第二話 魔帝陛下は紳士的?

 全てはシェリーンの持って生まれた容姿が原因だった。


 とがった耳とアメシスト色の瞳という、魔族を連想させる容貌に生まれついた娘を見た瞬間、父王スティーヴンはまっさきに王妃アナベラの不貞を疑った。

 隣国の王女でもあるアナベラは、「わたくしは魔族と不貞など働いておりません。この子は正真正銘あなたの子です」と断固として主張した。


 祖母である王太后が「スティーヴン、この子はあなたと同じ黄金色の髪をしているし、眉のあたりがあなたの小さい頃によく似ているわ」と援護してくれたこともあり、シェリーンは王女として育てられることになった。


 王妃とも王太后とも気まずくなったスティーヴンは、ほとんど父親らしいことはしてくれなかったが、シェリーンは幸せだった。大好きな母が、あふれんばかりの愛情も教育も与えてくれたから。


 しかし、それも十歳までのことだった。シェリーンを生んで以来、身体の弱くなったアナベラが亡くなると、全てが変わってしまう。

 スティーヴンの愛人だったキザイアが王妃となり、その娘である二歳年下のイザドラが王女と呼ばれるようになったのだ。


 まず、スティーヴンはキザイアにそそのかされ、「魔族の特徴を持つ者は次期女王にふさわしくない」と言い始め、議会の承認を得て、シェリーンを第二王位継承者に格下げした。王太后もシェリーンが三歳の時に逝去しており、シェリーンをかばってくれる者は誰もいなかった。


 シェリーンの居場所は次第になくなっていき、ついにはキザイアによって離宮の一室に幽閉されてしまった。十一歳の時だ。

 以前からシェリーンを薄気味悪く思っていた節のあるスティーヴンにとっては、渡りに船だったに違いない。


 誰も誕生日を祝ってくれない、永遠にも思える日々が続き、シェリーンはいつの間にか十八歳になっていた。

 気にかけてくれた世話係もいた。その世話係も去ってしまうと、シェリーンはまるで初めから存在していなかったかのようにぞんざいに扱われた。幽閉されてからスティーヴンの訪問を受けるまでの七年間、思い出したようにイザドラが憂さ晴らしに訪れる時以外は。


 それでも王族の身分と王女の称号を取り上げられなかったのは、いずれ政略結婚に使うためだったのだろう。もっとも、こんな外見のシェリーンを人族の王侯貴族が望むとは思えない。

 だが、シェリーンの容姿を問題にしない者がいたのだ。

 それは、人族ではなかったけれど。


   ***


 緑に色づく窓の外を眺めていたシェリーンは、我に返った。七、八年ぶりにきれいなドレスを着たせいだろうか、昔のことを思い出してしまった。

 きれいなドレスといっても、イザドラが気に入らなかったお古で、胸のあたりが少しきつい。同じくお古の靴も、サイズは同じでも足の形が合っていないようで、歩くと爪先が痛む。


 一週間という短い嫁入りの準備期間では、新しいドレスを用意できなかったらしい。それとも、大魔王に嫁ぐシェリーンへの嫌がらせだろうか。

 昨夜は一睡もできず、今朝は不安のあまり、ミルク以外の食事が喉を通らなかった。

 大魔王とは、どんな人なのだろう。勇者に負けた腹いせに、シェリーンに酷い仕打ちをするかもしれない。


(いいえ、おびえていてはだめよ、シェリーン。お母さまはわたしを生んで不貞を疑われた時も、毅然きぜんとなさっていたというじゃない。わたしも同じ王女なのだもの。せめて、誇り高い王女でいなければ)


 深呼吸をすると気持ちが落ち着いてきた。

 ここアルカン王国は人族の住む西大陸の東側にある。港街まで馬車で赴き、船に乗って海峡を超え、魔族の住む東大陸に行くのだ。長い旅になるだろう。

 王都を囲む城壁の門を潜ると、整備された街道に出る。シェリーンは王都の外に出たことがない。初めて見る景色を眺めていると、不意に馬車が大きく揺れ、停まった。


(何があったの……?)


 動物でも前を通ったのかしら。そう思った時、シェリーンは馬車のうしろに乗っていた従者が血相を変えて窓際に現れたのに気づいた。ノックのあとに馬車の扉が開かれる。


「お、王女殿下、魔族の方々がお迎えにこられたようです。すぐにお降りください」


 ひやりとした手に心臓がつかまれたような気がした。

 だが、怖いからといって外に出ないわけにはいかない。シェリーンは従者に手を取られ、開け放たれた扉から地上に降り立った。

 馬車の前には、二人の男性が立っていた、二人とも背が高い。


(あの方々が魔族……?)


