第三十一話 さらなる災厄(後半イザドラ視点)

「すまない。あ奴は予には忠実だったゆえ、安心しきっていた。今回はそのペンダントと腕輪の宝石が帯びた魔力を手がかりにして見つけられたが、もう少しであなたを失うところだった……。こんなことは二度と起こさせぬ」


 リュデロギスはシェリーンを抱きしめながらわびた。

 彼から贈られたペンダントと腕輪にそんな機能があるなんて知らなかった。アクセサリーというより、魔道具に近いのかもしれない。いかにも過保護なリュデロギスらしい。


 それよりも、シェリーンは自分を心配し、助けにきてくれたリュデロギスの想いが嬉しかった。

 彼がラジンにあれほどの怒りを見せたのも、シェリーンを必死で捜してくれたからこそなのだろう。

 リュデロギスに感謝の気持ちを抱きながら、シェリーンは彼の抱擁を受けていたのだが、その力がいっこうに緩められる気配がないため、次第に焦ってきた。


「あの……リュデさま?」


 困惑を含んだシェリーンの声が確かに聞こえているはずなのに、リュデロギスはその腕を離そうとしない。困り果てていると、体重をかけられた。シェリーンはベッドの上に倒れ込む。


 事態を把握するために上を向くと、こちらを熱っぽく見つめるリュデロギスの視線とぶつかった。リュデロギスはシェリーンに覆いかぶさるようにして、口づけを落とす。

 シェリーンが反射的にキスに応えると、下唇を甘がみされた。背筋がゾクゾクする。


 リュデロギスはシェリーンの髪をなで、腰の下に手を差し入れると、横向きに抱きしめてきた。今までにないくらい身体が強く密着し、シェリーンの胸は恥ずかしさのあまり高鳴った。リュデロギスに聞こえてしまいそうだ。


(このまま抵抗しなければ、わたしは今夜、リュデさまと……?)


 夫婦なのだから何も問題はないどころか、シェリーンがリュデロギスの子を身ごもれば、ディンゼ中が歓喜の渦に包まれるだろう。

 そして、シェリーンはリュデロギスのことを慕っている。リュデロギスだって、どう考えてもシェリーンのことを好いてくれている。


 ならば、いい加減、覚悟を決めるべきなのだろう。

 シェリーンはぎゅっと目をつぶり、リュデロギスの次の行動を待った。

 だが、リュデロギスは何もしてこない。それどころか、おもむろにシェリーンから身体を離した。

 シェリーンが目を開けると、リュデロギスがほおをなでてくる。


「やはり、今夜は自制が効かぬ。……別々に寝よう」

(それは、リュデさまに余裕がない、ということ……?)


 そういえば、先ほどからリュデロギスはほとんど口を利いていない。いつもの彼なら、こういう時はからかってきたり、甘い台詞を連発したりしそうなものなのに。


 リュデロギスは起き上がった。絨毯じゅうたんの上に下り立つと、隣のベッドに向かう。

 シェリーンも身を起こしかけたところで、リュデロギスがぽつりとつぶやく声が聞こえた。


「……予はあなたに優しくしたい」


 シェリーンは今までに読んだことのある恋愛小説を思い出した。もしかしなくても、彼の言葉は「そういう意味」なのだろう。

 さっきまであれほど身体をくっつけていたのに、今さらのように顔と耳が熱を帯びる。

 今夜は眠れそうにない。きっと、朝までずっと、寝巻き越しに感じたリュデロギスの体温を思い出してしまうだろう。

 ベッドに入って灯りを消したあとも、隣のベッドからリュデロギスの寝息は聞こえてこなかった。


   ***


 イザドラは婚約者である勇者エセルバートの訪問を受けていた。

 エセルバートの表情は部屋に入ってきた時から暗い。イザドラは不満を隠しきれなかった。


「エセルバートさま、どうなさったの? 飢饉ききんの件なら、友好国や東大陸から食糧援助を受けられることになったのでしょう? なら、問題ないじゃない」

「前王妃の祖国であるカラムセナは断ってきたそうです。やはり、シェリーン殿下をリュデロギスに嫁がせたことに憤っているようですね。シェリーン殿下が幽閉されていた頃から、カラムセナ国王はさかんに『幽閉を解け』と言ってきたそうですし」


