第十八話 無礼な予言士(前半リュデロギス視点・後半イザドラ視点)

 シェリーンにしばしの別れを告げたあと、リュデロギスは執務室に戻った。

 早く彼女と写真撮影をする時間になればいいのに、と席に着いた瞬間に思ってしまう。

 日々の気遣いと服をたくさん贈られたことへの礼を述べてくれたシェリーンは、いつにも増して可愛らしかった。


(そのせいで、少し浮ついてしまったな。危うくシェリーンを不安にさせてしまうところだった)


 シェリーンはその生育歴からか、「自分は幸運の子だから大切にされている」と思っている節がある。リュデロギスが欲しいのは幸運の子ではなく、シェリーン自身だというのに。彼女に自信を持ってもらうためにも、これからもよりいっそう好意を伝えていこう。


 それはともかく、そのひやりとする事態を帳消しにする出来事が起きた。初日に対面した時とは違い、シェリーンはついついリュデロギスが抱き寄せてしまっても嫌がらなかったのだ。


(これは……少しは予を好ましい男として見てくれているということか?)


 そうだとしたら、踊りだしてしまうくらい嬉しい。今度二人で歩く時は手をつないでもよいものだろうか。いや、スキンシップを求めすぎるあまり、嫌悪感を抱かれてしまっては元も子もない。

 不思議なもので、彼女を好きになればなるほど、「嫌われたくない」という思いが強くなっていく。


 リュデロギスが、恋する男性としては至極真面目で真剣な、魔帝としてはいささかのんきな悩みに頭を抱えていると、ベルの音が響いた。

 リュデロギスは背筋を伸ばし、臣下の入室を待つ。

 入ってきたのはレディオンだった。リュデロギスはすぐさま身体の力を抜いた。


「なんだ、レディオンか」

「ご挨拶だね。その緩んだ表情……魔后陛下のことでも考えていたのかな?」

「ああ、そうだ」


 リュデロギスは開き直った。少年時代からの付き合いである従兄のレディオンには、リュデロギスも心を許しているのだ。

 軍人としては大元帥である自分に次ぐディンゼ魔帝国元帥の称号を与え、軍務大臣と総軍司令部総長という重職を兼任させているのも、ひとえにレディオンへの信頼があるからだ。むろん、レディオンほど有能な人物がそうそういないことも大きな理由だが。


 レディオンは死線をともにしてきた友人であり、亡き母の思い出話ができる数少ない相手なのだ。

 レディオンはニヤッと笑う。


「そうかい。みんな、言っているよ。『魔帝陛下は魔后陛下がおいでになってから、表情が柔らかくなられた』ってね」

「当たり前だ。シェリーンの美しさと可愛さたるや、言語を絶しているからな。しかも、控えめで謙虚で向学心がある上に、楽器まで弾ける。知っているか? この前、彼女はトライメに絵画の技法を教えていたのだぞ? なんという教養の高さだろう。アルカン語とは文法が大きく違うヴェルエムス語も、もう簡単な挨拶ならばできるようなったし……彼女は素晴らしい魔后になることだろう」

「その話、もう続かないよね?」


 レディオンの視線は生暖かい。少し語りすぎたか、とリュデロギスはやや反省した。


「ふん、女には不自由しないお前には、面白くもない話だったか」

「いやいや、魔帝陛下の愛妻家ぶりが分かって、興味深かったよ。ま、こちらとしては、君が結婚をきっかけにして、今までよりも内政に専念できることを期待しているよ」

「当たり前だ。国情の安定は、そのままシェリーンの幸せにつながるからな」

「はいはい。ごちそうさま」

「ところで、なんの用だ? 恐れ多くも、お前は軍務大臣兼総軍司令部総長だろうが」

「ああ、そうそう、実は……」


 レディオンが明日の天気でも告げるように話し出した内容は、今アルカンで起こっている事件についてだった。

 彼が話し終えてしまうと、リュデロギスは口角をつり上げた。


「始まったか」


 いよいよだ。シェリーンを痛めつけ、蔑ろにしてきた連中に、罰が下り始めたのだ。


   ***


 遡ること数日前。

 アルカン王国の王室礼拝堂。そこでは今日、第二王女にして王位継承者のイザドラと勇者エセルバートの婚約式が行われていた。


 本来、時間をかけて準備するべき王女の婚約式が異例の早さで実施されたのには理由がある。父王スティーヴンが「勇者エセルバートが大魔王に勝利し、平和を勝ち取ったことを内外に知らしめる必要がある」と式を急がせたのだ。


