第三十四話 不都合な真実

 新婚旅行から帰ってきて三日後、シェリーンは元侍医の営む診療所で医術を学ぶために街に出た。

 もちろん、武装女官のナンヌとカチャも一緒だ。二人はザンターグで襲撃を受けた際に負傷したが、魔族だからだろうか。驚くほどの回復力を見せた。


 シェリーンは二人に「わたしのせいで怪我をさせてしまってごめんなさい」と謝り、ナンヌに「怪我をおして、魔帝陛下にわたしの危機を伝えてくれてありがとう」と礼を言った。二人は「もったいのうございます」と涙を浮かべてくれた。


 帝室の馬車で診療所の近くまで向かい、そのあとは徒歩だ。診療所の前で三つ首の竜の紋章入りの馬車を停めては迷惑になるだろう、との配慮からだ。

 にしても、やはり紋章入りの馬車は目立ってしまい、馬車から降りたシェリーン目がけて人々が殺到する事態になった。ナンヌとカチャの働きによってなんとか診療所までたどり着けたといった具合だ。


 院長は明るく気さくな人柄で、無理難題を押しつけることもなく、「最初はわたしの診療を見学することから始めましょうか」と言ってくれた。看護師や事務員たちも優しそうだ。


 シェリーンは早速、診察室に入った。院長の斜めうしろの椅子にかけ、診療の様子を見学させてもらう。診察室に入ってきた患者たちはシェリーンを見ると驚くのだが、最後には「おかげさまで治るような気がします」と言って帰っていくのだった。


 午前の診療が終わったので、シェリーンは外でお昼を食べるために診察室を出た。今日は看護師や事務員たちとともに、近くのカフェでランチをする予定なのだ。待ち合わせ場所でもあるカフェの名を何度もつぶやき、忘れないようにする。

 初めてカフェで食事をすることにウキウキしながらも、シェリーンはひとつ気になることを思い出していた。


(ギルガ宮に帰ってきてから、リュデさまがわたしに何かおっしゃりたそうなのだけれど、なんなのかしら……?)


 シェリーンの勘違いでなければ、レディオンから何らかの報告を受けたあとで、夫の様子がおかしくなったような気がする。

 何日もそんな状態が続くのはよくないから、帰ったら、自分からリュデロギスに聞いてみるべきだろうか。


 そんなことを考えながら、外への出入り口がある待合室を通り抜けようとする。ナンヌとカチャ以外、誰もいないはずの待合室に見知らぬ人影が見えたので、シェリーンはだいぶ上達したヴェルエムス語で話しかけた。


「午前の診療は終わりました。恐れ入りますが、午後においでください。時間は――」

「ようやくお会いできた」


 シェリーンの言葉を遮り、目の前の男がアルカン語で・・・・・・応じた。確かに、よく見ると彼の容姿は人族そのものだ。

 シェリーンは言葉をアルカン語に切り替えた。


「あなたはアルカン人ですか……?」

「はい。アルカンで宮廷予言士をしておりました、ジェイコブ・ワーズワースと申します。お初にお目にかかります、シェリーン殿下。ここに来ればあなたにお会いできるというわたしの予知は正しかった」


 宮廷予言士をしていたような地位の高い人が、長年幽閉され、厄介払いも兼ねて嫁がされた自分になんの用だろう。シェリーンはいぶかしみながら、ワーズワースと名乗る男に尋ねた。


「わたしになんのご用でしょう?」


 ワーズワースは真剣な面持ちで告げる。


「現在、アルカンは危機に陥っております」

「え……それはどういう……?」

魔飛蝗エビルローカストによる蝗害こうがいが発生しました。収穫前の作物が全滅したのです。その上、アルカンから東大陸に来た貿易商によると、最近になって疫病が流行り始めたとのことです」


 いくら幸運の子であるシェリーンがいなくなったからとはいえ、立て続けにそんな災厄に見舞われるなど、にわかには信じられない。


「そんな……」とつぶやいたあとで、シェリーンはあることに気づいた。


「新聞にはそんなことは書いてありませんでした。いくら国交がないとはいえ、魔后の出身国がそのような事態に陥っていたら、さすがに記事になるはずでは……?」

「この国は魔帝による専制国家。おそらくは情報統制が行われているのでしょう」


 ナンヌとカチャが殺気立った視線をワーズワースに向ける。

 確かに、ディンゼは軍人優位の国家体制であり、アルカンとは違い、議会もない。何より、リュデロギスはそれがシェリーンのためだと思えば、いい意味でも悪い意味でもそれくらいやりかねない人だ。

 シェリーンの中である疑問が膨らんでいく。


(だとしたら、なぜ、リュデさまはわたしにアルカンの現状を隠しているの……?)


