あんたこの絵札どう思う?-終


 エニシダが狙うのは書物問屋の三番番頭、バンゲン。彼は今晩、同業者の催す会合に出席している。

 ただしこの集まり、会合とは名ばかりで、実際は各店の中堅連中が酒や食い物を持ち寄り、飲んで騒ぐ場であった。


(やるなら今夜だ)

 既にエニシダは、会場となっている邸宅前にやって来ていた。

 しばしの間、暗闇に紛れて見張っていると、酔いの回った参加者達がわいわいと表門から出てきた。宴会が終わったようだ。


 そして……見つけた。標的のバンゲンは仲間たちと共に顔を赤くして、ヨタヨタ左右に揺れながら門から出て来た。

 エニシダは闇の中で十手を取り出す。

 そして音を出さぬようゆっくりと、刃受けの鉤を半回転させる。

 ただの十手ではない。暗殺用に拵えた、仕込鉄砲なのだ。


 得物の用意はできた。あとはまた静かに……殺しの時機を待つだけ。エニシダはより深い闇の中へと消えていった。


 ……一方で請負人の存在に気づかない酔っ払いたちは、わいわい賑やかに夜道を歩いている。

「おいおい、バンさん。飲み過ぎたんじゃあ無いのか?」

 横を歩く同業者が、だいぶ酔っているらしいバンゲンに声を掛けてきた。

「かもしれんねぇ。いやなに、ちょいと良い事があったから、つい飲んじまった」

 仲間たちに向けて笑みを返すバンゲン。


「さて。ワタシはこれで失礼するよ」

「ええ? 一人で帰れるのかい? せめてここで待って、人力車を捕まえた方が……」

「大丈夫、大丈夫。歩いていればその内、酔いも覚めるだろうさ」

 そう言ってバンゲンは一人で横道に入り、ヨタヨタ千鳥足で夜闇の中に入っていった。


(さてさて。ようやくワタシの思い通りに事が進んで来たぞ)

 人気のない夜道を提灯片手に歩きながら、バンゲンはほくそ笑んだ。


 彫師のケワリは死に、マンテン堂のもとから原板まで奪いとった。複製できぬ152番のバケモン札は、また更に値段がつり上がる。あとは手筈通り、ワングゥの店を通じてどこかの好事家に売り飛ばせば、莫大な金が手に入る……。


(それにしてもワングゥの奴、金の為とはいえよく動く。ケワリを平気で墓線に捨てるし、家探しもやった。摺師を殺したのは頂けねぇが、原板を奪って来たのは褒めてやらぁ)

