第十七話 これ、全部わたしのですか……?

 シェリーンがディンゼに来てから二週間がたった。ギルガ宮の生活にも慣れてきて、新しく礼儀作法マナーの授業を受ける余裕もできた。

 その日。シェリーンは驚きに目を見開いていた。

 衣装女官のグラジナとボジェナの先導によって、たくさんのドレスや部屋着、寝間着が寝室に運び込まれていく。


 もちろん、全てシェリーンの服である。シェリーンがここに来た初日に採寸をすませ、注文していたものが届いたのだ。普通、こんなに早くオーダーメイドの服は仕上がらないから、相当急いで作らせたのだろう。


「申し訳ございません、魔后陛下。靴に関しては、まだ時間がかかるようです」


 グラジナに謝られてしまい、シェリーンは激しく頭を振った。


「いいのよ。あなたたちが用意してくれた靴がありますし。それにしても、注文先の仕立屋さんは大変だったのではないかしら」

「問題ございません。魔帝陛下と女官長が費用に糸目はつけないとおっしゃってくださいましたので」

(確かに婚前契約書には、衣食住の面倒は陛下が見る、と書かれていたけれど……)


 シェリーンが今着ている既製品の服だって、相当高価なものだ。しかし、グラジナとボジェナが一点一点確認しながら、大きなクローゼットのハンガーにかけている服はどれも上質で、見るからにお高そうである。つい最近まで、擦り切れた服を着ていた身としては、あまりの贅沢ぜいたくに呆然としてしまう。

 まるで母に大切に育てられていた昔に戻ったかのようだ。もっとも、当時これほどの贅沢はできなかったが。


 グラジナたちが「座っていらしてください」と言ってくれたので、シェリーンは立ち尽くすのやめ、手近にあった椅子に座る。


「これなんかどうかしら?」

「そうね、せっかくだから、よそ行き用の御服ごふくをお召しになっていただきましょう。魔帝陛下は絶対ご覧になりたがるでしょうし」

(え……!? なんの話?)


 グラジナとボジェナの会話からただならぬ雰囲気を感じ取ったシェリーンが硬直していると、笑顔の二人が一着の服を持って現れた。


「魔后陛下、今からこちらにお着替えくださいませ。新しいお召し物を魔帝陛下にご覧になっていただきましょう」


 グラジナがハンガーにかけて持っているのは、スカートの長さがくるぶし丈くらいで優美な刺繍ししゅうが施された、純白の服だ。七分袖で、襟元にリボンがあしらわれているところが上品かつ可愛らしい。


(陛下なら、新しい服を着たわたしをご覧になりたがるわよね……)


 愛されているという実感は湧かないながらも、シェリーンもこの二週間で婚約者の行動パターンを少しは把握できるようになってきた。

 シェリーンはおとなしく従うことにした。着替えさせてもらった服は、シェリーンの身体にぴったりで、着心地がすこぶるいい。

 化粧は控えの間から呼び寄せたニーカにコーラルカラーでまとめてもらい、甘くなりすぎない雰囲気に仕上がった。


「魔后陛下、よくお似合いでございます。本当におきれい……」


 女官たちはうっとりとした表情で化粧台ドレッサーの鏡に映るシェリーンを見つめる。

 少し前だったら、褒められても受け入れられなかった。だが、今は彼女たちの言葉が嘘ではないと分かる。


 気づいてしまえばなんのことはない。アルカンでは、シェリーンのとがった耳と紫の瞳が受け入れられなかっただけなのだ。だから、「気味が悪い」と言われてきた。

 ディンゼではとがった耳も紫の瞳もごく一般的だ。その上、シェリーンの顔立ちはお世辞を抜きにしても、どうやら悪くはないらしい。

 そう思えるようになると、きれいな服や靴を身につけるのも、お化粧をするのも楽しくなってきた。


(全部、陛下をはじめとした、みんなのおかげね……)


 突然、チリリン、とベルの鳴る音が響いた。

 グラジナとボジェナが笑い合う。


「ほら、早速おいでになったわ」


 シェリーンが「どうぞ」と応じると、果たして入室してきたのはリュデロギスだった。


「シェリーン、注文していた服が届いたようだな。ん? もう着替えたのか。予にもよく見せてくれ」


 一体、リュデロギスはシェリーンに関する情報をどうやって聞きつけてくるのだろう。そう思いながらも、シェリーンは化粧台の椅子から立ち上がり、リュデロギスの前まで歩いていく。少し緊張しながらも問いかけた。