 その疑問に答えるように、ワーズワースが再び口を開く。


「大魔王――魔帝はアルカンの現状を知らせれば、殿下がご帰国なさる――そのことを恐れているのだと存じます」

「それは、わたしがアルカンを案じるあまり帰国するということですか? わたしは既に嫁いだ身。いくらわたしが幸運の子であるからといって――」


「幸運の子でいらっしゃるからこそです。今はっきりと分かりました。殿下は幸運の子について、全てをご存じではいらっしゃらないのですね。わたしは東大陸に渡ったあと、あなたが幸運の子でいらっしゃることを知り、幸運の子について調べ回りました。その結果を申し上げます」

「魔后陛下、お聞きになる必要はございません」


 ナンヌがそう口を挟んだが、シェリーンは彼女を手で制した。

 リュデロギスは幸運の子に関する何かをシェリーンに隠しておきたいのかもしれない。それでも、聞かなければならない。そんな気がした。

 ワーズワースは続ける。


「幸運の子は確かにいるだけで周囲に富や幸運をもたらします。しかし、それまでいた家から永久に去ると、残された人々は過去に享受した幸運の分だけ不運に見舞われ、没落するのです。時には命を失うこともあるほどの手酷い没落を」


 シェリーンは何も言えなかった。


「幸運の子が国の中枢にいればいるほど、幸運の反作用である不運の破壊作用はより強力になります。殿下は幽閉されていたとはいえ、王女でいらっしゃいますから、国王陛下と国に与えた影響が大きかったのでしょう。ですから、殿下がお輿こし入れになったあと、アルカンは悲惨な目に遭っているのだと存じます」


 何度も何度も頭を殴られたようだった。言われてみれば、思い当たる節が多すぎる。


 ギルガ宮とザンターグの宮殿の図書室に、幸運の子に関する本が一冊もなかったことも。

 シェリーンが一人で遠出をしたり、国外に出るという行動をリュデロギスが婚前契約書で縛っていたことも。

 ラジンが「婚姻して間もない今なら、陛下や国にも大して影響はないでしょう」と言っていたことも。

 リュデロギスから贈られたペンダントと腕輪の宝石に、追跡可能な魔力が付与されていたことも。

 家から離れる――つまり嫁いでしまうと実家が没落する幸運の子が、君主の后になった例が少ないことも。


 リュデロギスはシェリーンに最も大切なことを隠していたのだ。

 ワーズワースは気の毒そうにシェリーンを眺めていたが、断固とした口調で言った。


「シェリーン殿下、アルカンにお戻りください。国王王妃両陛下には含むところがおありでしょうが、直接被害を受けているのは力のない民です」


 カチャが怒りをはらんだ声でワーズワースに言った。


「言いたいことを言ったのなら去れ! 今ここに魔帝陛下がおわせば、貴様を生かしてはおかぬぞ!」


 ワーズワースは肩をすくめたあとで、シェリーンに声をかけた。


「もうすぐ国王陛下からお呼びがかかる未来を予知しているので、わたしはアルカンに戻ります。……お待ちしておりますよ、殿下」


 ワーズワースは診療所から去っていった。

 シェリーンはぽつりと問いかける。


「……ナンヌとカチャも、さっきあの方が話していたことを知っていたの?」


 二人の声が少し間を空けてそろった。


「……はい」

「そう……。みんな知っていたのね」


 知らなかったのは当人である自分だけ。

 滑稽さすら感じたが、シェリーンにはこれからしなければならないことがあった。

 なぜ、幸運の力の反作用について隠していたのか。リュデロギスにその真意を確かめるのだ。

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