 兎にも角にも笑いが止まらない。


 もう少し……あともう少し。などと考えていると、前から巡卒が歩いてきた。

 夜警だろうか。びっくりしながらも、バンゲンは会釈する。


「これは旦那。お勤めご苦労さんです」

「……うむ。お前、だいぶ酒が入っているようだが大丈夫か?」

 巡卒は怪訝な顔で尋ねてきた。


「あ、あはは。なぁに、これくらいは大丈夫でさぁ」

「そうかもしれんが近ごろは物騒だ。この道を出るまでの間は付き添わせてもらう」

 などと巡卒は生真面目に言う。


「それはどうも。心強い」

 内心舌打ちをしながらもバンゲンは愛想笑いで返した。そんな標的の横につき、共に歩く事になった巡卒……否、請負人のエニシダは、徐に袖の内から手を出した。


 手にしていたのは得物の仕込鉄砲である。

 エニシダは前を見ながら、仕込鉄砲の銃口をバンゲンに向けた。


 距離良し、風向き良し、照準良し。


「旦那、そいつは……?」

 十手に気付いたバンゲンが顔を向けてきたのと同時に、エニシダは鉤を押し込んだ。


 内部では小さなゼンマイや歯車が目にまとまらぬ速さで作動。圧縮空気が装填されていた針状の弾丸を押し出し、銃口から吐き出す。


 音さえ出さずに放たれた針弾は、バンゲンの眉間に突き刺さり、勢いそのまま脳へと達した。


 ドサリ。


 バンゲンは糸の切れた人形よろしく、その場に崩れ落ちる。

 エニシダは仕込鉄砲を仕舞いながら、息絶えたバンゲンには目もくれず、平然と歩き去っていった。


 ……


 同時刻。

 店じまいを終えたワングゥは、店奥の自宅へ戻ろうとしていた。

 手元を照らしていた行燈の火を消そうとしたその時、不意に暗闇の中から「ごめん下さいまし」などと、声が聞こえてきた。


 ぎょっとするワングゥ。それもその筈、入口の戸には開けられぬように、棒を挿したばかりなのだ。

 狼狽えつつも、手元の燭台を声が聞こえて来た方角に向けた。


 照らされたのは……若い娘の顔だ。それも先日、店に来た女絵師の付添人である。


「こんばんわぁ」

 娘は人畜無害な人懐っこい笑顔を作った。

「てめえ。どうやって入って来やがった!」

 怒鳴るワングゥ。しかし娘……シキミは臆することなく、言葉を続けた。

「そんなに怒らんで下さいよお。実は買い取って欲しいモノがありましてね」


「買取? 馬鹿野郎。何刻だと思ってる、店は閉めてるんだ!」

「まあまあ、そう言わずにこれを、ねえ?」

 シキミは尚もニコニコ笑顔を崩さず、一段高い帳場まで上がり込む。そしてワングゥの目の前で小さな風呂敷包を開いてみせた。


 露わになったのはバケモン札。それも152番目の『ニュウ』だった。


「何だと!?」

 ワングゥは瞠目する。

「どうか買い取っておくれよお」

「にに、ニセモンだ。この札は数が少ねえんで有名なんだ。テメエみてぇな小娘が持ってる筈……」

「買ってくれないのかい。じゃあ、この話はナシ。帰るよ」

 シキミはいそいそと風呂敷を包み直すと、胸に抱えて背を向けた。ワングゥは慌てて背を向けたシキミの肩を掴み、懇願する。


「待ってくれ。買う、買うから!」

 本物なら暁光だ。売り先が増えればその分、実入りも増える。

 だがこの必死さが不注意を呼び込んでしまった。ワングゥは見落とした。シキミが懐から短刀を引き抜く瞬間を。


「幾らだ。幾ら欲しい!? 言い値で買い取ってやる」

 ワングゥは肩に置いた手に力を込めて、シキミを振り向かせようとする。

「お金は欲しくないの。あたしが欲しいのはね……」


 引き寄せられたシキミが体ごと振り返る。風呂敷包の裏から表れた手には、短刀が握られていた。


 ズブリ。


 座ったままワングゥの胸へ短刀を突き刺す。


「あんたの……命だよお!」


 ぐるりと柄を回しながら、心の臓を捉えた刃をより深く押し込んでいく。

 ワングゥは開け広げた口から、声とも呼べないおぞましい音を漏らしながら後ろに倒れる。

「毎度ありぃ」

 ワングゥから刃を引き抜くシキミ。表情は平時のまま、ポヤポヤした穏やかな微笑を丸い顔に張り付けていた。


 ………


 ワングゥとバンゲンの遺体は翌日発見され、ちょっとした騒ぎになった。

 特にワングゥの店からは盗まれたバケモン札の原板が発見された事から、マンテン堂でのドウサ殺しの犯人は彼であると、防人は断定した。

 しかし肝心の容疑者は既に故人。防人では容疑者死亡で一先ず捜査の区切りをつけた。


 一方のバンゲンは事故死という形で結論付けられた。何しろ目立った外傷は額の小さな傷跡が一つあるだけ。酒に酔って転び、頭を打って死んだ……と見做されて、こちらの捜査も終了した。


 死因究明の術が確立しない時代だけに、こうした変死は深く追求できぬまま、謎の死……などで片付けられてしまうのだ。

 たとえそれが何者かの暗躍によっても。



 ……数日後。

 一連の仕事に決着をつけたエニシダは、マンテン堂の様子を見に店を訪れた。

 表は相変わらずバケモン勝負で盛り上がっているのだが、今日は店裏の座敷までもが騒がしかった。


「色刷りが済んだよ。次のを持ってきて!」

「こっちは藍が切れそうだ、早いとこ注ぎ足しておくれぇ!」

 座敷いっぱいに座卓や版画道具が並び、大勢の職人たちが、やいのやいのと絵札作りを進めていたのだ。


「おお。これはエニシダの旦那!」

 作業を見て回っていたマンテン堂が、ひょこひょこ歩み寄ってきた。

「こ、これは?」

「バケモン札の増刷を進めておるんです。来週には、各店に配る予定です」

 ドウサが死んだ直後は放心状態にあった老人も、今では大義の為、気丈に振る舞っているようだ。


 その様子に安堵を覚えたエニシダであるが、作業者の中に見慣れた顔を見つけ、思わずポカンと呆けた。


「おい、マンテン堂。あの女……」

 エニシダが指さす先では、女絵師のフォミカが、文句を垂れながら色を摺っていた。

「あの方ですか。152番の札を描いて下すったフォミカ先生です。絵師仲間のツテで作業に加わって……」

「やいマンテン堂! アタイは絵師だぞ。何で絵描き以外の仕事を回しやがる!?」

 手を動かしたままフォミカが怒鳴る。エニシダは絡まれたくない一心で、咄嗟に顔を背けた。


「ええと。あなたをご紹介して下すった先生が言うには、フォミカ先生はが大変お有りだとか」

 マンテン堂は言葉を選びながら答える。エニシダも心の内で「確かに」と同意した。

何しろこの女絵師、この間の仕事では短時間の内に偽のバケモン札を拵えていたのだ。

しかしこの評価、本人は納得がいかないらしい。


「遠回しに貶してんじゃあねぇぞ! つーか、アタイの描いた札。量が少なくて困ってんだろう、今こそアタイの腕を持って、大量に……」

「実はですね、非常に言い辛いのですが。アレは……没案だったみたいで」

「はぁ!?」

 これにはフォミカも手を止め瞠目。エニシダも大いに驚き、マンテン堂を見やる。


「152番のニュウ。どうやらあれは、151番目の候補絵だったんです。それが何かの手違いで紛れ込んでしまって」

「絵札として世に出回っちまった?」

 フォミカが先回りして答えを口にする。マンテン堂は苦笑いを浮かべて白髪頭を掻いた。


「そうなんです。だから152番はにしました。正規の商品で無くなれば値段も付かないし、転売もされなくなります」

「何だそりゃあぁっ!?」

 頭を抱えて吠え狂うフォミカ。そんな彼女を尻目にマンテン堂は皆を鼓舞する為、朗らかに言った。


「皆さん。これでバケモンの数は、はっきりきっかりたっぷり151となりました。151の喜び、151の夢、151の思い出作りを目指して頑張りましょう!」


(了)

 


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