第四十話 ディンゼ軍出撃

 シェリーンが決意を固めたのは、エセルバートとイザドラがギルガ宮を来訪したという知らせを受けた時だった。おそらく彼らは、アルカン王室の姻戚であるリュデロギスを頼りにきたに違いない。


 ならば、彼らが求めるのはアルカンを救うための援軍だ。慌ただしくそう考えたシェリーンは「祖国のために自分ができること」を導き出した。

 先ほど、リュデロギスはシェリーンの望みをかなえると言ってくれた。それなら、この頼みも聞いてくれるはずだ。危険が伴うことではあるけれど、リュデロギスにとって無理な話ではない。


 だから、シェリーンはエセルバートの意思を確認した上で、リュデロギスに救援を頼んだのだ。

 まだ何も終わっていないのに、シェリーンはすっきりとした気持ちだった。自分の意思で重大な決断を下し、イザドラ相手にも堂々と振る舞えた。初めて、自分自身を心から認められたような気がする。


 何より嬉しかったのは、援軍を出すという決断をリュデロギスがシェリーンに一任してくれたことだ。リュデロギスが全てを決めてしまってもなんら問題はなかったのに、彼はあくまでシェリーンの意思を最優先してくれた。


(リュデさま……ありがとうございます)


 人前なのでおもはゆく、心の深いところまでは口に出せなかったものの、シェリーンは夫に心から感謝した。

 エセルバートとイザドラが立ち去ったあと、リュデロギスは玉座から立ち上がり、控えていた侍従長に命じる。


「四元帥を呼べ。こたびの援軍は、親征とする」


 シェリーンも立ち上がり、リュデロギスに駆け寄る。


「リュデさま、わたしのために出撃していただくのですから、わたしもご一緒させてください。幸運の子としての力が、きっとお役に立つはずです。それに、幸運の子が夫と離れるのはよくないのでしょう?」


 リュデロギスは困ったように微笑した。


「あなたがギルガに残る分には、予と離れていても問題はないのだが……」


 シェリーンは恥ずかしさを押して、小さな声で訴えた。


「わ、わたしがリュデさまと離れたくないのです……」


 リュデロギスは目を見張る。


「シェリーン、それは――いや、今はやめておこう。戦いが終わり、事態が落ち着いてから、その続きを是非聞かせてくれ」


 夫の要望にシェリーンがこくりとうなずいてみせると、リュデロギスはいたずらっぽくほほえむ。


「予は一分でも一秒でも早く、先ほどの話の続きを聞きたい。そのためには、あなたが同行してくれたほうが好都合だな。シェリーン、ついてきてくれ。あなたは必ず守る」

「はい……!」


 リュデロギスはシェリーンが本当は何を言いたいのか察しはついているのだろう。彼との間にあった甘い雰囲気が戻ってきたようで、これから戦争の準備をしなければならないというのに、シェリーンの胸は温かくなった。


 リュデロギスの指揮の下、四元帥が召集され、今回の援軍に従軍する面々が決まった。指揮を執るリュデロギスの首席幕僚として、総軍司令部総長でもあるレディオンが付き従う。空軍は航空司令長官のセルグ空軍元帥が指揮し、留守役は残りの陸海の二元帥が務めることになった。


 出陣の際、リュデロギスとともに閲兵式に参列したシェリーンは、従属国ガルデアの魔王、マルキアドが率いる軍を発見した。その中には、ひときわ目立つサイクロプス族の巨大な姿がある。彼らの先頭に立つのは、もちろん族長のゼンヴァだ。

 シェリーンの姿を認めると、ゼンヴァをはじめとしたサイクロプス族は雄叫びを上げる。

 リュデロギスが言った。


「マルキアドやゼンヴァは、あなたが祖国を救援にいくと聞き、つどってくれたのだ」

「まあ……あとでお礼を申し上げないと」

「ああ、奴らも喜ぶだろう」


 リュデロギスは笑顔から真顔になったあとで拡声魔法を使う。


「諸君、予たちはこれから我が后の祖国であるアルカンに向かう。目的はただひとつ! アルカンを蹂躙じゅうりんするダルムト軍を敗走させることのみだ。よいか、魔族の品位を下げるようなことは決してするな。魔族の矜持きょうじを敵味方の人族に見せつける好機としようぞ! それに、我らには幸運の子である后がついている! この戦、必ず勝て!」


