第五話 陛下はおいくつなのですか?

 リュデロギスの目が軽く見開かれ、すぐに細められた。


「そうか! ありがとう、シェリーン」


 リュデロギスは本当に嬉しそうだ。シェリーンの心に光が灯った。

 既に両国の間で婚約は調っているのに、リュデロギスは改めて求婚してくれた。それだけでも、彼の誠実さが垣間見える。

 リュデロギスは立ち上がると、名残惜しげに彼の席に戻った。


「結婚生活について、何か望むことはあるか?」


 実際に彼に会うまで、そんなことを考えてくれるとは露ほども思っていなかったので、返答に困ってしまう。

 リュデロギスは急かすでもなく、顔を軽く傾けて待っていてくれる。

 シェリーンはようやく言葉を発した。


「……お世継ぎは、できるだけ早く産んだほうがよろしいですよね?」


 リュデロギスと「夫婦生活」を送るなんて、想像しようとするだけで頭が沸騰しそうになるが、結婚する以上、避けては通れない道だ。

 十一歳の時から幽閉されていたにもかかわらず、シェリーンに「そういう知識」があるのは、親切にしてくれた世話係が本を差し入れてくれていたからだ。


 簡単な医学書には、かなり具体的な表現が使われていたし、心ときめくような恋愛小説にも「そういう行為」をほのめかすような描写があった。意地悪な世話係はわざと過激な本を差し入れてきたものだ。

 恥を忍んで質問したシェリーンを安心させるように、リュデロギスは答える。


「魔族の寿命は長い。人族や動物のように次々と次世代を生み出す必要がないゆえに、急がぬ」


 そういえば、以前イザドラが「大魔王は何百年も何千年も生きている」と言っていたことを思い出し、シェリーンは恐る恐る問いかけた。


「……陛下はおいくつなのですか?」

「魔族に年齢を聞くものではないぞ。たとえ若く見えてもな」

「も、申し訳ありません!」


 リュデロギスはくすりと笑う。


「冗談だ。ただ、あなたと予では歳が離れすぎているゆえ、今は教えられぬな。そうだな、シェリーンが予の子を身ごもったら、教えてもよいぞ」

「え……!」


 それでは一生教えてもらえそうにない。リュデロギスはどう見ても二十五歳くらいなので、それでよしとしよう。

 そういえば、自分も魔族だそうだけれど、寿命は長いのだろうか。


「わたしの寿命はどのくらいなのでしょうか?」

「幸運の子は長寿だ。その上、いつまでも老いることがないと聞いている」


 シェリーンは少しホッとした。リュデロギスがいつまでも若く美しいままで、自分だけが老いさらばえたのでは、彼が気の毒だし、いずれ見放されてしまうだろう。


(仮に何百年も生きられたとして……何をしようかしら?)


 そんなことを思っていると、リュデロギスが背もたれに身を預けながら、いたずらっぽく笑う。


「話がそれたな。シェリーン、予は結婚について望むことを聞いたはずだが?」


 話を戻されてしまった。

 リュデロギスが早めに世継ぎを望んでいない以上、シェリーンが希望することはひとつしかない。ただ、それを口にするのはかなり抵抗があるというか……。

 自分の希望は自分で伝えるしかない。

 シェリーンは覚悟を決めて口を開いた。


「その……夫婦生活の……夜のほうですが……まだ考えられません。何しろ……あの……経験がないもので……」


 ついに言ってしまった。

 顔を真っ赤にしながら目の前に座るリュデロギスの様子をうかがう。彼は真顔な上、無言だった。


(呆れていらっしゃるのかしら……?)


