請負人、転職サイトに求人出す-8


 その男はずっと彼らを見ていた。

 ビズ壱は気づいていなかったが、彼がヨウリキの屋敷からここへ来るまでの道中、ずっと尾行していたのだ。


 その男は天井裏に潜み、三人が悪事を語る様を見て、聞いて、そして怒っていた。

 ただの怒りではない。グツグツ煮えたぐり、あらゆるものを燃やして溶かしてしまうほどの熱量を持つ『憤怒』であった。


 その男は静かに動き出した。手に嵌めた革の手甲に、輪状の糸車を取り付ける。そしてゆっくりと、手を覗き穴に向け……。

「ダメですよぉ」

 突然、若い女の囁き声が耳に飛び込んできた。


 男……ウズは盛大に驚愕しつつも、声を押し殺して堪えた。

 慌てて横を向くと見覚えのある若い娘が一人、すぐ隣にいた。声を掛けられるまで気配すら感じられなかった。大いに狼狽えるウズに、娘は場違い極まる能天気な笑みで言った。

「今晩は。昼間のシキミですよー」



 ………



 天井裏から脱したシキミは、ウズを連れて屋敷の裏通りへと移動した。

「すごい格好だねえ、ウズさん。ぜんぶ自分で作ったの?」

 彼女は日中同様、能天気に振る舞う。ウズは混乱しながらも、一先ず顔全体を覆う赤い面頰を外した。


 野良着を改造した赤と青の装束に身を纏い、両手にはカラクリ付きの革手甲。それらの装いはひと昔前の隠密じみていた。


「何なんだよアンタは?」

「……それはこっちのセリフだぜ、兄ちゃん」

 代わりに道の奥から女の声が返ってきた。

「アタイが親切に忠告してやったのによ。馬鹿な真似するなって」

 絵師のフォミカが、派手な羽織を肩に引っ掛け歩いてきた。その両脇には二人の男。ウズはもう何度目かも分からぬ驚愕の表情を浮かべた。


「分かりやすい男だ」

 続けて口を開いたのは防人のエニシダ。そして最後の一人……町医者のノウゼンが長い白髭を弄りながら、カカカと笑った。


「とりあえずシキミちゃんには感謝しろよ、若ぇの。手遅れならずに済んだんだからな」

 ウズはその場に立ち尽くし、呆気に取られた様子で皆を見渡す。

「アンタ達……何者なんだ?」

「葵の花」

 フォミカが発した単語にウズは思わず目を見開く。


「葵の花……殺しの依頼に使う言葉……まさか、アンタ達!?」

「そうだ。俺たちは請負人だ。お前と同じく、金を貰って人を殺す商売をやっている」

 エニシダが自分たちの正体を露わにした途端、ウズは場の空気が凍てついたような錯覚に襲われた。


「ついこの間から、ヨソで活動していた請負人がレドラムに流れて来たと、裏の界隈で噂になっていたのだ。そうか、ふん、お前だったのか」

 面白そうに話すエニシダに、ウズは顔を真っ青にして立ちすくむ。そんな若者を面白そうに見ていたノウゼンが愉快そうに口を開く。


「若殿に頼んで調べて貰っていたんだが、まさか当人と成り行きで関わるなんてな。夢にも思わなかったぜ。済まんな黙っていて。オレ達としても、どんな奴か見定めたかったのよ」

 剣呑な空気を出したり、明るい雰囲気で接してきたり。レドラムの裏稼業者達はコロコロと人間を変えて、気さくに接する。その真意を掴めず、ひたすら狼狽えるウズ。


「しっかしよお、面と向かって話してみたら無鉄砲なガキじゃあねぇか。依頼無しに殺しをやろうとする向こう見ず……周りが見えねぇ位に怒ってんのがよく分かるぜ」

 ノウゼンはウズの肩を軽く叩いて朗らかに笑う。それから直ぐに低い声で言った。


「だがよ、簡単にキレるんじゃねぇや、若ぇの。オレ達ぁこのクソ溜めの中でクソの命を商人あきんどだ。商売の邪魔する奴は除かなきゃならねえ。危うくテメエの命も、商売の為に奪らなきゃならなかったんだぞ、大馬鹿野郎が」

 この叱責にウズは奥歯を噛み締めた。


 コイツらは本物だ。たとえ気心知れた仲間でも掟を破れば平気で始末する。レドラムの請負人達は、油断ならない連中だ。

 そんな時である。フォミカが横から呆れ半分に口を挟んでくる。

「やい、ジジイ。わざわざ声かけて、脅すだけ脅しやがって。ンな事やってる暇あったらよ、さっさと本題に入ろうぜ」


 するとノウゼンも頭を掻いて苦笑してみせる。

「済まん、すまん……実はオレ達もテメエと同じく腹わた煮え繰り返っていてな。今回の仕事、同じ考えの奴と仕事が出来たら良いと思ってんのよ」と言い、ノウゼンは袖の下から小さな袋を取り出した。


「テメエが殺したがってる奴らに、是非とも『葵の花』を送りたい奴がいる」

 葵の花。それは裏社会に伝わる隠語……暗殺代行業、請負人に向けた殺しの依頼であった。


 町医者であり、請負人組織の元締でもあるノウゼンは、不敵な笑みを浮かべて言う。

「オレ達は薄汚え殺し屋だ。しかしな、『生かしちゃおけねえ外道を消す』って信念だけは絶対に曲げねえと心に決めている」

 その言葉を聞いてウズは決心した。返事の為に口を開くことは無く、代わりに無言で袋を受け取った。


「やったね。これで仲間だよ」

 シキミが嬉しそうにウズの手を取る。

(まさかこの娘も請負人なのか?)

