第四十二話 聖王女(後半イザドラ視点)

 魔帝と勇者の連合軍はアルカンの王都に凱旋がいせんした。

 国民の歓呼の声に迎えられたエセルバートは、こう布告する。


「わたしは廃位したスティーヴン王に代わり、新王として即位します。そして、このたびアルカンに援軍を送ってくださった東大陸のディンゼ魔帝国と正式に国交を結びます。それに伴い、ひとつみなさんに謝罪しなければなりません。わたしはディンゼの魔帝リュデロギス陛下に勝利したことになっていましたが、それは嘘です。先王の命令により、実際は敗北していたのに勝利したことにしていたのです」


 人々は驚いたが、自分たちをだまし、国の危機に後手後手に回っていた先王への反発もあって、誠実な新王を支持する気運が高まった。

 シェリーンはリュデロギスとエセルバートに相談し、自分が魔族の先祖返りであることは明かすが、幸運の子であることは伏せておこうと決めた。


 ディンゼとアルカンの間に国交が結ばれる以上、いずれ人々を介してシェリーンが幸運の子である事実も広まっていくのだろうが、復興に向かい始めたこの国にあえて波乱を起こすこともない、という意見になったのだ。

 幸運の子の力は吉凶が合わさった、福音とも恐怖の対象ともなりうるものだ。多くの人族がその存在を知れば、おそらくは違法に利用されるか弾圧される。


 長い年月をかけ、幸運の子は大切にすべきだという意識を醸成していった魔族と違い、人族にその土壌はない。加えて、今回は大いに助けられたとはいえ、まだまだアルカン国民の間には魔族に対する根強い偏見がある。

 そこに幸運の子の情報を流そうものなら、東大陸にいるシェリーン以外の幸運の子にも迷惑がかかるかもしれない。


 シェリーンだって、リュデロギスをはじめとした、自分を受け入れてくれた人たちがいなければ、この能力の負の側面を肯定できたかどうか。


(それに、わたしにずっとアルカンにとどまって欲しいという人たちがたくさん現れるのは避けたいわ……)


 そう考えての決断だった。

 リュデロギスは人族にも受け入れられやすい外見をした兵を百人ばかり連れ、シェリーンとともに、しばらくアルカン王宮で世話になることになった。アルカンと国交を結ぶにあたり、エセルバートと話し合う必要があったし、シェリーンが疫病の対処をしたいと申し出たからだ。


 シェリーンを連れ戻すため、ディンゼに派遣されたアルカン王国軍特務部隊は、リュデロギスに帰国を許された。今頃は家族と再会を果たしているだろう。

 予言士ワーズワースはエセルバートに仕えることになったそうだ。王宮でシェリーンと会った彼は「やはり、わたしの予知は正しかった」と微笑した。


 マルキアドとゼンヴァは配下を連れ、ガルデアに戻っていった。「ダルムト軍に手応えはなかったが、シェリーン殿の役に立ててよかった」と言い残して。

 レディオンとセルグ空軍元帥は先に帰国し、転移装置を使って医師団を送り込んでくれた。その中にはシェリーンがお世話になっている診療所の院長も含まれている。


 医師団とリュデロギスの力を借り、シェリーンは疫病の病名を特定した。コルドニ風邪――かつて、東大陸でも流行ったことのある強力な風邪の一種だ。

 シェリーンの推測通り、捕虜になったダルムト兵はこの病にかかっている者が多かった。ダルムト軍が急速に弱体化した理由は、やはり疫病の蔓延まんえんだったのだ。


 シェリーンは治療薬とワクチンを用意してもらった。注射を知らないアルカン国民には注射で接種するワクチンは心理的な抵抗が大きいだろうと考え、飲むワクチンを選んだ。

 王都にまで蔓延しつつあったコルドニ風邪は急速に収束していき、シェリーンは飢饉に備え、ディンゼから食料を運び込む指揮を手伝う余裕さえできた。

 気づくと、いつの間にかシェリーンは「聖王女」とアルカン国民から呼ばれていた。

 自分にできることをしていただけのつもりなのに、どうにも気恥ずかしい。


(もしかして、今なら……)


 ふと、あることを思いついたシェリーンは、リュデロギスに頼み込み、魔飛蝗エビルローカストの被害に遭った各地の農村への慰問に同行してもらった。案の定、集会所でリュデロギスの姿を見た女性たちは呆気に取られている。


「あれが大魔王……魔族っていうのは、みんなああも美しいのかねえ……」

「お母さん、あの方は魔帝陛下とおっしゃるらしいですよ! 新王陛下のお触れにそうあったでしょう」

「なんという眼福じゃ……寿命が十年ばかり延びましたわい」


 リュデロギスは眉をピクピクさせている。どうも、人族が相手の慰問は苦手らしい。

 けれど、彼の美しさは魔族のイメージアップを図るために効果的なので、シェリーンは無理を言ってついてきてもらったのだ。

 シェリーンが村人たちに声をかけて回っていると、老夫婦が近づいてきて丁寧に一礼した。帽子を取った農夫が口を開く。


「王女殿下……こんな辺鄙へんぴな場所にまでご足労いただき、ありがとう存じます。殿下と魔帝陛下が分けてくださった食料のおかげで、今年の冬は越せそうです。疫病にかかっていた息子夫婦も快復いたしました。本当になんとお礼を申し上げてよいやら……」