 しばしの沈黙があった。リュデロギスがようやく応じる。


「……分かった。あなたの意向を尊重しよう」

「あ、ありがとうございます」


 恥ずかしさをこらえて希望を述べたかいがあった。シェリーンが胸をなで下ろしていると、リュデロギスが口角をつり上げた。


「そのうち、あなたをその気にさせるのが楽しみだ」


 シェリーンは本当に頭が沸騰しそうになり、リュデロギスの顔をまともに見られなくなった。


   ***


 シェリーンは食べかけだったアップルパイを平らげ、冷めかけた貴重な紅茶をありがたく飲み終えた(「新しい紅茶を持ってこさせようか?」とリュデロギスが聞いてくれたけれど、もったいないのでもちろん謝絶した)。


 すると、タイミングを見計らっていたかのようにリュデロギスが立ち上がる。


「シェリーン、あなたの部屋を案内しよう」

「はい」


 シェリーンも立ち上がり、リュデロギスのあとに続く。

 そういえば、先ほどからリュデロギスは自らシェリーンを案内してくれるが、仕事は大丈夫なのだろうか。小国の国王でも忙しいだろうに、まして彼は帝国を統治する魔帝だ。


 シェリーンの心配をよそに、リュデロギスの足取りは軽い。廊下の奥のほうへ歩いていく。

 リュデロギスが途中で足を止め、「ここが予の部屋だ」と説明してくれてから数分。シェリーンはいくつもの扉が並ぶ、廊下の角近くに立っていた。


「まずは寝室からだな」


 リュデロギスが扉のレリーフに触れる。自動で開いた扉の向こうには、白を基調とした天蓋付きのベッドが設えられていた。絨毯じゅうたんは複雑な模様で織られており、色使いも優しい。可愛らしいデザインのソファまである。

 シェリーンは呆然とつぶやいた。


「これは……。本当に、こんなに素敵なお部屋を使ってもよろしいのですか……?」

「むろんだ。あなたを迎えるために部屋を改装したのだから、使ってくれなければ困る。次は大広間だな」


 各部屋は続き部屋になっているらしい。リュデロギスが隣の部屋に通じる扉を手動で開けると、広い空間が目の前にあった。


(こんなに広い部屋、何に使えばいいのかしら?)


 リュデロギスが絶妙のタイミングで答えてくれる。


「ここは人を招く時に使うとよい」


 次は寝室を挟んで大広間の反対側にある奥の間に案内された。別名「小広間」で、ごく親しい者を招く時や、普段の生活スペースとして使う部屋らしい。

 最後に案内されたのは、奥の間の隣にある書斎だった。天井が低く、傾斜した読書用の机と椅子が置かれている。壁に並べられたガラス扉付きの本棚には、まだ一冊も本が並べられていない。


(ここにお気に入りの本を入れていったら楽しそう……!)


 歓喜の声を必死にこらえていたシェリーンは、リュデロギスが満足げに自分を眺めていることにようやく気づく。

 子どものようにはしゃいだ顔をしていたのかもしれない。シェリーンが恥ずかしくなってうつむくと、リュデロギスが忍び笑いをする声が聞こえてきた。


「気に入ってもらえたようで何よりだ。シェリーン、予はしばらく席を外す。ここはもうあなたの部屋だ。好きな場所でくつろいでいてくれ」

「はい」


 シェリーンがうなずいてみせると、リュデロギスはマントを翻し、廊下への扉から出ていった。


「どの部屋で休もうかしら……?」


 この書斎も居心地はよさそうだけれど、まずは今夜から毎日お世話になる寝室に慣れておくべきだろうか。

 シェリーンは隣の奥の間を通過し、寝室に戻ってきた。大人が三人ほど座れそうなソファにかけてみる。


「ふかふかだわ……」


 まだ半日ほどしかたっていないのに、今日は様々なことがあった。一年くらい時がたってしまったような気さえする。


「陛下が、ちゃんとわたしの話を聞いてくださる優しい方でよかった……」


 恐ろしい大魔王だと思っていた彼が想像を絶する美男子だったことよりも、その好ましい人柄のほうがシェリーンにははるかに重要で嬉しい。

 自分が魔族で幸運の子だという事実も、今後じっくりと考えていかなければならない問題だが、今は新しい環境に慣れていこうと思えた。


 ソファの背もたれに身を預ける。あまりの心地よさにあくびが漏れた。

 緊張が解けると、昨夜眠れなかった反動か、心地よい睡魔が押し寄せてくる。シェリーンはゆっくりと眠りに落ちていった。

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