 想像とは違い、二人とも美しい若者だ。さっきまで魔族を恐ろしいと思っていたのに、シェリーンは吸い寄せられるように彼らの前に歩いていく。

 並外れて背の高い、銀髪の青年が一歩前に進み出た。絹糸のような髪はまっすぐで、腰まで届く長さだ。名状しがたい美しさの持ち主であるのに、他の全ての生き物を圧倒するような威圧感がある。


(きれい……)


 なのに、思わずシェリーンは見とれた。彼の顔を宝玉のように飾る、濃いバイオレットスピネル色の瞳に。

 耳はとがっており、図鑑で見たことのあるエルフ族ほどではないにしろ、少し長い。

 自分と同じ、紫の瞳にとがった耳の人に出会ったのは初めてだった。

 彼は本物の魔族なのだ。


 継母と異母妹から「不吉だ」「魔族だ」と罵倒される原因のひとつだった紫の瞳。嫌いだったその色が、今はなぜかとても美しく見えた。

 青年が薄い唇を開いた。


「お初にお目にかかる、我が后、シェリーン・アン王女。予は魔帝リュデロギス。あなたの夫になる男だ」


 では、彼は使いの者ではなく、本物の大魔王。

 優しく笑いかけてくるその表情には悪意のかけらもなく、恐ろしいとうわさされる大魔王にはとても見えない。


(しかも、ご自分から迎えにきてくださるなんて……それに、人族の間では「大魔王」と呼ばれているけれど、魔族にとっては「魔帝」なのね。魔族の皇帝ということかしら?)


 ついさっきまで馬車の中で抱いていた絶望と悲壮な覚悟が、少し和らいでいく。

 それどころか、シェリーンは青年――リュデロギスに自己紹介とともに笑いかけられて、安心感を覚え始めていた。


 緊張が解けてきたところで、シェリーンは妻になる者としての礼儀をハッと思い出し、慌ててお辞儀カーテシーをする。

 シェリーンが下げていた顔を上げると、未来の夫が手を伸ばしてきた。シェリーンの手を丁重に取ると、その麗しい口元に持っていく。


 手の甲に口づけられたことが分かった瞬間、シェリーンは思わず「ヒッ」と変な声を上げてしまった。

 リュデロギスはシェリーンの手を取ったまま、おかしそうにほほえんだ。


「人族の王侯は、高貴な女性にこのように敬意を表すと聞いたが……違うのか?」


 間違ってはいない。ただ、強制的に引きこもり生活を送らせられていた自分には、少しばかり刺激が強すぎただけで。

 シェリーンはぶんぶんと首を横に振った。


「いいえ! 陛下のお作法は完璧でございます! ただ、わたくしが不慣れなだけで……」

「ほう?」


 リュデロギスはなぜか嬉しげに口角を上げる。

 その様子は野性味があるのに不思議と色気があり、シェリーンは自分の心臓が高鳴る音を聞いた。


(高貴な大人の女性として扱われたのも、臣下以外の殿方とこんな風にお話ししたのも、初めて……)


 リュデロギスはしばらくの間、シェリーンを見つめていたが、優しい表情から一転、シェリーンについてきた従者たちを氷のような目で見た。


「そなたら、予の后をここまで連れてきたこと、大儀であった」


 それから再びバイオレットスピネル色の目を細めると、甘い響きを帯びた低い声でシェリーンに話しかける。


「シェリーン、これから我が宮殿に帰る。予にくっついていろ」


 シェリーンは慌てた。くっついていろと言われても、夫になる人とはいえ、今日初めて会った男性にそんな大胆なことはできない。

 シェリーンがもじもじしていると、リュデロギスが隣まで歩いてきた。そのまま、ごく自然な動作でシェリーンの肩を抱く。シェリーンは頭の中で声にならない悲鳴を上げた。


 リュデロギスのまとう黒いマントに包まれる。裏地は目の覚めるような真紅だ。

 リュデロギスが古代語のような耳慣れない複雑な言葉を唱える。頭上に引っ張られるような感覚がしたので、シェリーンは思わず目をつぶった。足が宙に浮いているような気がする。


 数秒後、足に大地を踏みしめる感覚が戻ってきた。シェリーンは恐る恐る目を開ける。

 肩にはリュデロギスの大きな手。そして、街道が伸びていたはずの前方には、アルカン王宮よりも荘厳な宮殿がそびえていた。

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