 暗に「問題がある」と言いたげなエセルバートの態度に、イザドラは腹を立てた。


(食糧援助してくれる国があるのだから、カラムセナとの不仲くらい、別にいいじゃない! それに、前王妃の祖国に頼るのはごめんだわ)


 シェリーンが嫁いだディンゼからの食糧援助に関しては、全く無頓着なイザドラであった。それどころか、「魔族の食べ物なんて口に合うのかしら」と言っていたくらいだ。

 エセルバートは女官が運んできたお茶にも手をつけず、深刻な表情を崩さない。


「我が国には、飢饉の他にも問題があるのです。疫病が流行り始めたという話を聞きました。今は辺境でしか確認されていないようですが、王都で流行るのも時間の問題でしょう。感染力が強い病気だということです」


 まだ実感が湧かない飢饉とは違い、疫病と聞いてさすがのイザドラも少し恐怖を感じた。王族であるイザドラは優先的に食べ物を口にできるだろうが、疫病は人を選ばずに感染するのだ。


「どんな病気なの?」

「風邪を酷くしたような病で、前後不覚になるほどの高熱が出るようです。治療法が確立されていないので、命を落とす者も多く出ているとか」

「そ、そう」

「そんな状況ですから、わたしたちの結婚式は延期になるようです。仕方ありませんね」

「なんですって!?」


 そんな話は初耳だ。

 シェリーンが大魔王と結婚式を挙げたと風の便りに聞いたイザドラは、異母姉におくれを取ってしまったことを内心で悔しがっており、自分も早く盛大な結婚式を挙げたいと思っていたのだ。しかも、シェリーンは新婚旅行までしているらしい。


 それに比べて、自分は結婚式さえ挙げられないなんて。あまりにも理不尽すぎる。

 そんなわけで、エセルバートとの会話中も、イザドラは心ここにあらずだった。

 エセルバートが帰ったあとで、イザドラは立ち上がり、お付きの女官たちとともに部屋を出た。父王スティーヴンに抗議しにいくためだ。


 執務中のスティーヴンを待つこと数十分。ようやく、スティーヴンと謁見できた。執務室の応接セットのソファに腰かけたイザドラを、スティーヴンはなんとも言えない目で眺めた。イザドラは小さな子どものように、開口一番言った。


「お父さま、本当にわたしの結婚式を延期なさるの? 嘘だとおっしゃってください」


 スティーヴンは嘆息した。


「延期に決まっているだろう。今無理に慶事である結婚式を行えば、飢饉や疫病の苦しみにあえぐ民がどう思う?」


 父王がイザドラの「お願い」を退けることなど今まではなかった。イザドラはパクパクとむなしく口を開閉する。


「そ、そんな! お姉さまはとっくに結婚式を挙げたのでしょう!?」

「そうだ。だからこそ、東大陸――ディンゼ魔帝国からも食糧援助を受けられることになった。それだけは幸いしたが……しかし、この国の次期女王になるそなたがこれでは、先が思いやられる……」


 スティーヴンの青い瞳には色濃い失望の色が漂っていた。

 イザドラはようやく思い至った。今や、姉妹の上下関係がスティーヴンの中で逆転し始めていることに。

 飢饉にあえぐアルカンに食糧援助ができ、国を挙げての結婚式も新婚旅行も可能なほどの豊かな国にシェリーンは嫁いだのだ。


(今までアルカンは豊かな国だったのに、どうしてこんなにも落ちぶれてしまったのよ……!)


 シェリーンが嫁ぐまでは、何もかもがうまくいっていたのに。

 呆然としたイザドラは、スティーヴンに声をかけられるまでソファから立ち上がれなかった。

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