「……いかがでしょうか、陛下」

「予の后は、この世のものとは思えぬくらい美しいな」


 間髪をいれずに返ってきた答えに、シェリーンは耳まで赤くした。


「あ、ありがとうございます……」

「他の服を着た姿も早く見たいものだが、それは今後の楽しみとしよう。化粧もよく似合っているな。一日中でも見ていられそうだ」

「あの、陛下、そんなに褒められると、恥ずかしいです……」

「予は構わぬ。恥じらうあなたは、たいそう可愛らしいからな」


 言い切ったあとで、リュデロギスは優しく笑った。


「あとで一緒に写真を撮ろう。新聞に載せて、民への正式な婚約発表とする」


 写真や新聞のことはトライメの授業で知った。肖像画のように時間をかけなくても姿を写し取れるなんて、便利な魔道具があるものだ。

 新聞は図書室で実物を見たけれど、何が書いてあるのかは辞書を引かないとまだ分からない。それでも、写真つきで情報をまとめたものが読めるのは画期的なことだと思う。

 シェリーンがうなずいてみせると、リュデロギスが問いかけた。


「その前に、少し二人で話がしたい。構わぬか?」

「はい」


 女官たちに見送られ、シェリーンはリュデロギスとともに寝室を出た。リュデロギスは庭園に出るための扉に向かう。リュデロギスが扉を開けると、外の空気が吹き込んできた。

 二人は庭園に足を踏み出した。春の陽気の中、池沿いに庭園を進む。

 シェリーンはリュデロギスに服のお礼を言いそびれていたことに気づいた。


「陛下、あのように素晴らしい服をたくさん……ありがとうございます。それだけではなく、いつもわたしが心地よく過ごせるようにお気遣いくださって……本当に、わたしにはもったいないくらいです」


 ずっと思っていたことを述べたら、ついつい口調に熱がこもってしまった。

 リュデロギスはバイオレットスピネル色の目を少し見張ったあとで、破顔した。


「予は自分がしたいことをしているだけだ。むろん、あなたがそうして喜んでくれると、とても嬉しい」


 シェリーンが照れのあまり、リュデロギスの顔をまともに見られないでいると、彼が足を止めた。


「少し、昔の話をさせてくれ。……元々東大陸には魔王たちが治める三つの強国が存在していた。ディンゼ、ガルデア、ザンターグの三国だ。三国の国力、戦力は拮抗きっこうし、長きに渡るにらみ合いと戦いを繰り返していた。だが、ある時、ザンターグの魔王が老衰で死亡し、一気に均衡が崩れた」


 シェリーンは口を挟まずに聞いていた。


「それを機に、予はザンターグに攻め入り、制圧した。そのあとで、以前からにらみ合っていたガルデアの魔王と戦い、なんとかくだすことができた。そして、小国や各種族の里を征服し、東大陸を統一した」


 リュデロギスの口から語られる戦いの歴史の中に登場する彼は、まるでシェリーンの知らない人のようだった。血なまぐさいことも、口には出せないことも数多くあったのだろう。


 ようやく、シェリーンは理解できたような気がした。彼が西大陸においては大魔王と恐れられ、ディンゼにおいては魔帝と畏敬される理由が。

 リュデロギスは白い雲のかかった空を仰ぎ見た。


「とはいえ、ディンゼ――いや、東大陸はまだまだ平和にはほど遠い。辺境ではたびたび少数種族の反乱が起こるし、不公正も正されているとは言い難い。国情を安定させるには、長い時間がかかるだろう。――そう思っていたのだが、予は縁あってあなたを后に迎えようとしている」


 リュデロギスは正面からシェリーンの瞳を見つめる。


「シェリーン、あなたの力を借りれば、民心は早くに安定し、東大陸は本当の意味での統一を果たせるかもしれぬ。力を、貸して欲しい」


 シェリーンの胸はきゅっと締めつけられた。


(やっぱり、陛下がわたしによくしてくださるのは国のためで、わたしが幸運の子だから……)


 分かってはいても、事実を突きつけられると寂しいものだ。

 シェリーンの表情の変化を読み取ったのだろうか。ハッとしたようにリュデロギスの目が揺れる。リュデロギスはきっぱりと言った。


「言葉足らずだったな。あなたと結婚するのはそのためだけではない。予はあなたが可愛い。傍にいてくれ、シェリーン」


 思わぬ告白に、シェリーンは動揺した。首から上がカーッと熱くなる。顔から火が出る、とはこのことだ。

 シェリーンの様子を眺めていたリュデロギスの手が、スッと背に回される。

 抱き寄せられたと分かったのは、数秒後。脳が事態を把握してからだ。

 リュデロギスの両手が緩くシェリーンを抱いている。シェリーンの眼前に彼のたくましい胸があった。


(温かくて、いい匂い……)


 先ほどまで羞恥の極みにあったのに、リュデロギスの腕の中は不思議と落ち着いた。

 シェリーンが抵抗せずにされるがままになっていることに安堵あんどしたのか、リュデロギスが柔らかい声音で語りかけてきた。


「シェリーン、サクラの花は見たか?」

「はい、ここに来た初日に」

「あれは、予が一番好きな花だ。もう散ってしまったが、来年は一緒に見よう」

「はい……」


 シェリーンは心からの返事をした。来年も彼の傍にいられることを願って。

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