第四話 幸運の子
リュデロギスは給仕たちを下がらせた。
「『幸運の子』という存在を知っているか?」
リュデロギスが口にしたのは耳慣れない言葉だったので、シェリーンは首を横に振った。
「いいえ、存じ上げ――聞いたことがありません」
また、「過剰な敬語」を使いそうになってしまった。
リュデロギスはおかしそうにフッと笑ったあとで、表情を改める。
「やはり、西大陸では知る者が少ないのだな」
「幸運の子とは……?」
「本人の意思とは無関係に、いるだけで、住んでいる家に幸運と富をもたらす魔族の一種族だ。いや、種族という言い方は適当ではないかもしれぬ。何しろ幸運の子は恐ろしく貴重で、数百年に一度しか生まれないといわれている。古くから、魔族の間で大切にされてきたゆえんだ」
なぜ、リュデロギスはそんな話を始めたのだろう。そう思いつつも、シェリーンは彼の次の言葉を待った。
「幸運の子の力が強ければ強いほど、影響を与える対象は大きくなる。勤め先や、住んでいる村や街はもちろん、国の隆盛にすら影響を及ぼすという。誘拐された幸運の子を魔王が養子にし、のちに見つかったその一族を貴族に列して面倒を見た例さえあったほどだ」
生地はサクサク、リンゴはほっぺたが落ちそうに甘いアップルパイを食べることも忘れ、シェリーンは話に耳を傾けた。
リュデロギスのバイオレットスピネル色の瞳が、より真摯な光を帯びた。
「幸運の子の外見的な特徴ははっきりしている。髪の色は千差万別だが、耳は人族のものをわずかにとがらせた程度で、瞳は透明に近いアメシスト色をしているという」
シェリーンはハッと息をのんだ。思考がうまくまとまらない。
「シェリーン、あなたは幸運の子だ。あなたの耳の形と瞳の色がそれを証明している。幸運の子は魔族の血を引く者から生まれる。おそらくは、あなたの先祖に魔族がいたのだろう。帰先遺伝とも隔世遺伝ともいうが、シェリーンは魔族の先祖返りだ。それゆえに幸運の子の形質が現れたのだろう」
そのせいで、自分はこんな姿で生まれ、継母やイザドラから「不吉だ」「魔族だ」と蔑まれてきたのか。
彼女たちの言い分が正しかったということなのだろう。先祖返りとはいえ、シェリーンは本物の魔族なのだから。
だけど、周囲に幸運をもたらす力を自分が持っているという話は、どうしても信じられなかった。
もし、そうだとしたら、母が二十九歳という若さで亡くなることもなかったはずだ。祖母だって早くに亡くなってしまった。
(わたしが生きていて欲しいと思った人たちは、もうこの世にいない……)
シェリーンは唇を開いた。
「……では、なぜ母と祖母は亡くなったのですか?」
意図したより冷たくて硬い声になった。
リュデロギスは今までになく言いにくそうな表情で答える。
「例外もあるが、幸運の力は基本的に幸運の子のいる家の主を中心に作用する。たとえ家族であっても、主と反目していると幸運の力の恩恵を受け取りにくくなるのだ。事前に調べさせてもらったが、シェリーンの母君と祖母君はアルカン国王と仲がよくなかったのだろう?」
(それで……)
なんという皮肉だろう。自分を慈しんでくれた母とかばってくれた祖母が幸運の恩恵を受けられず、父王と継母、それにイザドラがその恩恵にあずかっていただなんて。
アルカンが富み栄え、彼らが
唇をかみ、うつむくシェリーンの耳に、リュデロギスの声が届く。
「それに……残酷なことを言うようだが、魔族ならともかく、人族が魔族の先祖返りである幸運の子を生んで長生きできるとは思えない。先祖返りは純粋な魔族だ。姿形は似ていても、魔族と人族では生まれ持ったものが違いすぎる。特に幸運の子の力は強い」
では、母がシェリーンを生んでから身体が弱くなったのも、それが原因なのか。
(わたしがお母さまを死なせてしまった……)
そう思ったとたん、涙があふれてきた。幽閉されるようになって、涙などとっくにかれてしまったと思っていたのに。
泣いている姿をリュデロギスに見られたくなくて、シェリーンは顔を両手で覆い、
「シェリーン」
名前を呼ばれ、指の隙間から横を見ると、リュデロギスがすぐ傍に立っていた。シェリーンは恐る恐る顔から両手を離す。見上げたリュデロギスの顔は銀の眉尻が下がり、とても優しかった。
彼は手に持ったハンカチでシェリーンの目元を、次いでほおを、壊れ物でも扱うかのようにそっと拭う。
驚きはしたが、嫌ではなかったので、シェリーンはリュデロギスのなすがままに任せた。涙はいつの間にか止まっている。
涙を拭き終えたリュデロギスは片膝をついた。すると、座っているシェリーンと目の高さが合う。
「人族が幸運の子を生んだあと、十年も生きられたのは奇跡に近い。母君はあなたを可愛がってくれたのだろう? きっと、あなたの成長を見守ることができて、幸せだったはずだ。それこそが、シェリーンの持つ力のおかげだったのだ、と予は思う」
耳触りのよい、低い声で紡がれた優しい言葉を聞いて、再び涙があふれそうになる。今度の涙は悲しみや、やるせなさとは違う。
母の魂が、報われたような気がした。
リュデロギスはシェリーンの目元に、再びハンカチを当てた。
「予は、あなたのことが必要だ。シェリーン、予と結婚してくれ」
リュデロギスが必要としているのは、シェリーンの幸運の子としての力なのだろう。シェリーンがリュデロギスと結婚すれば、家の主である彼は幸運と富を約束される。
自分にそこまでの力があるのかは疑問だが、ディンゼ魔帝国もさらに発展するのかもしれない。
それでもいい、とシェリーンは思った。
母の死後、自分は誰にも必要とされなかった。そんなシェリーンをリュデロギスは「必要だ」と言ってくれた。
幸運の子の力が証明されれば、父王は掌を返したようにシェリーンを必要とするのかもしれないが、自分をいたぶった継母や異母妹のいるアルカンになど、もう戻りたくはない。
それならば、優しいリュデロギスのもとで生きるほうがはるかにいい。たとえ、彼が必要としているのがシェリーン自身ではなく、幸運の子の力なのだとしても。
「はい、陛下。わたしを妻にしてください」
シェリーンは決意を込めた瞳で、リュデロギスを見つめた。
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