第三十二話 新婚旅行の終わり

 魔道列車がギルガ駅に滑り込むようにして停まる。

 一月ぶりに魔都ギルガに帰ってきたシェリーンは、帰郷した安心感に似た気持ちを抱きながら、リュデロギスとともにプラットホームに降り立った。

 出かける時もワクワクしたけれど、旅行から帰ってきた時の懐かしい心地も悪くない。

 駅の周囲では出発時と同じくらい、いや、それ以上の民が出迎えてくれた。


「両陛下万歳!」

「久々にお姿を拝見できて光栄です!」


 民衆に手を振って応えながら、シェリーンはリュデロギスと一緒に馬車に乗り込む。無意識のうちに、旅行先で馬車に乗った時と同じようにリュデロギスの隣に座ってしまった。シェリーンが慌てて立ち上がろうとすると、リュデロギスは当たり前のようにこちらの肩を抱いて止めてくる。


 リュデロギスに強く抱きしめられた夜のことを思い出してしまい、シェリーンは真っ赤になった。

 リュデロギスはシェリーンを彼の肩にもたせかけるようにしながら、口を開く。


「ラジンの処分についてたが、むろん総督の任は解く。現地での取り調べ後に起訴され、ギルガに移送されたのち、裁判が行われる予定だ」

「そうですか……。リュデさまはわたしの意をくんでくださったのですね。ありがとうございます」


「礼を言いたいのはこちらのほうだ。あなたに止められなかったら、予はあ奴をその場で殺していた。狂った思想の持ち主といえど、今まで予に尽くしてくれたのは事実であるのにな」

「リュデさま……」

「予の傍にいてくれ、シェリーン。あなたは妻としても魔后としても、予にとって必要な女性だ」


 リュデロギスにまっすぐに見つめられ、シェリーンの胸はじんと熱くなった。

 ザンターグでのあの夜以来、リュデロギスのシェリーンを見つめる瞳には、いっそう熱が増したような気がする。そして、シェリーンが彼を見つめる瞳にも。


「はい、お傍にいさせてください」


 リュデロギスの手の力が強まった。

 馬車はギルガ宮の車寄せで停まり、入り口にずらりと並んだ廷臣たちに出迎えられながら、二人は宮殿の中に入った。廊下を歩きながらシェリーンは考える。

 夫婦の距離はこの旅行で間違いなく縮まり、シェリーンもリュデロギスが好きだと自覚できた。


 それに、シェリーンはもっと勉強したいことが増えた。スクアピオのもとで学ぶ医学は座学が中心だったが、リュデロギスに学び、ゼンヴァを治療したことで、シェリーンは実践的な医術に強い興味を持つようになっていた。


 治療がきっかけでゼンヴァの信頼を得、リュデロギスやマルキアドの役に立てたことも大きい。

 シェリーンは思いきって、隣を歩くリュデロギスに自分の希望を話してみることにした。


「リュデさま、わたしはこの旅行がきっかけで医術の経験も積んでみたいと思うようになりました。スクアピオ先生にそう伝えても構わないでしょうか?」


 リュデロギスは「ふむ」と顎に手を当て、しばらく考え込んだ。


「それなら、座学や治癒魔法の理論は引き続きスクアピオに学ぶことにして、週に何回か民間の医者のもとで医術を学ぶようにしたらどうだ? 宮廷の侍医に学ぶという手もあるが、彼らは帝室と廷臣しか診ないゆえ、知識が偏る可能性がある」


 思わぬ提案に、シェリーンは興奮を隠せない。


「本当によろしいのですか!? 一般の患者を診られるなんて……! わたしの立場では無理だと思っていました」


 リュデロギスはほほえましそうに口元をほころばせる。


「ああ。あなたを受け入れてくれそうな医者は、以前、予の侍医をしていた男でな。腕も人格も申し分ない。安心してあなたを預けられる相手だ。大きな病院よりも、そこそこの規模の診療所のほうが、シェリーンも働きやすいだろう」

「働く……わたしが働ける日が来るなんて……夢にも思いませんでした」


「喜んでくれて何よりだ。シェリーンは風変わりな王女だな。庶民に交じって働きたいとは」

「母は生前、こう言っていたのです。『王族たる者、民のために尽くさねばなりませんよ』と。わたしはディンゼに来てから、その意味がようやく分かるようになりました。わたしを笑顔で迎えてくれたディンゼの民のために、自分ができうる限りのことをしたいのです」


 シェリーンが言い切ると、リュデロギスはまぶしいものを見るような目をした。


「シェリーン、あなたを后に迎えてよかった」


 リュデロギスがあまりにも優しい顔をしてそう言ってくれたので、シェリーンはもじもじしてしまう。

 リュデロギスはくすりと笑った。


「医者の件は予が手配しておく。シェリーンは安心して待っていろ」


 そこへ、シェリーンたち夫婦がよく知る人物が現れた。


「お帰りなさいませ、両陛下。旅行でお疲れのところ申し訳ございませんが、魔帝陛下にご報告したいことがございます」


 ディンゼ魔帝国元帥レディオンだった。

 リュデロギスはレディオンに向き直る。こうして見ると、従兄弟同士なだけあって二人は面差しが似ていた。シェリーンの目はどうしてもリュデロギスにきつけられてしまうが、世の女性たちが感嘆せずにはいられない光景だろう。


「ああ、今戻った。報告は執務室で聞こう。シェリーン、またあとでな」


 リュデロギスにそう言われ、シェリーンは「はい」と返事をし、夫のうしろ姿を見送った。

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