 ディンゼ軍全体が大地を揺るがさんばかりの熱狂的なときの声を上げる。シェリーンの胸も熱くなった。


(これが、レディオンさまがおっしゃっていたリュデさまのカリスマ性……わたしは彼にふさわしい女性になれるのかしら……)


 いや、なれるかではない。自分は必ず彼にふさわしい女性になるのだ。

 以前、シェリーンはよい魔后にならなければ、と思っていた。だが、違うのだ。自分はリュデロギスの隣にいつでも寄り添う女性になりたい。

 そして、彼にふさわしい女性になれば、自然とよい魔后になれる。今のシェリーンは、そう確信していた。


 その日、ディンゼ軍は出撃した。

 シェリーンも初めて知ったのだが、リュデロギスは東大陸と西大陸を結ぶ巨大な転移装置を密かに設置しており、それを使って軍勢を送り込んだ。「何かあった時のためにな」とリュデロギスは言っていた。彼がシェリーンにそう言うからには、侵略目的ではないのだろう。


 ともあれ、この転移装置は空軍以外の大軍を送るのに役に立った。

 戦地では、先にアルカン軍と合流をすませているはずのエセルバートと協力する手はずになっている。エセルバートは移動魔法を使い、イザドラとともにアルカンに戻ったのだ。


 リュデロギスはシェリーンを後方の将官に任せ、レディオンとともに陣頭に立っている。

 整然と進軍していたディンゼ軍が止まった。飛竜ワイバーンに乗った騎竜兵が三騎、リュデロギスの前に舞い降りる。偵察に出ていた斥候のようだ。


「前方に、アルカン軍と交戦中のダルムト軍を確認!」


 よく通る斥候の報告を受けたリュデロギスの声が、拡声魔法によって響く。


「アルカン軍とともにダルムト軍を挟撃するぞ! 全軍突撃!」


 シェリーンは兵たちに守られながら、将官から借りた双眼鏡で前方を確認する。リュデロギスたちの無事を祈ることしかできないのなら、せめて戦闘から目を背けずに見守りたい。


 よく目立つゼンヴァの姿が見えた。金棒でダルムト兵を打ち払う。彼らサイクロプス族を含めたガルデア軍を率いるマルキアドは、獅子奮迅ししふんじんの勢いで敵兵を一掃する。さすがはリュデロギスのライバルだ。


 ほどなくリュデロギスの勇姿が見つかった。総大将にもかかわらず、愛用の剣と魔法で敵軍をなぎ払っている。彼の背中を守るレディオンは金属製のむちを振るい、従弟にして主君を援護する。二人とも、彼らだけで敵軍を制圧できるのではないかと思ってしまうほどの圧倒的な強さだ。


 突如背後から現れたディンゼ陸軍の攻撃と飛竜に乗った空軍の銃撃に混乱したダルムト軍は、やがて散り散りになって退却し始めた。人族にとっては恐怖の対象である魔族が大軍で攻撃してきたという心理的な要因もあるだろう。


「追撃は無用だ! 逃げる者は追うな!」


 リュデロギスの命令に従い、ディンゼ全軍は攻撃をやめた。

 潰走するダルムト軍を見送りながら、レディオンに指揮を任せたリュデロギスがこちらまでやってきた。


「シェリーン、よかった……無事だったか」

「はい、みなさまが守ってくださったおかげです」


 リュデロギスはほほえんだあとで、いぶかしげな顔になる。


「それにしても妙だ。アルカンに攻め入ってきた割にはダルムト軍に手応えがなさすぎる。まるで、全力を出しきれていないようだった」


 リュデロギスと一緒に考え込んでしまったシェリーンは、あることに思い至った。


「あ……もしかして」

「なんだ?」

「アルカンでは疫病が流行っているのでしょう? ダルムト軍もかなりの数の将兵がその病に感染してしまったのではないでしょうか」

「なるほど、十分に考えられる話だ。幸運の子の力が作用したのだろう」


 敵方から見たらとんでもない力だが、シェリーンはもう、自分の能力を恐れたりはしない。この力も自分の一部だ。それに、リュデロギスが傍にいてくれるから。


「諸君、我が軍の勝利だ! 幸運の子の力は我らに味方した!」


 リュデロギスが宣言すると、魔帝と魔后を称える声が将兵たちの間から上がる。シェリーンはリュデロギスの隣にたたずみながら、その歓呼の声に耳を傾けていた。

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