 人畜無害が衣を着ているような娘に疑問の目を向けるウズ。そんな中、フォミカが手を叩いて口を動かした。

「さてと、ここから先はアタイの出番だ。テメエらがキッチリ動けるよう、しっかりと殺しの絵を描いてやるよ」


 ………


 しばらく後。三人だけの酒宴は酔いの勢いによって規模が大きくなり、いつしかエンテン一家の子分達までもが加わる、大宴会と化していた。

 そんな喧騒から抜け出し、フラフラと廊下に出た影が一つ。

 標的の一人、エンテン一家のビズ壱だ。彼は酔いがすっかり頭の芯まで回っており、目の前はボヤけて足取りも覚束ない有様であった。


「みず……」

 酒で焼けた喉が乾きを訴えて止まない。早く水が欲しい。


「水ぅ」

 辛うじて店奥の土間まで来ると、置かれていた大きな水がめの蓋を退かした。

 かめの中は、たっぷり飲み水で満たされていた。ビズ壱は柄杓を使うのも億劫がり、直に両手を突っ込んで水を掬い飲みだした。


 ばしゃり、ばしゃり。水面は激しく揺れ動き、溢れ落ちた雫はあちこちへ舞う。

 喉を潤すことばかり考えていたビズ壱。彼は土間の隅で域を潜める影に気づいていなかった。


 その影……請負人のシキミは短刀を逆手に持ち、ビズ壱の背後へ忍び寄る。

 足音から息遣い、果ては目に見えない気配そのものを消し去り、すぐ真後ろまで距離を詰めてしまう。


 そしてシキミは、前のめりになって水を飲むビズ壱の後ろ首を掴むと、かめの水へ押し込んだ。


 不意をつかれたビズ壱の顔が水面下に沈む。鼻や口、そして耳はおろか目の隙間からも水が逆流して体内へと流れ始める。

 ぶくぶく……。

 溺れる苦しみから逃れようと、手足をばたつかせてもがくのだが、シキミが抑え込んでおり、全く抜け出せない。


 シキミは優しい声色で囁きながら、短刀を振り落とした。


末期まつごの水。たぁんと飲みな」


 そして内臓めがけて背中へひと突き。即座に刀を捻って傷口を抉り広げる。

 ビズ壱のもがく力が、また一段と強くなった。しかしそれもほんの一瞬だけ……すぐに水音は途絶えて、ばたつかせていた両腕もだらりと垂れ下がった。


 ビズ壱の死を確認したシキミは短刀を鞘に戻すと、まるで闇の中へ溶けるように、すぅっと消えていった。


 ……


 しばらくして、ビズ壱が戻らない事に異変を覚えたエンテンが、下っ端に命じて探しに行かせた。その手下はドタバタ音を立ててすぐに戻って来ると、真っ青な顔で報告した。

「び、ビズ壱が……裏の水瓶に頭突っ込んで死んでやがった!」

 この一言に皆は騒然とし、大いにどよめき出す。


「野郎ども。今すぐ出入り口を全て塞げ! 手隙のモンは武器持って屋敷の中をくまなく探すんだ!」

 瞬時に切り替えたエンテンが指示を飛ばすと、荒事に通じた手下達が直ちに部屋を飛び出した。


「おっと、旦那はしばしお待ちを。あっしも席を外させて頂きやす」

 エンテンも一礼して部屋から出る。向かったのは己の執務室。そこには若手時代から愛用している長ドスが置いてあるのだ。


 手下達が方々へ走るなか、エンテンは渡り廊下に差し掛かる。そんな彼に、一人の男が声を掛けてきた。

「これは何事だ?」

 冷たく落ち着いた声。足を止めて振り向くと、旧い黒羽織を着た防人の役人が、庭の石畳の上に立っていた。


「おお、これは防人の旦那。どうしてこんな所に?」

「見廻りで近くを通りかかった。どうしたんだ、この騒ぎは?」

 防人の巡卒は訝しみながらエンテンの元へ近づいて来る。


(こんな時に余計なのが入って来やがった!)

 ほぞを噛むエンテンだったが、相手は官憲、無理矢理な愛想笑いで答えた。

「こいつはお騒がせしやした。どうやら賊か何かが忍び込んだようで」


「ほう、それは難儀だ。どれ、俺も一つ協力してやろう。近ごろの賊はよく知恵が回るし、野放しにしたら厄介だからな」

 などと言いながら巡卒もとい、請負人のエニシダは腰に挿した十手を抜く。そして彼の前で十手の鉤を半回転させ、切先をエンテンへと向ける。


「全く左様で……へへへ……旦那?」


 エニシダは無言で十手の鉤を押した。

 すると内部に仕込んだ空気銃が作動、針弾を音もなく撃ちだした。

 針弾は空気を裂きながら直進、エンテンの心臓を貫いた。

 瞬く間に命を奪われたエンテンは、眼球が溢れおちんばかりに目を見開き、その場に崩れ落ちた。

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