 だが、イザドラはスティーヴンの采配に満足していた。エセルバートが大魔王に勝って日が浅い今こそが、自分たちの婚約式が最大に注目される瞬間だからだ。

 不満といえば、シェリーンがどうやら美丈夫らしい大魔王と、とっくに婚約しているということだ。


(お姉さまのくせに、わたしの先を超すなんて……)


 スティーヴンがシェリーンにリュデロギスとの婚約を告げた時は、乗り気でない異母姉の背中を蹴りつけたのに、どこまでも勝手なイザドラであった。

 礼拝堂に入ったイザドラとエセルバートが女神エリュミアの像の前にたたずむ大司教へと歩みを進めた時、男たちの声が反響した。


「ワーズワースさま!」

「おやめください! 今は婚約式の最中です!」


 見ると、扉の外で警衛していた近衛兵たちを振り切って、一人の男が礼拝堂に入ってきたところだった。

 うしろで儀式を見守っていたスティーヴンがつぶやく。


「ワーズワース……」


 宮廷予言士ジェイコブ・ワーズワースのことは、もちろんイザドラも知っている。

 予言士とは、生まれつき未来予知の力を持つ者が、精度の高い未来予知をするために魔法の修行を積み、国家資格を取った場合に就ける職業だ。


 誰にでもなれる職業ではないため、宮廷でも高い地位にある。近衛兵も問答無用でつまみ出せなかったのだろう。

 それはともかく、ワーズワースは「不吉な未来が見える」と言って、シェリーンが大魔王に嫁ぐことに最後まで反対していた人物だ。その態度たるや、あまりにも執拗しつようで頑固だったために、今はスティーヴンによって謹慎処分を受けているはずだった。


 そのワーズワースがなぜ……。

 イザドラは疑問を抱きながら事態を見守る。謹慎を命じられているせいか、少々くたびれた中年男に見えるワーズワースは、スティーヴンに向き直り、ひざまずいた。


「国王陛下、このままいけばアルカンは凄惨な末路を迎えてしまいます! 今からでもシェリーン王女を連れ戻すべきです! 王女がお戻りになれば、違う未来が――」


 必死の形相で食い下がるワーズワースに、スティーヴンは冷たい視線を送った。


「近衛兵、この者を連行せよ」


 ワーズワースが目をむいた。


「陛下!」

「既に第一王女は大魔王に嫁いだ。今更連れ戻すような真似はできぬ」

「陛下! さような問題ではございませぬ! どうかわたくしの話を……!」

「連れてゆけ」


 スティーヴンの再三の命令に、ためらいがちだった近衛兵たちがワーズワースの左右の腕をがっちりとつかみ、礼拝堂の外へと連行していく。

 イザドラの隣に立つエセルバートがスティーヴンに向け、控えめに問う。


「……よろしかったのですか?」


 答えたのは母キザイアだった。


「せっかくの婚約式が台なしだわ。あんな無礼な予言士は、追放処分にしましょう」

「王妃の言うとおりだ。そのように計らおう」


 スティーヴンの返答にイザドラも同意する。


「お父さま、お母さま、ご英断ありがとうございます。お姉さまがいたほうがよっぽど不吉だもの」


 エセルバートだけがただ一人、納得しかねる表情をしている。彼は西大陸随一の勇者だというのに思慮深すぎるところがある。予言なんて外れることもあるのに。

 気を取り直し、イザドラとエセルバートは大司教の前に進み出た。婚約指輪の交換のために、二人は向かい合う。


 エセルバートが大司教から婚約指輪を受け取り、イザドラの薬指にはめようとした時、両開きの扉が派手な音を立てて開かれた。

 今度現れたのはアルカンの宰相だ。


 再び儀式を中断されたイザドラは腹を立て、宰相をにらみつけた。キザイアも鋭い視線を彼に向けている。

 スティーヴンがうんざりした表情で彼に尋ねる。


「……何用だ?」


「大変な事態が起こっております! 昆虫型の魔物・魔飛蝗エビルローカストが大量発生し、各地の農村で刈り入れ前の作物を食い荒らしているとの報告が、先ほど早馬にてもたらされた由にございます!!」


 魔飛蝗エビルローカストは貪欲な魔物だ。大量発生すると、彼らが通ったあとには草一本残らないとされている。これでは、今年の凶作は間違いない。

 両親は驚きに目を見張り、イザドラは呆然とした。

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