第三十九話 女神の顕現(前半リュデロギス視点・後半エセルバート視点)

 アルカンの勇者エセルバートと王女イザドラが来訪し、自分に謁見を求めているとリュデロギスが聞いたのは、シェリーンと会話をしてから数分後のことだ。


(そういえば、エセルバートは移動魔法が使えたのだったな。ディンゼに落ち延びていたか)


 シェリーンを虐げていた女とはいえ、一応、一国の王女も同行しているので、リュデロギスは謁見の間で彼らと会うことにした。

 リュデロギスが謁見の間の玉座に腰かけ、待っていると、エセルバートと見知らぬ少女が入室してきた。彼女がシェリーンの異母妹イザドラなのだろう。悪くない外見だが、気品と慈愛に満ちたシェリーンのような、内面からにじみ出る美しさはない。


 彼女はリュデロギスを見るなり、口を半開きにしたまま固まっている。自分を初めて見た若い娘が陥りがちなことなので、リュデロギスは頓着しなかった。

 エセルバートがきざはしの前でひざまずこうとする。リュデロギスは手で制した。


「そのままでよい。勇者が魔帝の前でひざまずくなど、西大陸の民が知ればがっかりするぞ」


 エセルバートは苦笑する。


「別に構わない。リュデロギス、わたしはあなたに頭を下げにきたのだから。……こちらのお方は、アルカンの王位継承者であらせられるイザドラ王女だ」

「イ、イザドラ・オヴ・アルカンでございます」

「ディンゼ魔帝国魔帝リュデロギスだ。アルカンのことは聞いている。で、エセルバート、そなたはなんのために、再びここまで来た?」

「アルカンからダルムト軍を追い払う手助けをして欲しい」

「それは、シェリーンが予の后だからか?」

「そうだ。アルカン王室の姻戚として、我が国を助けて欲しい。あなた以上に強力な軍隊を有している君主を、わたしは他に知らない」


 恥をかなぐり捨てたエセルバートの申し出に、リュデロギスはさして心を揺さぶられなかった。


「予はシェリーンのためなら、なんでもするつもりだ。だが、アルカン王室は彼女を手酷く傷つけた。それに昨夜、アルカン国王の手の者が后を無理やり連れ戻そうとしてな」


 リュデロギスはイザドラをねめつけた。彼女がヘビににらまれたカエルのように「ひっ」と声を上げる。その様子を尻目にリュデロギスは言葉を続ける。


「エセルバートよ、予はそなたの体面を保つために、既に十分協力したつもりだが。予に負けたそなたがいつの間にか『勝った』ことになっていても不可侵条約を破らず、貴国に食糧援助をする約束もした。ちと、虫がよすぎるのではないか?」


 それを聞き、慌てたのはイザドラだった。


「なっ! エセルバートさま、どういうこと!? あなたは大魔王に勝ったはずよね!?」


 エセルバートは苦しげに答える。


「負けたのはリュデロギスではなくわたしです。国王陛下のご命令で、一部の臣下を除き、わたしが負けたことは伏せられていたのです。あなたには申し訳ないことをいたしましたが……」

「お母さまもだまされていたということ!? そんな! 全てが大魔王に劣る男がわたしの夫だなんて!! これじゃあ、お姉さまに勝てないじゃない!!」

(なんという愚かな女だ……。母親違いとはいえ、本当にシェリーンの妹か?)


 この娘は結局、自分より全てに優れた異母姉に勝ちたかっただけなのだ。だから、シェリーンを執拗しつように痛めつけた。思慮深いシェリーンは、誰かに勝つためであっても手段を選ばぬような真似はすまい。

 エセルバートを責めるイザドラをリュデロギスは冷淡に眺めていた。


 その時、謁見の間の扉が、おもむろに開いた。

 扉の正面に座るリュデロギスだけではなく、エセルバートをなじっていたイザドラもそちらを見る。

 そこには、フィオレンザに付き添われたシェリーンが立っていた。


   ***


 謁見の間に現れた女性がシェリーン王女だということは、彼女と会ったことがなかったエセルバートにもすぐに分かった。

 うわさに聞いていた、黄金色の髪ととがった耳、透明に近いアメシスト色の瞳を持つ、妙齢の女性。何より、后であるシェリーンを見た時のリュデロギスの表情はとろけそうなほどに優しく、いかに彼女が大切にされているかがよく分かった。


(それにしても、美しい……)


 神秘的な力を持つ幸運の子だという先入観もあるだろうが、実際に目の当たりにしたシェリーンは、西大陸で広く信仰されている女神エリュミアが舞い降りたかのような神々しい存在に見えた。


 エセルバートは直感した。彼女がこの膠着こうちゃくした状況を打破する存在になると。

 久々にシェリーンの姿を目の当たりにしたイザドラは、その場にへたり込みそうになっている。


「え……!? これがお姉さま……? あの、ろくに手入れもされていなかった……!?」


 シェリーンが階の前まで歩いていくと、リュデロギスが先ほどまでとはまったく違う甘い声をかけた。


「我が后よ、隣の玉座に座れ」

「はい、陛下」


 シェリーンは大帝国の皇后に恥じない優雅な動作で、玉座にかけた。リュデロギスが重々しく告げる。


「勇者エセルバートよ、これから先は魔后であるシェリーンがそなたとの交渉を行う」

「承知した。……魔后陛下、もうご存知でしょうが、あなたさまの祖国でもあるアルカンは今、存亡の危機にございます。なにとぞ、お力をお貸しください」

「それは、幸運の子であるわたくしに戻ってきて欲しいという意味ですか?」


「いいえ、あなたさまがアルカンにお戻りになりたいのならばともかく、ディンゼにおとどまりになりたいのであれば、わたしはそのご意思を妨げるような真似はいたしません。わたしはただ、この地上において最も強力なディンゼ軍に助力を得た上で、ダルムト軍を追い返したいだけです」

「その後のダルムトへの侵略はお望みではないのですね?」

「はい、わたしの願いはただひとつ。アルカンを再び民が安心して暮らせる地に戻すことにございます」

「分かりました」


 シェリーンは真顔でうなずくと、夫であるリュデロギスのほうに顔を向ける。


「陛下、わたくしの祖国でもあるアルカンからダルムト軍を追い払うべく、援軍としてディンゼ軍を出撃させていただきとうございます」


 リュデロギスはその言葉を待っていたかのように、太陽を思わせる晴れやかな笑顔になった。


「よく言った。我が后よ、あなたの願い、確かに聞き届けよう」

「陛下、ありがとう存じます」


 エセルバートは胸をなで下ろした。シェリーンの取りなしのおかげで、活路が開けた。


「――な、何よ……!」


 見れば、隣にたたずむイザドラが握りしめた拳を震わせている。声をかけようとしたエセルバートに構わず、イザドラがシェリーンに向かって喚く。


「さっきからまるで女王のように振る舞って! わたしに恩を着せたつもり!? あんたなんか、アルカンではわたしが嘲っても口答えすらできなかったくせに!!」


 リュデロギスが怒りの表情を浮かべ身じろぎする。それを目顔で制したのは他ならぬシェリーンだった。


「いかようにでもおっしゃってください。わたくしはただ、自分にできることをするだけです」


 女神さながらの威厳ある態度でそう返されたイザドラは、今度こそヘナヘナとその場に崩れ落ちた。

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