「そんな……お顔を上げてください」


 シェリーンが促すと、農夫は顔を上げた。真面目に何十年も生きてきた、きれいな瞳だった。農夫の隣にたたずんでいたその妻が、シェリーンをじっと見つめた。


「王女殿下はお母君のアナベラさまに、本当によく似ていらっしゃいますねえ」

「わたくしが、母に……?」

「はい。アナベラさまはこの村に視察においでになったことがあるのですよ。まだ、あなたさまがお生まれになる前でしたねえ……」


 懐かしそうに話したあとで、農婦は泣き出しそうな顔をした。


「王女殿下、今までご苦労なさったでしょう。わたしたちはあなたさまが閉じ込められているというおうわさを聞いても、何もして差し上げられませんでした。それなのに、殿下は嫁がれたあとも民のことをお忘れにならず、よくしてくださって……どうかわたしたちをお赦しください」


 そんなことを言われると、自分まで涙が出てしまう。シェリーンは農婦の肩にそっと片手を置いた。


「そのお言葉だけで充分です。それに、わたくしは今、とても幸せですから」


 シェリーンがリュデロギスを見上げると、彼が優しくほほえんでくれた。

 辛い過去がなかったことになるわけではないけれど、シェリーンはリュデロギスの傍にいるだけで、心からの幸せを感じられるようになっていた。

 老夫婦も視線を交わし合い、ほほっと笑う。


「どうやらそのようでございますなあ。王女殿下のことは、今は魔后陛下とお呼びしたほうがよろしいのでしたな。どうも年を取ると、若い者はいつまでも幼いままだと思ってしまいがちで……いやはや、申し訳ない」

「ご夫婦の仲がよろしいようで、わたしたちも安心いたしました」


 祖国の民にも自分たちの結婚をようやく納得してもらえたのだと実感できて、シェリーンは照れてしまった。

 アルカン王室の馬車に乗り込んだ時、隣に座るリュデロギスが言ってくれた。


「シェリーン、予は誇らしい」

「え?」

「自分の后が、その祖国の民にあれほど慕われているのだ。嬉しくないはずがなかろう?」

「そ、そうおっしゃってくださると嬉しいです」

「あなたはきっと、ディンゼのあまねく民にも人柄を慕われる魔后になるだろう。何度でも言うぞ。シェリーンを后にしてよかった」

「ありがとうございます……」


 応じながら、シェリーンは決意した。リュデロギスは出会った時から変わらず、自分に想いを伝え続けてくれている。ならば、自分もその想いに応えなければならない。

 もう少し落ち着いたら、必ず想いを伝えよう。

 シェリーンがそう思っていると、馬車が動き出した。


   ***


「なんとか、今月の生活費を捻出しないと……」


 イザドラが古城に幽閉されてから一月ほどが過ぎた。

 今、イザドラはものすごく困っていた。外に出られない不自由さと鬱憤を解消するために、与えられた今年の分の年金を使い果たしてしまったのだ。贅沢三昧ぜいたくざんまいをして育った彼女は、元からお金を計画的に使うという発想が欠落していた。


 エセルバートと両親に金の無心をしたが、無情なもので「自分でなんとかするように」との返事が届いたのだ。

 国の立て直しに忙しいエセルバートはイザドラに冷たく、すっかり仲が冷えきってしまったらしい両親も自分たちのことで手一杯のようだ。


 その上、風の便りに聞くのはシェリーンを褒め称える話ばかり。そのシェリーンを虐げていたことで、イザドラは使用人たちから辛く当たられていた。イザドラの華やかな美貌は、今ではろくに手入れもされず薄汚れてさえいる。


「どうして、わたしがあんな下々の者たちに……!」


 ぼやくのはたいがいにして、今は生活費の工面を優先しなければ。このままでは、その使用人たちに払う給料すら賄えなくなる。使用人たちが去り、何事も自分一人でやらなければならないなど、イザドラにとっては悪夢でしかない。


 イザドラは以前使っていたものよりも小さなクローゼットを開け、ドレスや宝石をかき集めた。使用人にピンハネされることを覚悟で、これらの換金を頼むしかない。

 ちなみに、かつてイザドラがシェリーンから奪ったアナベラの形見の宝石はここにはない。既にリュデロギスがエセルバートに手を回し、取り返してシェリーンに返還ずみだ。

 やるせなさと悔しさが同時に押し寄せてきて、イザドラは叫んだ。


「どうして、どうして、こんなことになってしまったのよー!!」


 自分は幽閉が解かれない限り結婚もできないのに、シェリーンは美しい夫に愛され、幸せに暮らしているのだろう。しかも、今の自分には考えられないほどの豊かさを享受して。


 シェリーンが憎い。だが、姉と慕わないまでも、せめてシェリーンにもっと親切にしていれば、こんな状況にはならなかっただろう。シェリーンが口添えしてくれていたら、エセルバートももっと温情をかけてくれたはずだ。そのことが、さすがのイザドラにも理解でき始めていた。


「お姉さまに、あんな意地悪するんじゃなかった……」


 今なら身にしみて分かる。人に冷たくされると、どうしようもなく惨めな気持ちになるということが。

 イザドラは生まれて初めて心の底から後悔したが、ドレスも宝石も彼女に応えてはくれなかった。

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