内に顔を埋めたまま答えた。仕方なく中間は娘に近づき、面倒くさそうに尋ねた。
「こんなところで誰を待ってる?」
「それはね……」
次の瞬間、娘は風のように素早く中間の懐に潜り込んでしまう。そして、隠し持っていた短刀で中間の脇腹を刺した。
刃は寸分の狂いなく肝臓に到達。中間は激痛に顔を歪め、悲鳴を上げようと口を開け広げる。
だがそれよりも、娘の手の方がずっと早かった。彼女は短刀を一度抜くと、今度は脇の下を刺突。それからズブズブと刃を回して傷口を広げていく。
「お前だよぉ」
娘は刀を抜きながら中間の体を肩で押す。急所を刺されて事切れた中間は、ぐらりと体を傾けて、そのまま水路へ落ちていった。
……娘は短刀を鞘に納めると、ようやく顔を現し始めた朝陽を背に立ち去った。
請負。表沙汰にできぬ依頼を請けることを、裏稼業では、こう読んだ。
しかしここに言う請負人とは、金を受け取り、よろづの殺しを請け負う、闇の暗殺代行者の事である。
ただし、彼らの存在を証明する記録の類は一切残っていない……。
……
国を挙げての近代改革、いわゆる「ご一新」の勢いは凄まじく、汽水湖に面した地方都市レドラムにも、近代化の波は届いていた。
大通りには煉瓦造りの大きな建物やらガス灯やらがずらりと並び、舗装された道路を人力車や馬車やらが行き交う。
その一方でガイヨウ町をはじめとする、昔からある居住区は、世間の流行りに取り残されたように、古い建屋が建ち並んでいた。
……さて、ガイヨウ町内のとある長屋で、一人の娘が目を覚ました。彼女は朝の睦刻(註・午前六時)ちょうど、刻を告げる鐘が鳴るなり、パッチリと大きな垂れ目を開けた。
そして冬の朝特有の、乾いた寒気に身じろぎする素振りすらなく、掛布代わり掻巻をずらしながら上体を起こす。起きたばかりだというのに、狸を思わせる丸い小顔は寝惚けている風にはみえない。そればかりか氷の仮面を被ったように無表情だ。
部屋の中には、最低限の家財道具がおかれているのだが、これらもまた手本通りに、各所にキチンと並び整えられており、不気味なまでに生活感がなかった。
そのような場で、娘は手早く身支度を整えると、桶を手に外へ出た。
「あら。シキミちゃん、お早うさん」
近所に住む初老の女が声を掛けてきた。彼女もまた綿入りの上衣を着込み、水桶を持っていた。朝早い時間、共同の井戸の前には長屋に住む女達が水汲みの為に並ぶ。早ければ早い方が、列に並び寒さに震える時間も減るのだ。
娘……シキミは初老の女を見返すなり、ぽややんとした笑みを作った。先ほどまでの無表情は影も形もない。その変わり様は、もはや別人の次元である。
「お早う御座いますぅ、おば様」
「朝からホントに元気ねえ。ささ、早く井戸に行かないと」
「ですね〜」
「そうだ、聞いた、聴いた? ついさっき河原に死体が揚がったそうよ。朝早くから防人が血相変えて前の通り走ってたのよ!」
「まぁ怖い!」
シキミは能天気に相槌を打ちながら、後ろをついて歩いていった。
………
……しばらく後。
「仲間から報せがあった。葵の花、確かに奴さんに届けたってよ」
隠居老人のノウゼンはそう言うと、顎の下蓄えた豊かな白髭をさすった。撫で付けた長い総髪から眉毛、そして髭に至るまで全てが白。まさに白髪お化けといっても過言ではない。
そんな老人と相対して座っていた壮年男は、ゆっくり頭を下げた。その下げた頭は素肌が見えるくらい剃り上げており、身につけているのは広袖の法衣。その身なりが示す通り、壮年男は寺院の僧侶だ。この国では広く信仰されている『御主(みぬし)』を崇める宗派の僧だ。
僧侶は痩せた面長の顔に、沈痛な表情を貼り付けたまま口を開いた。
「誠にありがとうございます。これで、亡くなられた者の無念、晴れた事でしょう。これは約束の……」
畳の上に置いた紙包を、ノウゼンの目の前にそっと滑らせる。請負人の元締であるノウゼンは、無言のまま頷くと、殺しの報酬を懐に仕舞った。
「で、この後はどうするんだい、坊さん」
「……考えておりませんでした。しかし寺には戻れないでしょう。何しろ、悪事に身をやつしたのですから」
「それが元女房の仇討であってもか?」
この僧侶はかつて地方小藩の剣士だった。その藩は、ご一新のどさくさでお取り潰しとなり、職を失った事で女房と離縁……そして出家したという。さて別れた女房の方は、レドラムに上った後、悪い男に捕まった末に殺されてしまった。僧侶の依頼は、その殺された女房の仇討だったのである。
「どうあってもです。人を憎み、命を奪った事に変わりはないのですから」
僧侶はそう言うと、目を瞑って静かに合掌してみせた。
……それからしばらく後。
僧侶が帰った後、ノウゼンは客間で寝そべっていた。折り曲げた座布団に頭を載せ、ボンヤリ天井を眺める内に、先ほどの僧侶の悲しげな顔が脳裏をよぎった。
(あの坊主、女房の後を追ったりしねぇよな?)
偶にいるのだ。請負人を使って仇討を果たした依頼人が自ら命を断ってしまうことが。
ある者は罪の意識から、またある者は、失った者の後を追いかける為に……。
つい昨年も仕事を頼んだ若い娘が首を括っているだけに、ノウゼンは久方ぶりに居心地の悪さを覚えていた。
「止せ、よせ。余計な事ぁ考えるな」
金を貰って命を奪る。それが請負人の仕事であり、それ以上は深入りしない。依頼人のその後など、例外を除けば預かり知らぬ話しなのである。
ノウゼンが何とか僧侶の事を忘れようと試みていた時、不意に表の門戸を叩く音が聞こえてきた。今度は誰だと、面倒臭そうに背中を丸めて向かった。
訪ねてきたのは、くたびれた衣に旅装束を纏った男だった。
ぱっと見たところ歳は四十絡み、白髪まじりの髪は後ろで無造作に結えていた。深い皺の刻まれた日焼け肌は艶も悪く、落ち窪んだ怖い眼に濃い無精髭も相まって、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「こちら、ノウゼンさんの御宅で?」
旅装束の男は顔を前に突き出しながら、深刻な面持ちで訊いてきた。
「……イカにもタコにも。そちらさんは?」
ただならぬ気配に、ノウゼンは袖の下に忍ばせた長鍼へ意識を向けた。この男の腕前はまだ分からぬが、最悪の事態に備える必要はあった。
すると訪ね人はどうした事か、急に跪くと額を地面に擦り付けるくらい、深く頭を下げたのである。
「おお、俺ぁ、ベタガネって者です。アシダの旦那に紹介されて、ここに来た!」
大きなガラガラ声で名乗りだし、懐から結び文を差し出す。ベタガネの言う『アシダの旦那』とは、市内に住む下駄職人で、同業を束ねる寄合頭でもある。
……というのは表の顔であり、裏の世界ではノウゼンと同じく請負人の元締をしている。
そんな男が裏の同業者に文をしたため、人を寄越した。
ノウゼンは身構える中、ベタガネは今にも泣きそうな、震える声で言った。
「お願ぇします。どうか、どうか娘を返して下せぇ!」
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